老後のための戦争準備
アステリアは資料を抱えたまま、メイヤの前に立っていた。
「報告だ。船に取り付けたバリスタ、例の筒の訓練、樽の訓練――全部終了した」
「そう。早かったわね」
「正直なところだな……やべー物ばかり作ったな」
アステリアは肩をすくめる。
「本当は、そんな物より他に時間を割きたかったわよ!この変な戦いを早く終わらせない限り、ずっと付き纏われるのも嫌だし〜」
「まあ、そうだな」
メイヤはあっさりと頷いた。
「私の老後安泰生活を邪魔する者は、排除しないと」
「老後って……お前さん、まだ――」
そこまで言いかけて、アステリアは言葉を飲み込んだ。
まさか……そこまで先を見て?
背筋に、ぞくりと武者震いが走る。
「それから船員さんにもクロスボウを配布した。即実戦で使えるだろ。夜間訓練で慣らしてる」
「ありがとう。うちの方は隊長から通達が行くはずよ」
メイヤは一度資料を閉じ、立ち上がった。
「私はナータさんと話してくるわ」
ナータは、訓練場の端で書類を整理していた。
「ナータさん。少し時間、よろしい?」
「ええ。構いません」
メイヤは懐から文を取り出し、ナータに差し出した。
「この文を、領主様に届けて欲しいの」
「……文?五本も?」
「どのルートを使ってもいい。ただし五本まとめてはダメよ」
ナータは一瞬、眉をひそめる。
「私たちの事を……ご存じなんですね」
「ええ。貴女方なら、緊急時に文を回せる段取りは整えているでしょう?」
「……内容は?」
「全部同じ。確実に届ける事が第一目標よ」
ナータは文を受け取り、静かに息を吐いた。
「……理解しました」
メイヤは声を落とす。
「それと、ここからは極秘よ」
ナータの視線が鋭くなる。
「我領は、ロウル領と協力して進軍するわ」
「――っ!?」
一瞬、言葉を失うナータ。
「貴女は、ここで待機命令」
「な……!?」
「理由は解るでしょう?」
メイヤの声は、淡々としていた。
「面倒事を増やしたくないの。これ以上ね」
ナータは唇を噛みしめたが、やがて深く頷いた。
「……了解しました」
「文は任せたわよ」
メイヤはそう言い残し、踵を返す。
ナータの手には、重みのある五本の文。
その意味を、彼女は誰よりも理解していた。
――ここから先は、選ばれた者だけの戦いだという事を。
船員達、学生達の手にもクロスボウが手渡されていた。
それは単なる武器の支給ではない。
クロスボウは、まだ正式には世に出ていない極秘兵器だ。
その存在を知る者も限られ、ましてや扱う事を許される人員は、厳しく選別されてきた。
それが今――
他領の船員、学生達にまで配られている。
それはつまり。
「また使う段階に入った」
という、無言の通達だった。
学生達は多くを語らない。
誰も「何が始まるのか」と口にしない。
だが、手にした武器の重みが、それを十分に伝えていた。
夜間訓練。
音と炎に慣らされる馬。
市街戦を想定した建物。
謎の扉からの一斉降車訓練。
そしてクロスボウ。
点だった準備が、いつの間にか一本の線として繋がり始めている。
船員達は黙々と弦を張り、学生達は構えを確認し、隊長達は一言も無駄を挟まず修正を入れる。
「もうすぐだ」
誰も口にしないその言葉が、訓練場の空気として、確かに存在していた。
それでも――
訓練は順調だった。
驚くほどに、静かで、無駄がなく、淡々と。
まるで皆が最初から「こうなる事」を知っていたかのように。
夜明け前の空気が、少しずつ変わり始めている事に、誰もが気づきながら、誰一人として立ち止まる者はいなかった。




