肩書きよりも見る目
「ちょっと良いかしら?」
少し離れた場所から、聞き慣れた声が飛んできた。
「連れて来たわよ!!」
振り向くと畜産男爵が三人の男女を引き連れて立っていた。
年の頃はまちまちだが、共通しているのは、全員が周囲をよく観察している目をしていることだ。
「おう。お前入れて四人か」
アステリアは軽く数を確認し、懐から数通の書面を取り出した。
「それなら、これだ。紹介状を書いてある。向こうの男爵……じゃなかったな」
一瞬だけ言葉を切り、ニヤリと笑う。
「子爵になってる」
「……あら?」
畜産男爵が一瞬だけ目を丸くする。
「そうなのね。まあ良いわ」
肩をすくめ、あっさりと言った。
「そんな肩書き。私は私だしね」
連れてきた三人が、内心で息を呑むのが分かった。普通なら、その一言で場が固まる。だが、ここでは違った。
「次の戻りの船に乗りな」
アステリアは、事務的に指示を出す。
「現地を見て、聞いて、触ってこい。紫石も、船も、工場もだ。頭だけで判断するなよ」
「解ったわ」
畜産男爵は紹介状を受け取り、大事そうに畳む。
「ここで少し待たせてもらうわよ。船の準備が整うまで」
「ああ。好きにしてろ」
そう言って背を向けかけたアステリアが、ふと思い出したように付け足す。
「言っとくが――」
ちらりと振り返り、意味深な笑みを浮かべる。
「向こうじゃ、“貧乏領”なんて言葉は、もう誰も使ってねーからな」
畜産男爵は一瞬きょとんとし、そして小さく笑った。
「……ますます、見に行く価値がありそうね」
船着き場では、帆のない船が静かに蒸気を吐いていた。
誰もがまだ気づいていないが、この視察は――
彼女自身の領地の運命を、大きく変える第一歩になるのだった。
甲板に立ったまま、畜産男爵は思わず海面を見下ろした。
「……この速度は……」
水を切り裂く音が、これまで知っているどの船とも違う。
波が追いつけず、後方へと引き千切られていく。
「この船底を見せてもらいましたが」
同行している技術者の一人が、慎重に言葉を選びながら続ける。
「紫石を機械に投入して火を焚いていました。
その熱で水を沸かし、水蒸気にして……圧力を、うんたらかんたら……」
「……説明は受けたけど」
畜産男爵は素直に首を振った。
「まだ理解出来ないわね」
「はい。申し訳ございません」
技術者も苦笑いを浮かべる。理屈は聞いた。だが、実感が追いつかない。
畜産男爵は再び前方を見る。
「でも、この速度……かなり出てるわよね?」
「はい。恐らく風に上手く乗った時以上です。
帆走船とは別物と考えた方が……」
その時、操舵手が何気ない調子で口を挟んだ。
「貧乏領地まで、あと一時間半くらいですかね」
「……え?」
畜産男爵が思わず聞き返す。
「そんなに速く!?」
これまでなら、半日、下手をすれば一日仕事だった距離だ。
「はい。この船なら」
一瞬の沈黙。
そして、畜産男爵はゆっくりと笑った。
「……着くのが、楽しみだわね」
その目は、もう“視察”では終わらない予感を帯びていた。
この船、この石、この領地――
どれも、自分の常識を根こそぎ塗り替える気配がしていたからだ。
甲板の下で、紫石が静かに燃えている。
それはまだ、王都の誰も理解していない未来の鼓動だった。




