帆なき船、飛ぶ文
「ちょっと!!あの船、何よ?」
港に響く、やや刺のある声。
振り向かなくても、誰だか分かる。
「あー?……何だよ、畜産男爵」
「その名前で呼ぶなっ!!」
畜産男爵――もとい女領主は、腕を組んで港に停泊する一隻を睨みつけていた。
「ほら!あの帆の無い船よ!」
「あー、あれか。例の船だ」
帆柱のない、異様に低い船影。
甲板には帆装の名残もない。
「紫石を燃料に?……ってやつね」
女領主は首を傾げる。
「正直、いまいちピンと来ないわね」
「まぁな。見た目じゃ分からん」
アステリアは肩をすくめた。
「しかしお前、こんな所に居ていいのか?領内に戻って、やる事あるだろ」
「もう連絡は取ってるわ」
「……は?」
思わず聞き返す。
「どうやってだ?」
女領主は、得意げに鼻を鳴らした。
「伝鳥を使ってるのよ」
「……デンチョウ?」
「私の領地で育ててる鳥よ。帰巣本能を利用して、小さい手紙を運ばせてるの」
「ほぉ……」
アステリアは感心したように唸る。
「そんな技術があるのか」
「余り知られてないわ。うちも機密に近い事、色々あるからね」
港の喧騒の中、二人の会話だけが少し浮いている。
「……んで?」
アステリアが、少し声を落とす。
「紫石の使い方、詳しく知りたいか?」
女領主は一瞬だけ間を置いた。
「……まあ、気になるわね」
正直な答えだった。
「俺も細かくは説明出来ねぇ」
アステリアは、紫石燃料船にちらりと目を向ける。
「だからよ。フェルナード領へ視察に行く気はあるか?」
「フェルナード領?」
女領主の眉が跳ね上がる。
「……確か、ビンボーで有名な?」
「ぷっ」
アステリアは吹き出した。
「まぁな。あそこはそれで有名だ」
「……大丈夫なの?」
「見りゃ分かるさ」
少しだけ真面目な目になる。
「行くなら、橋渡しはしてやる。ただし――領地から技術者か、学のある奴を連れて来い」
「…………」
女領主は腕を組み直し、しばし黙り込む。
「……考えておくわ」
完全な否定ではなかった。
そして、思い出したように言う。
「それより、また連れて来たから。買い取って」
「あいよ」
即答だった。
港に並べられる家畜を見ながら、アステリアは内心で笑う。
――もう、巻き込まれてるな。
帆の無い船。
飛ぶ文。
知らなかった技術。
世界は、思っているよりずっと広い。
そして一度覗いたら、もう戻れない場所がある事を――
畜産男爵は、まだ知らないだけだった。
港を離れ、馬車に揺られながら――
畜産男爵は、先ほどの会話を反芻していた。
「……あの貧乏領へ行け、か」
フェルナード領。
名だけなら、散々聞いてきた。
辺境、寒村、金にならない土地。
そういう評価ばかりが先行している場所。
「正直、意味が分からないわね」
小さく呟く。
だが――。
紫石。
帆の無い船。
資金を惜しみなく即金で出す姿勢。
「……それほど、って事なのよね」
理屈より先に、肌で分かる。
あの女は、思いつきで動いていない。
「考えても仕方ない、か」
ため息ひとつ。
馬車の中で、顔を上げる。
「爺」
「はい」
「伝鳥を出しなさい。さっきの話、聞いてたわよね?」
「勿論でございます」
老執事は、落ち着いた声で答えた。
「技術者を呼び寄せますか?それとも学のある者を?」
「……両方ね」
畜産男爵は、即断する。
「二、三名ずつ。次の輸送に間に合わせて」
「承知しました」
老執事は一礼し、すぐに手配へ向かった。
馬車の揺れが、少しだけ心地良く感じられる。
「……」
窓の外を見つめながら、畜産男爵は小さく笑う。
「貧乏領、ね」
どうやら――世間がそう呼ぶ理由そのものが、既に古いのかもしれない。
知らない世界は、いつも静かに扉を開く。




