アグライアとリディア、それぞれの静かな策動
アグライア=ホルンベルグは、書類の山を前にしながらも別のことを考えていた。
――あの国王の対応も、リディア嬢の立ち回りも、まあ間違ってはいない。
だが「正しい」かと言われれば、あれではまだ足りない。
彼女は口の端だけで笑う。
(商人のやり方を一番知っているのは、私よ)
今回の件で動く必要があるのは、王でも、王城の官僚でもなく――自分だ。
守るべきは、あの小さな二人とメイドの子。
政治の風向きが落ち着くまで、王都に置いておくのは危険すぎる。
(さて。どうやって“安全”を確保するか)
国王が先月、クロスボウを大量発注した。
まだ完成には遠いが、近衛兵たちは「受領のため」の名目で工房に向かう予定だ。
(そこにあの三人を紛れ込ませる。随行扱いなら誰も口を挟めない)
そのまま領地へ送り届ける。
そして――
「うちの軍を少し同行させておくか」
名目は盗賊討伐。
街道の治安悪化を口実にすればいい。
(近衛とホルンベルグ軍が揃って滞在すれば、しばらくは誰も動けないわ)
さらには領地そのものの強化。
「右腕を送り込んで、支部を作らせる」
商会屈指の実務家だ。
常設支部ができれば物流も技術も一気に循環し、領地の経済基盤が安定する。
必要な人員も集め、移民として送り込む。
周囲への体裁も良い。
さらにアグライアは帳簿を開き、下段の大きな数字に署名した。
今回だけは、事業計画の予測値から算定した“八掛け”の資金を 前払い する。
貧しい領地が、数年単位で揺るがないだけの額だ。
「くくく……私がそこまでするなんて、笑えるわね」
もう一束の厚い資料を封に詰める。
そこには商会の内部資料、製造契約書案、投資計画――未来への道筋。
アグライア=ホルンベルグは静かに笑う。
「さあ、準備は整ったわ」
そして――
その動きは当然、王都のある人物にも伝わった。
同日・王都の研究院 リディア視点
アグライアの“らしい”計画を聞き終え、リディア・ノーランドは深く息を吐いた。
「……あのババア、動いたわね」
呆れたようで、しかしどこか嬉しそうでもある。
アグライアが本気で動く時、それは“勝てる戦”だけだ。
(なら、私も乗るしかない。というか――便乗させてもらうわ)
王都で続いていた反国王派の調査は、すでに特定が済んでいる。
彼らが外に干渉してくる可能性は低いが、リスクゼロではない。
(大事なのは、領地が一人で抱え込まない体制を作ること)
リディアは研究院の内部資料庫に向かいながら、淡々と指示を書き連ねていった。
「各部署の有能な若手研究員を“技能実習”として派遣するわ」
彼らは王都に閉じ込めておくより、実地で経験を積ませた方が伸びる。
しかも、名目は公式な実習派遣。誰も文句は言えない。
研究員たちの役割は多い。
・現地技術の立ち上げ
・生産工程の整備
・ゴアゴア紙・木工・農業支援
・新素材実験の同時進行
・領地内の記録体系の構築
そして――
「今までの研究資料も全部持っていかせるわ」
王都の研究院に眠らせておくより、現地で回した方が圧倒的に効率が良い。
むしろ現場での応用こそ、その資料が生きる場所だ。
リディアは机に肘をつき、軽く笑った。
「支部ができるなら、物流も情報網も確保される……悪くないわね」
アグライアが前払いで金を投じ、支部建設に人材を送り込む。
自分は研究院から技術者と資料を派遣する。
上層部の政治的な動きと、現場の実務が同時に進む。
(これで、あの領地は“孤立”しなくなる)
それは安全保障であり、成長戦略でもあった。
リディアは立ち上がり、最後の指示書に署名した。
「よし。これで動くわよ」
アグライアが動いた。
なら、次は自分の番だ。
王都の巨大な力学の外側で、
ふたりの女傑が静かに、確実に――領地の未来を織り上げ始めていた。




