空いた椅子の重み
エドラン侯爵は、執務机に肘をつき、深く頭を抱えていた。
食料品は――
ようやく、回り出した。
完全ではない。
多少、不足気味の品はある。
だが、暴動や買い占めが起きる段階は、確実に越えた。
ロウルからの船は、間違いなく助けになった。あの輸送量、あの速度。正直、想定以上だ。
「……だがな」
問題は、そこではなかった。
今回の内乱で、大貴族や大商人の一部が消えた。処刑、失脚、強制労働、逃亡。
理由は様々だが、結果として――空きが出ている。
その空きを、虎視眈々と狙う連中がいる。
「……ここが一番、厄介だ」
様子見を決め込んでいた連中。
危機の最中、動かなかった者達。
今になって、顔を出し始めている。
「この空きに、あいつらが入れば……」
結果は、目に見えている。
同じ事の繰り返しだ。
搾取。
怠慢。
責任の先送り。
それを思えば――
庇護下に入りたいと頭を下げてくる小貴族や小商会の方が、まだマシに見えてくる。
「それだけの小麦を運ぶ手立てがあるなら……」
机を、軽く叩く。
「危機の時にも、動けたはずだろうが」
今になって持ち込まれる食料。
今になって出される善意。
「遅いんだ」
それに加えて、第一区画の復旧。
仕事を振り分けようとしても、手を挙げる貴族は少ない。
危険で、手間がかかり、儲けが薄い。
そういう仕事には、誰も近寄らない。
「楽をして、上に上がろうとする貴族共は……」
根深い。想像以上に。
エドラン侯爵は、長く息を吐いた。
「……はぁ」
その時、ふと――
脳裏に、ひとつの顔が浮かんだ。
薄らと笑う、少女の顔。
計算ずくなのか。
それとも、無自覚なのか。
「……何故だ」
思い出すのは、いつもあの表情だ。
「メイヤ……か」
港を動かし、物流を動かし、それでいて、決して前に出過ぎない。
空いた椅子に無理に座ろうとしない。
「……厄介なのは、ああいうのかもしれんな」
エドラン侯爵は、再び書類に目を落とした。
王都は、まだ立ち直りの途中だ。
そして――次に何を選ぶかで、未来が決まる。
その重さを、理解している者は、まだ少なかった。
かと言って、何もせずに座している訳にもいかない。
エドラン侯爵は、椅子の背に深くもたれ、天井を仰いだ。
「……会いに行くか」
向かう先は決まっている。
アステリア・ロウル。
港に近いその区画は、王都の中でも異様なほど整っていた。
「ほう……」
倉庫は区分けされ、通路は確保され、積み上げられた物資は種類ごとに整理されている。
どこに何があるか、一目で分かる。
「流石だな。整理整頓が徹底されている」
第二区画を任せている、再編されたばかりの商人達とは、やはり一線を画している。
もっとも、彼等も彼等で必死に動いている。
混乱の中、前へ進めているだけでも評価すべきだろう。
「……アステリアは居るか?」
「えっ!? は、はい! 今お呼びします!」
慌てて走る使いを見送り、侯爵は周囲を見渡した。
「……なんだ」
少しして現れた男を見て、記憶を辿る。
「あー……確か、前に会ったな」
「姉さん! 侯爵だ!」
「……あー? 何の用だ?」
相変わらず、飾り気の無い態度だ。
「忙しいところ悪いな。第一区画の件だ」
「第1地区?」
アステリアは、少し考える仕草を見せる。
「そういや、あそこ……まだ手付かずだったな?」
「まあな。こちらも手をこまねいていてな」
エドラン侯爵は、真っ直ぐに告げた。
「そこでだ。復旧の指揮を取ってもらえぬか?」
一瞬、沈黙。
「……んー」
アステリアは顎に手を当てる。
「まあ、いいが」
来たな……
エドラン侯爵は内心で溜息をつく。
使用権利か、管理権か……どうせ、その辺りだろう。
だが、次の言葉は予想と違った。
「その代わり――復旧のみだぞ」
「……は?」
「建物と道を整えるところまで。それ以上はやらん」
「……使用権利は?」
「そんなもん貰ったら、俺が港の半分以上を押さえる事になるだろ」
アステリアは、肩をすくめる。
「そんな危険な真似、する気はねぇよ」
「……」
「まあ、倉庫が一杯になったら、借りるかもしれんがな?」
思わず、エドラン侯爵は小さく笑った。
「……ふふ」
どいつもこいつも。
任せたいと思う連中ほど、周囲をよく見ている。
「それで構わぬ」
侯爵は頷く。
「一部、手を挙げている貴族達をまとめ上げ、その指揮を頼む」
「了解だ」
短く、だが迷いの無い返事。
「任されたぞ」
エドラン侯爵は、その背を見送りながら思う。
――空いた椅子に座りたがる者より、
――座らない選択をする者の方が、
――よほど、信用に値するのだと。




