固定観念の向こう側
「爺!」
「はっ!」
ナータは即断したように踵を返した。
「領都へ行きます。付いて来てください」
「承知しました」
「気がついた事があれば、些細な事でもメモを。私も同じようにします」
「心得ております」
二人は並んで領都の通りを歩く。
朝の時間帯という事もあり、人の往来は多いが、どこか落ち着いている。
「如何ですか?」
爺が周囲を見回しながら答える。
「これと言って……特別な印象は受けませんな。普通の村?町?と言ったところでしょう」
「畑も?」
「小麦に大豆。あとは見慣れぬ野菜もありますが、地域特有の物でしょう」
「……そう」
ナータは眉を僅かに寄せる。
「違和感が、無さすぎるのよ」
「と、申しますと?」
「昨夜の夕食、砂糖の使い方、あの料理の数々。あれだけの“贅沢”があるなら、街並みに何かしら表れても良いはずなのに」
「確かに」
二人は歩みを進め、木の加工場の前で足を止めた。
「ここは……木工場、でしょうか?」
「建築用材の加工場と思われますな」
「この領の主産業は?」
「ゴアゴア紙と鉛筆です。我が領にも定期的に入ってきております」
「それだけでは……」
「大きな利益にはなりませんな」
ナータは工場を一瞥し、特に興味を示す事なく歩き出した。
木は人が切るもの。その考えが、無意識のうちに彼女の視線を限定していた。
——歯車が回り、蒸気が静かに吐き出されている事に、彼女は気付かなかった。
やがて広場に差し掛かる。
「あれは……リディア様ですか」
「はい。学生隊の指揮を執られているようですな」
訓練場では、年若い学生達を前に、凛とした姿の少女が指示を飛ばしている。
「まだ遊びたい年頃でしょうに……」
「責任を背負うには、少々早いかもしれませんな」
ナータの視線が、彼女の隣に立つ人物へと移る。
「……あの男装の女性が、アステリア様?」
「御迎えの際に同席されていた方ですな」
「何処かで……見たような気もするのだけど」
「ほぅ?」
「でも、男装の女性なんて、そう何人も居ないし……」
ナータは首を振る。
「気のせいね」
だが、それもまた一つの“見落とし”だった。
王都の夜会で、華やかなドレスを纏い、注目を集めていた女性と今、目の前に居る人物が同一である可能性を、彼女は最初から考慮していなかった。
人は、見たい形でしか物を見ない。
この領地が本当に隠しているものに、ナータが辿り着くまで、そう時間は掛からない。
——だが、この時点では、まだ。
領都の視察を終え、馬車へ戻る。
「如何でしたか?何か気づいた点は?」
私の問いに、爺は一拍置いてから頭を下げた。
「申し訳ございません。特にこれといった点は……」
「私も同じね」
領都は至って平和だった。
畑は普通、家々も普通。人々の表情も穏やかで、忙しなくもない。
「田舎の村?町?という印象ですな」
「ええ。変に活気があるわけでもなく、貧しさを誇張する様子もない」
極秘施設の気配もない。
監視されている感覚もない。
私達は自由に歩き、自由に見て回れた。
「何処かに極秘に隠している、という可能性は?」
爺は即座に首を横に振った。
「この人口規模でそれは考えにくいかと。隠すのであれば、行動制限を設けるはずですし、護衛と称して人を付けるでしょう」
「……確かに」
私達は放置に近い扱いだ。
歓迎はされているが、警戒されている様子は無い。
それなのに。
……なのに、何かがおかしい。
「爺」
「はい」
「この領地、貧乏なのよね?」
「帳面上は、そうなっておりますな」
「でも、領主館は改築され、食卓には砂糖を惜しみなく使った菓子が並び、木工場では人手不足を感じさせない稼働……」
言葉にしてみると、やはり噛み合わない。
「隠している、というより……」
「隠す必要が無い、と?」
爺の言葉に、私は小さく息を吐いた。
「ええ。そんな気がするの」
だからこそ、制限が無い。
だからこそ、警戒が無い。
「何かが“当たり前”になっている」
それは財か、技術か、それとも――人か。
馬車がゆっくりと動き出す。
窓の外、領都の人々は変わらぬ日常を送っている。
だが、その日常の中に、私達が知らない“前提”が混じっている気がしてならなかった。
……まだ、見えていないだけ。
私はそう結論づけ、静かに目を閉じた。
――この領地は、調べる価値がある。
それだけは、確かだった。




