差し出された依頼
王都、貴族街の一角。
普段なら使用人の出入りすら制限される屋敷に、今日は珍しく人の影があった。
「……本日は、お時間を頂き感謝する」
そう切り出したのは、街道整備を任されていた貴族の代表格だった。
かつては胸を張って歩いていた男も、今は背筋がわずかに丸まっている。
対するアステリア側の応接は静かだった。
書類に目を落としたまま、淡々と話を聞く。
「街道整備の進捗が芳しくない件については、既に把握しています」
その一言で、相手の喉が小さく鳴った。
「……弁明は、しない」
貴族は深く息を吐き、続ける。
「我々は、金も権限も持っていた。
だが現場を知らず、人を軽んじた。結果がこれだ」
沈黙。
「そこで――」
男は、用意してきた書類を差し出した。
「アステリアに、街道整備の実務を依頼したい。名義は、我々の責任のままで構わない」
空気が、わずかに張り詰める。
「随分と都合の良い話ですね」
アステリア側の若い貴族が、感情を交えずに言った。
「失敗の責任は保持したまま、成果だけを欲しい、と聞こえますが」
「否定は出来ない」
即答だった。
「だが、このままでは街道は完成しない。
それは王都にとっても、我々にとっても致命的だ」
男は視線を上げる。
「……条件は?」
アステリア側が、初めて顔を上げた。
「第一に、現場への全面的な裁量権。
指示への口出しは一切不要です」
「承知した」
「第二に、予算の透明化。横流し、帳簿操作は禁止。全てこちらで管理します」
一瞬、貴族の表情が強張る。
だが、頷いた。
「……受け入れる」
「第三に」
間が置かれる。
「これは、あくまで“委任”ではなく、失敗の是正を引き受けるという形になります」
「つまり?」
「街道が完成した場合、功績は“王都全体の成果”として扱います。特定の貴族の手柄にはなりません」
その言葉は、容赦がなかった。
男は、しばらく目を閉じ――
「……それで構わない」
そう答えた。
「今は、名よりも結果だ」
アステリア側は、静かに書類を受け取る。
「では、この件は王へ報告します」
立ち上がりながら、付け加えた。
「勘違いなさらないでください」
「我々は、あなた方を助ける為に動くのではありません」
貴族は、苦く笑った。
「……王都の為、か」
「ええ」
「そして――」
少しだけ、声が低くなる。
「失敗が許されない立場に立つ覚悟が、あるかどうかを見る為です」
その言葉に、返答はなかった。
ただ、失敗貴族の肩は、以前よりも小さく見えた。
こうして、街道整備を巡る流れは、正式にアステリアへと傾き始めた。
そしてこの動きは、間もなく――
王自身の判断を呼び起こすことになる。
降格貴族の屋敷で起きた事
屋敷は、静かすぎた。
いつもなら朝から動いていた使用人の足音も、中庭での指示の声も、今日は聞こえない。
「……もう、来ないのか」
元男爵は、書斎の椅子に深く腰を沈めたまま呟いた。
机の上には、王命の写し。
爵位降格、権限剥奪、街道事業からの完全排除。そして――嫡男の廃嫡。
扉の外で足音が止まる。
「旦那様……」
入ってきたのは執事だった。
だが、その顔には疲労よりも、別の色が滲んでいた。
「使用人の半数が、契約解除を願い出ております」
「……そうか」
怒りは、もう湧かなかった。
「それと……機構より、信用枠の再査定が入るとの事です」
金が止まる。屋敷が縮む。名が消える。
それが、王の出した答えだった。
「街道を、アステリアに正式委任――この一文が、決定打でしたな……」
元男爵は目を閉じた。
「……あの女領主め」
ぽつり、と漏れた言葉は、誰に聞かせるでもなく、しかし確かな憎悪を含んでいた。
「失礼ですが……」
執事が声を落とす。
「昨夜、来客がありました」
元男爵は、ゆっくりと目を開く。
「誰だ?」
「名は名乗らず。ただ、“同じ立場になった者達が集まっている”と」
空気が変わった。
「……続けろ」
「王のやり方は行き過ぎている。功績ある旧貴族を切り捨て、新興に力を集めすぎている――そう申しておりました」
元男爵の口元が、わずかに歪む。
「場所は?」
「旧市街の外れ。今は使われていない商館だそうです」
沈黙。
「……誰が居る?」
「街道整備を任された者、港整備から外された者、兵を出さなかった事で冷遇された者……」
執事は、一瞬だけ言葉を詰まらせてから続けた。
「皆、今は“失敗貴族”と呼ばれている方々です」
元男爵は、椅子から立ち上がった。
「ふん……」
窓の外を見る。王都の屋根が、遠くに見える。
「何もせずに、全てを奪われたままで終われと?」
声は低く、しかしはっきりとしていた。
「王は、我らが黙って消えると思っているのだろう」
執事は何も答えない。だが、止めもしなかった。
「息子は?」
「……部屋におります」
「今は呼ぶな」
廃嫡された息子に、この話をするつもりは、まだ無かった。
「まずは――話を聞くだけだ」
それは、言い訳だったかもしれない。
だが、踏み出す理由としては十分だった。
その夜、王都の灯が落ち始める頃。
使われていない商館に、幾つもの馬車が静かに集まっていた。
表では、没落した貴族。裏では、怒りと焦燥を抱えた者達。
まだ、剣は抜かれない。だが――
「何もしなければ、終わる」
その共通認識だけが、確かに彼らを繋ぎ始めていた。




