父と領主の背中
――領主館・執務室。
「お父様……今、お時間よろしいでしょうか?」
扉の前に立つメイヤを見て、父はすぐに異変に気付いた。
「どうした?」
「随分と元気がないな」
書類から顔を上げ、椅子から立ち上がる。
「はい……」
メイヤは一歩、中へ進んだ。
「今日、領内にある“熱いお湯が出る場所”へ行ってまいりました」
「ほぅ……」
父は眉を上げる。
「そんなものが、この領地にあったのか?」
「はい……」
歯切れの悪い返事。
それを見て、父は腕を組んだ。
「……どうした?」
「温泉とやらを見つけた、という話ではなさそうだな」
メイヤは一瞬、視線を落とし、そして決意したように顔を上げた。
「私は、最初……そこにあるお湯を利用しようとして向かいました」
「ですが……」
「他の物も、見つけてしまいました」
「他の物?」
「はい」
「硫黄と呼ばれる物です」
「臭いが強すぎて……今は屋敷の外に置いてあります」
父は、静かに息を吸った。
「硫黄、だと……」
「それは……何かに使えるのか?」
「はい」
メイヤは、胸に抱えていたゴアゴア紙の束を差し出した。
「書類を纏めてきました」
「お目通しを、お願いします」
父は無言で受け取り、机に戻る。
一枚、また一枚。
読み進めるごとに、彼の表情が変わっていった。
「……なっ」
書類を持つ手が、止まる。
「これは……本当なのか?」
「はい」
メイヤは、はっきりと頷いた。
「実験は必要です」
「ですが、理論上は……可能だと思われます」
ガルドは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……これは」
「もし事実なら……」
「世界が、ひっくり返るぞ……」
「……はい」
メイヤの声は、小さい。
「まだ不明な点は多いです」
「戦いの準備として間に合うかどうかも……わかりません。ですが」
言葉を選びながら、続ける。
「皆を守るためには、早めの実験と準備が必要だと思いました」
父は、しばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐く。
「……そうか」
そして、静かに立ち上がり、メイヤの前に立った。
「メイヤ」
「お前に、そこまで悩ませてしまって……すまなかったな」
「……え?」
思わず、メイヤは顔を上げた。
「気持ちは、よく分かる」
父は、ゆっくりと言葉を続ける。
「だがな。お前は、まだ子供だ。それを守るのが、大人の役目だ。責任は、大人が取る」
一歩、近づく。
「いや。領主としても、父親としても、だ」
父は、はっきりと宣言した。
「お前を守る!お前は、気にするな」
メイヤの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「……はい」
小さく、返事をする。
「しかし……」
ガルドは書類に視線を戻す。
「正直に言えば、私もまだピンと来ておらぬ。もし、だが。これの……試作品は、作れるのか?」
「時間は……掛かりますが」
メイヤは正直に答えた。
「ならば、尚更だ」
父は、書類を机に置いた。
「お前一人で、抱える必要はない」
そして、力強く言い切る。
「領主として――、私を使え」
メイヤは、はっと息を呑んだ。
「これに関しては、お前は前に出るな!私を、使え、必要な人材は……」
ガルドは、書類の末尾を見る。
「ここに、書いてあるな。足りるなら私が、直接指揮を取る」
その背中は、揺るがなかった。
メイヤは、初めて――
肩から重い荷が、少しだけ下りた気がした。
「……ありがとうございます」
小さく、だが確かな声でそう言った。
父は、微笑んだ。
「いい。お前は……お前のままでいろ」
執務室には、父と娘、そして領主と後継者の
静かな信頼だけが残っていた。




