噛み合い始めた歯車
「……何か、えらい事になってきたなぁ?」
詰所の隅。
壁にもたれながら、近衛隊長がぽつりと呟いた。
「聞き耳立ててる時点で行儀の悪い近衛だな?」
「悪かったな。でも気になるだろ」
視線の先には、機構関係の報告書の束。
その一番上に、太字で書かれた“速度”の項目。
「……しかし、本当なのか?その速度」
「恐らく本当だ」
腕を組んだまま答える。
「今回はな、速度を“規格化”しやがった」
「規格化?」
「しかもだ。今回は――お嬢ちゃんが絡んでねぇ」
一瞬、沈黙。
「……は?」
「だから余計に厄介なんだ」
近衛隊長は鼻で息を吐いた。
「仕組みの問題か?それとも……」
「ここからは、俺の考えだがな」
声を落とす。
「あのお嬢ちゃんが、今まで何をしてたか覚えてるか?」
「……歯車作り?」
「そうだ」
近衛は頷いた。
「歯車をな、一個一個、丹念に作ってた。場所も大きさも用途もバラバラで」
「ほう……?」
「それがな……一個や二個じゃねぇ。何十個だ」
指で空中に円を描く。
「それらが、今――少しずつだが、噛み合い始めてる」
「……!」
「学術員とタルトが、その一例だ」
「自分たちで……動き始めたって事か?」
「ああ」
近衛隊長は低く笑った。
「基準があれば便利だよな、って下地はもうあった。それは全部、お嬢ちゃんが敷いたもんだ」
「だから……」
「そう。『速度も分かりやすい基準があった方がいい』『誰でも見て分かる形にしよう』って話になった」
「……成る程な」
納得したように頷く。
「恐らく、これからだぞ」
「?」
「噛み合う速度が、どんどん上がる」
近衛隊長は遠くを見るような目をした。
「この速度。線路がなきゃ動かんが……完成した世界を想像してみろ」
「……」
「商人は、より早く、より多く荷を運ぶ」
「……」
「今やってる補給隊なんぞ、下手すりゃ一日で往復だ」
「!?」
「軍の在り方も――変わる」
「……そういう事か」
しばしの沈黙。
その後、ぽつりと。
「……でもさ」
「あ?」
「俺、一度でいいからさ」
近衛隊長はニヤリと笑った。
「あの蒸気機関車に乗って、速度ってやつを体で感じてみたいんだが」
「てめぇぇぇ!!」
即座に、後頭部に拳が飛んだ。
「何呑気な事言ってやがる!!」
「いってぇ!!」
騒がしくなる詰所の中で、誰も気付かない。
歯車は、もう止まらない音を立て始めている事に。
――そしてその中心には、今日も静かに書類を読む、小さな背中があった。




