普通の速さ、普通の覚悟
「ナータ様!」
「どうしたの、爺?」
爺は息を整える間もなく、一冊の分厚い資料を差し出した。
「届きました。戦史書で御座います」
「……え?もう?」
「はい」
「どうやって!?」
ナータの声が一段高くなる。
「ナータ様の馬は走らせておりませぬ」
「は?」
「出入りしている商人から買い取りました。走る道沿いの小さな村も含め、馬を乗り換え、乗り換え……」
爺は淡々と続ける。
「乗っていた者は寝ずに走り続けましたが、帰路は行きに使った馬に再び乗り換えて戻っております」
「…………」
爺は胸を張った。
「これが、爺の考えた“普通”で御座います」
「ぷっ……」
ナータの肩が震える。
「ぷぷ……あっははは!!」
堪えきれず、大声で笑い出した。
「成る程!これが普通か!!」
「左様です」
爺は少し誇らしげに頷く。
「ですからナータ様。“もう?”ではなく、“普通”で御座います」
「確かに!確かにそうだな!」
ナータは笑いながら資料を受け取る。
「これが普通……か。ああ、何となく実感してきたわ」
笑いが落ち着き、少しだけ真剣な声になる。
「基準の違い、ね。言葉で聞いても解らなかった。でも……体感すると、こうも違うのか」
「……」
「じゃあ、早速確認してみるか」
戦史書を開いた瞬間。
ナータと爺の顔色が、みるみる青ざめていった。
「……なに、これ」
書かれている内容は、ナータの想像とまるで違っていた。
我が軍の動きは最低限。
戦場を実際に動かしていたのは――
この地の、“軍とも呼べない兵の組織”。
「爺……戦史が書き換えられる事は?」
「絶対に有り得ませぬ」
爺は即答した。
「これは資料。後々の戦いの参考となるものです。誇張や虚偽があれば、次の戦で必ず死人が出ます」
「……そう」
ページを捲る手が止まる。
「……しかも、二つ名?」
「誠に誉な事で御座います。しかも直接、付けられております」
「……」
ナータは静かに本を閉じた。
「一つ体験すると……何か一つが遠くなるな」
「体験、で御座いますか」
「ええ」
顔を上げ、はっきりと言う。
「よし!」
「?」
「爺。この地では、朝に運動をしていたわね?」
「はい。奥様、リディア様、アステリア様。時折ミュネ様と従事者男性の2名。それから“学生隊”と呼ばれる者達が主で御座います」
「……私も、明日それに参加する」
「誠で御座いますか?」
「ええ」
ナータの目に迷いは無かった。
「私も剣には自信がある。そう簡単に負けるつもりはないわ」
一呼吸置いて、少しだけ口角を上げる。
「誰かを挑発して、倒してみせる」
爺は一瞬だけ目を見開き、すぐに深く頭を下げた。
「では、参加の件は私から話を通しておきます」
「頼んだわ」
ナータは窓の外を見る。
“普通”を知るには、まだまだ足りない。
だが――その距離は、確実に縮まり始めていた。




