北側領の「商人」を名乗る接触
それは、あまりにも普通の朝だった。
「次はこの荷を――ああ、そっちは違う!」
強化された荷馬車が行き交う領都の門前。
商人たちの声、馬のいななき、木箱の擦れる音。
活気は、もはやこの街の日常になりつつあった。
「……で?」
門番が腕を組み、目の前の男を見下ろす。
「北側、ガリオン領から来ました。行商人です」
男はにこやかに頭を下げた。
年の頃は四十前後。身なりは整っているが、豪商というほどでもない。
荷車は一台。積荷は布、乾物、金物――どれも特別ではない。
「通行証は?」
「こちらを」
差し出された書類は、形式上は問題ない。
領印も本物。だが――
門番は、ほんの一瞬だけ視線を横に流した。
(……最近、こういうのが増えたな)
北側から来る商人。
数は多くないが、妙に“整いすぎている”。
「目的地は?」
「領都での取引と、市場の視察ですな」
「視察?」
「いやぁ、最近噂を聞きまして。ここは景気がいいと」
男は笑う。
だが、その目は笑っていなかった。
同時刻。
領主館の一室では、機構隊長が簡潔な報告を行っていた。
「北側からの流入が、昨日から三件」
「全部、商人か」
近衛隊長が腕を組む。
「はい。いずれも単独、または小規模」
「動きは?」
「今のところ、買い付けと市中見物のみ」
沈黙。
「……典型的だな」
近衛隊長が呟く。
「“様子見”だ」
機構隊長は頷いた。
「おそらく、こちらの反応待ちです。排除すれば敵対。受け入れれば次に進む」
「どちらに転んでも、向こうは情報を得る」
二人の視線が交差する。
「――泳がせるしかないか」
「ええ。ただし、記録は徹底します」
市場。
北側の商人――名をカイルと名乗った男は、露店を覗き歩いていた。
「へえ……これが噂の鉛筆ですか」
手に取った一本を、指先で転がす。
「軽い。だが芯は均一……」
「一本、どうです?」
店主が声を掛ける。
「いただこう」
代金を払いながら、何気ない調子で尋ねる。
「最近、ここは随分と人が増えたようですね」
「まあな。仕事が多いからな」
「学校も始まったとか」
「おう。子供を預けられるのは助かる」
カイルは頷きながら、周囲を見回した。
建築途中の施設。
整備された道路。
規則正しく動く人の流れ。
(……ただの成り上がり領じゃない)
彼は確信した。
これは、“仕組み”がある街だ。
夕方。
カイルは宿に入る前、丘の方角を眺めた。
(見張りが増えている……)
隠す気はない。
むしろ、“見せている”。
「ふふ……」
小さく笑う。
(焦ってはいない、ということか)
その夜。
彼は短い書状を書いた。
内容は簡潔。
・物流効率、非常に高い
・治安、良好
・軍備の露骨な増強は確認できず
・だが、統制が取れすぎている
最後に一文。
『表に出ている以上の“何か”がある』
書状は、夜明け前に人知れず運び出された。
その頃、領都の別の場所。
近衛隊長が夜風に当たりながら、静かに言った。
「……どう思う?」
「まだ、刃は抜いていない」
機構隊長は答える。
「だが、触れてきた」
「十分だな」
二人は同時に、領都の灯りを見下ろした。
そこでは、今日も子供たちが笑っている。
人々が働き、休み、暮らしている。
「――ここを壊させるわけにはいかない」
「同感だ」
影は、確実に近づいている。
だがまだ――
戦いは、始まっていない。




