普通の向こう側
エドラン軍仮設司令部。
頭を抱えていたのは、総指揮官エドラン本人だった。
数週間が経過しているにも関わらず、戦線は未だに安定していない。
それもそのはずだ。
相手は正規軍ではない。
安定したかと思えば後方で火の手が上がり、
部隊を向かわせれば、そこに残るのは燃え跡だけ。
「……我々は消火隊か?」
この一帯に展開する他領主へは、既に何通も文を送っている。
だが返ってくる答えは、どれも同じだった。
――様子見。
恐らく、向こうも同じ状況なのだ。
下手に動けば消耗するだけだと、誰もが分かっている。
返事が来るだけ、まだ良い方。
敵とも味方とも断定出来ない存在を相手に、
誰も決断を下せずにいた。
このまま長引けば兵は疲弊する。
だが撤退も出来ない。
反乱を主導する者達は、それを承知でこの形を取っている。だからこそ、尚更たちが悪い。
「……はぁ~~」
深く息を吐いた、その時。
「領主様!!」
「ん?」
「ナータ様から、文が届いております!」
「そうか……」
差し出されたのは一通の手紙と、小さな箱だった。
「……小箱?」
嫌な予感が胸を過る。
蓋を開けた瞬間、エドランの表情が凍り付いた。
――切られた髪。
「なっ……!?」
人質か?それとも……裏切りか?
慌てて文を読む。
お父様。
さぞ驚かれた事かと思いますが、この男爵領の方々は非常に友好的で、私も自由に行動しております。
その髪は、私自身の不甲斐なさへの戒めです。つきましては――
最後まで読み終え、エドランは机に肘をついた。
「……一体、男爵領で何が起きているのだ、ナータよ」
髪を切るほどの“何か”。
それが事態を動かす兆しなのか、ただの娘の思い詰めか。
答えは、まだ見えなかった。
一方その頃――。
船改造計画は、最優先事項として進められていた。
人員も材料も惜しみなく投入され、作っては壊し、壊れては直す、その繰り返し。
そしてナータ自身も、新たな視点を得る中で、多くの事に気付き始めていた。
中でも、最も衝撃だったのは――動く鉄。
今まで工場地域の奥へ足を踏み入れた事はなかった。工場とは、物を作る場所。ただそれだけだと、思い込んでいたからだ。
だが奥で目にした光景は、その認識を完全に壊した。
鉄が、動いている。
紫石、木材、黒い粉――
大量の荷を引き、馬も使わず、疲れる様子もなく、淡々と進む。
人が操作している事も確認出来た。その時、不意に声を掛けられた。
「お嬢ちゃん?あれ、好きなのか?」
「ええ!凄いわね!」
「つい最近、動き始めたんだ」
「そうなのね!」
「熱心に見てたな。興味あるのか?」
「……ええ、まあ」
「そしたら、受けてみれば?」
「……受ける?」
「あー?お嬢ちゃん、難民の人か?」
「…………」
「あ、すまなかった」
「受けるとは?」
「あれを動かす人を募集してるんだよ」
「……へ?」
「学科試験と確か面接もあったな」
「そうなの?あれって、極秘の何かじゃないの?」
「極秘?だって誰も隠そうとしてないし普通に見えるだろ?」
――また普通!!その“普通”のせいで!!私は!!
「興味あるなら町の求人募集してる建物があるから見てみな。じゃあな、お嬢ちゃん!」
その背を見送りながら、ナータは唇を噛んだ。この頃にはもう、煌びやかなドレスは身に着けていない。
少し育ちの良い娘に見える程度の動きやすい服装だった。ナータなりに効率を求めて。
――普通。
その言葉が、今のナータには、何よりも重く突き刺さっていた。




