揚げるという発想
今日ものんびり出来そうね。
窓から差し込む陽の光を眺めながら、私は椅子に深く腰掛けて小さく伸びをした。
戦もなく、会議もなく、報告書に追われる気配もない。こういう日が続くと、逆に何をしていいのか分からなくなるものだ。
「さて……何をしようかしら」
ふと思い浮かんだのは、食事のことだった。
最近は難民も増え、領内の人口も増え、食卓の重要性は以前にも増して大きくなっている。
食べることは生きること。美味しいものがあれば、心も少し前を向く。
「食事のレパートリー、そろそろ増やしてもいいわよね」
和食系は、だいたい再現出来ている。
炊き込みご飯、味噌風の汁物、煮物、焼き魚。
それらは以前、料理人たちにまとめてレシピとして渡してあるから、今では私が口を出さなくても安定して出てくる。
「……そういえば」
ふと、王都に滞在していた頃を思い出す。
「あまり……揚げ物って見なかったわよね」
焼く、煮る、蒸す。
それらはどこでも一般的だったけれど、油をたっぷり使って“揚げる”という調理法は、ほとんど見かけなかった。
油は貴重だし、管理も大変。
火加減も難しい。危険も伴う。
だからこそ、発想として定着していないのかもしれない。
「でも……」
不意に、記憶の奥から香りが蘇る。
衣のサクッとした感触。
中から溢れる肉汁。
噛んだ瞬間の満足感。
「……食べたくなってきた」
思わず小さく笑ってしまった。
「とんかつは……さすがに無理ね」
豚はまだ数が少ない。繁殖優先で、とても食用に回せる段階じゃない。
「なら……チキンカツなら?」
ピヨピヨ達――もとい鶏は、かなり増えていると聞いている。
市場にも出回り始めているし、領内でもチキンソテーや煮込みは普通に食卓に並ぶようになった。
肉の調達には、問題なさそうだ。
「油と……衣か」
小麦粉はある。卵もある。パン粉は……無ければ作ればいい。
「うん、出来そうね」
考えれば考えるほど、現実味が増してくる。
揚げ物が定着すれば、食事の満足度は跳ね上がる。油の使い方も広がる。
副産物として、調理技術そのものも底上げされる。
「これは……試す価値、あるわね」
私は椅子から立ち上がり、軽く身支度を整える。
「調理場に、声かけてみましょう」
失敗してもいい。
焦がしてもいい。
油を無駄にしてもいい。
それでも――
「美味しい、は正義だもの」
そんな当たり前で、でもこの世界ではまだ珍しい発想を胸に、私は調理場へ向かって歩き出した。
今日の領内は、きっと少しだけ油の香りがする。




