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階段から転落して思い出しました!89歳まで生きた私、今度の人生は異世界で半島領の次女です  作者:


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世界商品登録機構・アグライアの動く日

世界商品登録機構・総責任者アグライア=ホルンベルグは、執務室で分厚い書類の束をぱたりと閉じた。


「……あのちっこいの、やりやがったわねぇ」


机に積まれているのは、例の少女――メイヤが提出した五つの提案。そのうち今日確認したのは四点。

1.簡易手押しポンプの構造図

2.天然酵母づくりの実験手順

3.九九表の下書き

4.簡易そろばんの斜視図


九九とそろばんは机上で完成図が描ける。問題は一と二だ。

そしてその“問題”は――もう解決されてしまった。

アグライアは、机の端に置かれた試作品の報告書と、皿の上に残っている焼き立てパンの欠片を眺めて鼻を鳴らした。


「はッ……本当に水、汲めちゃったじゃないの」


簡易手押しポンプの試作品は、若手技師二人と老工匠の三人で半日。

構造は単純、部品点数も少ない。組み上げ後の動作確認では、井戸から水を“押し上げる”という動作が、誰にでも目で分かるほど軽快だった。


そして二つ目。


「……このババアがスープに浸さずパン食べるなんて、いつ以来よ」


天然酵母の試食。

酵母の培養手順書は、文字も図もやけに丁寧で、素人でも段取りがわかる構成だった。調理工房の職人たちが試行錯誤しながら焼いた試作パンは、香ばしく、ふっくらし、口の中にほのかな酸味と甘味が広がる。


アグライアは、ひひひ、と喉の奥で笑った。


「こりゃあ……市場、大荒れだわ。ひぃひぃひぃ」


美味いパンの普及は、王都だけでなく地方の食生活すら変える。

井戸への依存が緩和され、女・子どもの水汲み労働が軽くなる。

九九とそろばんは教育の基礎を底上げし、度量衡表案が通れば商取引全体が整う。


――これは世界が変わる。数十年ぶりの“大仕事”だ。


アグライアは机から勢いよく立ち、窓の外へ視線を投げた。遠くに王都の街並みが伸び、煙突の煙が上がり、人々の生活が続いている。


「さて……群がってくるゴキブリ共(商人ども)を追い払わなきゃね」


このレベルの新商品が出れば、金の匂いを嗅ぎつけた商人たちが必ず押し寄せる。

だが今回は、アグライアが方針を決めた。


「下品な利ざやだけ狙う商会は全部無視。こっちから“工場”を選んで打診する」


量産体制を整えられ、規格を守れ、価格も安定できる―

本当に実力のある工場だけに、製造の権利を与える。


普及を優先するため、製造単価は機構側で決める。

欲をかかずとも工場は利益を出せ、買う側も手が届く価格。


「世界商品登録機構が価格を決めるなんて、ほんと……何十年ぶりだったかねぇ」


アグライアは書類を手早く仕分けしながら、にやりと笑った。


「メイヤだったか。あのちっこいの、やっぱりただ者じゃないねぇ……」


セレスティア学園長の話を聞いたときは鼻で笑った。

しかし、提出された図面・計画書・下書き――どれも筋が通っており、論理に齟齬がない。

何より、子どもの発想にありがちな“夢物語”ではなく、再現可能な“現実的技術”だけが並んでいる。


(あの小さな手で……どんな未来を描いてるのかね)


アグライアは椅子に腰を下ろし、書類にサインを走らせた。


「……よし。工場リストを三つまで絞る。午前中に使いを飛ばして、午後には面談。文句言う暇、与えないわよ」


そう呟いた瞬間、執務室の扉がノックされた。


「総責任者様、王都商工会と北部工業組合から“緊急面会”の申し出が——」


アグライアは即答した。


「全部断りなさい。向こうから来るなら放っときな。うちは“いい工場”だけ選ぶのよ。この建物内にも既にゴキブリ共も侵入してたか」


「……承知しました!」


返事が下がり、扉が閉まる。


アグライアは、机の上の試作品報告書をひとつひとつ指で叩きながら、大きく息を吐いた。


「はぁ……忙しくなるわね。神経すり減るわよ、まったく」


でも、その口元は笑っていた。


「――こういう仕事が、一番好きなのよ。ひひひ」


ババアは立ち上がった。


世界が動き出す、その中心にまた自分が立てる。


久しぶりに全身の血が騒ぐ感覚がした。


「さて……こっちも本気を出すとするかね。メイヤちゃん?」


その呟きは誰にも聞こえない。

しかし確かに、ひそやかな熱と期待を孕んでいた。


世界商品登録機構の重鎮、アグライア=ホルンベルグ。その老獪な意志が、世界に大きな波紋を広げようとしていた。

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