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階段から転落して思い出しました!89歳まで生きた私、今度の人生は異世界で半島領の次女です  作者:


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静かな合流点

朝は、いつもと変わらず訪れた。


領都の空気は澄んでいて、港からは木槌の音が聞こえる。

見張塔の影が、ゆっくりと街路に伸びていく。


何も起きていない――

少なくとも、表向きは。


エルザは畑に出ていた。


土の感触は、昨日と同じ。

作物も、天候も、変わらない。

それでも、指先だけが僅かに震える。

……戻れる。そう思おうとすれば、戻れる。

今日を、ただの昨日の続きにすることは出来る。


だが――


畝の向こうに見える領都の方向を、一度だけ見た。


守る側、か。


鍬を地面に立て、深く息を吸う。


「……昼までには、終わらせよう」


誰に言うでもなく、そう呟いた。


ミレイナは、店に立っていた。


いつも通りの注文。いつも通りのやり取り。


「ありがとう」


「また来るね」


笑顔は、崩れていない。むしろ、いつもより丁寧だった。これが、最後になるかもしれない。


そんな考えが、一瞬よぎる。

否定する理由は、ない。

休憩時間。水を一口飲み、裏口から外を見る。


人の流れ。賑わい。平和な音。


……これを守る、か。


怖さは消えない。だが、昨日よりは、少し形を持っていた。


ミレイナは、エプロンの紐を結び直した。



マリナは、工場で手を止めていた。


機械の音。油の匂い。

効率も、工程も、頭に入っている。

だからこそ、気づく。


……流れが良すぎる。


物も、人も、金も。どれもが、滑らかすぎる。


これは――狙われる。


作業を再開しながら、決める。

聞くべきことは、聞く。

答えは、その後でいい。


同じ時刻。


領主館の一室で、セリアは書類を閉じた。


三つの印。三つの予定。


窓の外を一瞥し、微かに微笑む。


「……さて」


急がせない。追い詰めない。


選ぶのは、向こうだ。


だが――選ばせる場は、用意してある。


静かに立ち上がり、ミュネに短く告げる。


「今日の夕刻。準備を」


「例の、三名ですね」


「ええ」


それだけで、十分だった。



夕方に向かって、街は動く。誰も知らずに。

誰も気づかずに。


だが、確かに――三人の選択は、同じ一点へと近づいていた。


それはまだ、契約でも誓いでもない。

ただの合流点。

そしてそこから先は、もう「知らなかった」では戻れない場所だった。



夕食は、領主館の中でも小さな食堂だった。


豪奢でもなく、かといって質素でもない。

三人が普段見る“貴族の食卓”の想像より、ずっと現実的な空間。


「緊張しなくていいわ」


先に席についていたセリアが言う。


「今日は仕事の話はしない。約束」


そう言われても、三人の背は固いままだった。


給仕が料理を運んでくる。

焼いた肉、野菜の煮込み、パン。

どれも見慣れた料理だが、質が一段上だと分かる。


「……普通ですね」


ぽつりとミレイナが言う。


セリアは肩をすくめた。


「戦の準備をしてる家の食卓なんて、そんなものよ」


その言い方に、三人の箸が一瞬止まる。


「ほら、今日は仕事の話しないって言ったでしょ」


セリアは苦笑した。


「じゃあ、代わりに聞かせて。三人のこと」


エルザが少し驚いた顔をする。


「……私たちの?」


「ええ。どうしてここに居るのか、じゃなくて」


視線を一人ずつ向ける。


「どんな毎日を送ってるのか」


最初に口を開いたのは、マリナだった。


「……工場と家の往復です。忙しいけど、今は仕事があるだけで有難い」


ミレイナも続く。


「店は人が増えて、毎日てんてこ舞い。でも……前より、変な客が増えました」


エルザは少し間を置いてから言った。


「畑は順調。でも、人が増えると噂も増える。良い話も、悪い話もね」


セリアは黙って聞いていた。

評価するでも、否定するでもない。


「それが“今の領地”よ」


食事が進むにつれ、少しずつ空気が緩む。


ミレイナが、意を決したように尋ねた。


「……奥様は、怖くないんですか?」


セリアはナイフを置いた。


「怖いわよ」


即答だった。


「だから準備する。怖くないふりをする人ほど、危ないもの」


エルザが小さく笑う。


「変ですね。貴族様って、もっと強がると思ってました」


「それは表の顔」


セリアは軽く言った。


「ここは裏でも表でもない。ただの食卓よ」


食事が終わり、デザートが出る。


甘い香りが、緊張の残りを少し溶かす。


セリアは立ち上がり、告げた。


「今日はこれで終わり。判断は急がせない」


扉の方へ歩きながら、振り返る。


「でも覚えておいて」


三人の視線が集まる。


「今こうして同じ食卓を囲んだ時点で――もう、全くの無関係ではないわ」


その言葉だけを残し、セリアは部屋を出た。


残された三人は、しばらく誰も動かなかった。


温かい料理と、穏やかな時間。

それが逆に、重く胸に残っていた。


選ぶ前の夕食は――

逃げ道を、少しだけ見えにくくする。

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