最初に頷いた者
部屋の空気は、重かった。
セリアの言葉は柔らかい。
だが、その意味は鋭い。
「影から、守る……」
誰かが小さく呟いた。
セリアは急かさない。
椅子に腰掛け、ただ三人を見ている。
最初に沈黙を破ったのは――
バツイチの農家、エルザだった。
「……それって」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「表じゃ出来ない事、って意味だよね?」
セリアは否定しない。ただ、目を細めた。
「ええ。表に出せば、壊れるものもあるわ」
「……やっぱり」
エルザは小さく息を吐いた。
市場で目を覚ました朝。覚えのない肉。
整えられた荷物。――あれが、答えだったのだ。
「私さ」
エルザは自嘲気味に笑う。
「ここの領地は住みやすい」
視線を上げる。
「守るって言うなら……今度は、奪われる側じゃなくて、奪わせない側に立ちたい」
一瞬の沈黙。
二人が、エルザを見る。
飲食店の店員――ミレイナは、唇を噛んだ。
「……簡単に言わないでよ」
震えた声。
「私、怖い。正直、すごく怖い」
それでも、続ける。
「でも……何も知らないまま、また巻き込まれる方が、もっと嫌」
食品加工場勤務のマリナは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「選ばれた理由は、まだ聞かない」
三人の中で、一番冷静な声だった。
「でも……選ばれなかった“誰か”を守る為、って言うなら」
視線をセリアに向ける。
「話くらいは、聞く価値がある」
セリアは、ゆっくりと頷いた。
「ありがとう」
その一言に、重みはない。
だが、嘘もなかった。
「今日は、ここまで」
立ち上がり、告げる。
「役割も、名前も、まだ渡さない。明日までに――それを選んでもらうわ」
扉が開く。
「その時に、改めて決めなさい」
守る側に立つか。
それとも、何も知らなかった昨日に戻るか。
三人は、答えを持たないまま――
だがもう、同じ場所には戻れない事だけは、分かっていた。
エルザは、眠れなかった。
正確には、横にはなっていた。
だが、目を閉じるたびに、昼間の市場の光景が浮かぶ。
袋の重さ。覚えのない肉。家の前に、きっちりと揃えられた買い物。……あれは、警告じゃない。
何度も、そう言い聞かせる。
警告なら、もっと乱暴に出来たはずだ。
黙って攫い、黙って消すことも出来た。
でも、そうしなかった。エルザは天井を見つめる。
「守る側に立ちたい」
あの言葉は、勢いじゃなかった。
奪われた過去も、見て見ぬふりをしてきた自分も――全部ひっくるめての、本音だった。
怖い。それでも。
……明日、同じことを聞かれても。
答えは、変わらない気がしていた。
ミレイナは、途中で目を覚ました。
寝汗で、背中が冷たい。
夢を見ていた。料理を運ぶ途中で、床が抜ける夢。いつもの悪夢だ。何かを落とす。
何かを壊す。そして、責められる。
私、怖いって言ったよね。布団の中で、ぎゅっと手を握る。
怖い。それは今も変わらない。
でも――
何も知らないまま、巻き込まれる。
あの言葉を思い出すたび、胸が締め付けられた。選ばれた、ってことは。
理由は分からない。でも、無作為じゃない。
「知らない方が安全」
それは、もう通用しない世界に足を踏み入れている。
ミレイナは、ゆっくりと息を吐いた。
……聞くだけ、なら。それくらいは、許されるはずだ。そう、自分に言い聞かせて、再び目を閉じた。
マリナは、最後まで起きていた。
灯りを落とし、机に肘をつき、ただ考える。
影から守る。
その言葉は、曖昧だ。だが、曖昧な言葉ほど、核心を隠している。
選ばれた理由。選ばれなかった人。
そして、選ばせる、というやり方。
あの人は、信用させようとしていない。
それが、逆に不気味だった。条件を提示しない。待遇も、未来も、語らない。
でも……嘘は言っていない。
マリナは、指先で机を叩く。
守る。その為に、どこまでやるのか。
……明日、聞こう。答えを出す前に、問いを投げる。それが、自分のやり方だ。
灯りを消す直前、ふと、思う。
もう戻れない、ってのは……多分、本当。
静かな夜だった。
三人は、同じ空の下で、それぞれ違う形の「一歩手前」に立っていた。
――そして、朝は必ず来る。




