夜明け
見張り台の上で、兵士は目を細めた。
ん?
……馬車の音か?
静まり返った夜明け前の空気の中、微かに軋む車輪の音が風に乗って届く。数は……複数。こちらへ向かってきている。
「合図は?」
兵士が低く声をかける。
その直後、闇の向こうで松明が左右に振られた。
「あー……あれは」
隣にいた見張り役が肩の力を抜く。
「俺の部下だ。味方だな」
警戒用の鐘を鳴らしかけていた手が止まる。数拍置いて、門の方へ合図が送られた。
やがて、出城の門前に馬車が姿を現す。五台。御者も護衛も、全員が疲労困憊といった顔だ。
「お疲れさん」
迎えに出た機構隊の兵が声をかける。
「後はゆっくり……とは言わねぇがな。中に入って飯でも食って、少し休め」
「ありがとうございます……!」
御者の一人が、ほっと息を吐いた。
馬車はそのまま中庭へと引き入れられ、積荷の確認が始まる。
「……で、戦果は?」
機構隊長が腕を組んで覗き込む。
「補給馬車を五台。奪取できました」
「ほう」
布をめくると、中から現れたのは干し肉、穀物袋、塩、保存用の樽。
「全部……食料品か?」
「はい。武器や装備はほとんどありませんでした」
機構隊長は鼻で笑った。
「まあまあの戦果だな。これで向こうの敵部隊は、さらに腹を空かせる」
部下の一人が、苦笑しながら言う。
「まさか、お嬢ちゃんから“補給馬車を盗んで来い”って指示が飛んでくるとは思いませんでしたよ……」
「俺もだ」
機構隊長は短く笑った。
「正面で叩くだけじゃなく、後ろから削れってか。まったく、発想が柔らかすぎる」
夜が白み始め、東の空がわずかに明るくなる。
城内では、交代の兵が動き出し、簡素だが温かい食事が配られ始めていた。
「……さて」
機構隊長は、伸びを一つしてから言った。
「俺も少し休むか。夜明けまで持ち場を離れなかった連中が先だがな」
視線の先では、疲れ切った兵たちが食器を手に、地面に腰を下ろしている。
この夜で、確実に一つ分かったことがある。
敵はもう、余裕を失いつつある。
補給が削られ、情報は混乱し、敵部隊は思うように動けていない。
そしてこちらは、休息と食料を確保した。
夜明けの空気は冷たいが、不思議と重くはなかった。
嵐の前の静けさ――
だがそれは、敵だけに訪れる静けさではない。
「……次が、本番だな」
機構隊長は、昇り始めた朝日を見上げ、そう呟いた。
夜明け前の空気は、ひどく澄んでいた。
出城の中庭に立つと、吐く息が白く見える。
「……思ったより、静かね」
自分でそう呟いてから、少しだけ可笑しくなった。
嵐の前ほど静かなものはない、なんて言葉を前世で聞いた気がする。
私は歩きながら、壁際に並べられた火縄銃を見て回った。
木製の銃床。鉄の銃身。
派手さはないけれど、確実に“兵器”と呼べるものたち。
「火縄、湿ってない?」
「問題ありません」
答えたのは近衛の一人。
彼の後ろでは、選抜された射撃手たちが無言で準備を続けている。
装填役と射撃役。
交代動作。
受け渡しの距離。
立ち位置。
すでに何度も確認したはずなのに、私はもう一度、一つ一つを見ていく。
「撃ったら、考えないで渡す。合図はいらない。後ろは“来る前提”で受け取って」
「了解です」
「装填は急がなくていい。確実に。焦った火薬は、味方を殺すわ」
誰も反論しない。
冗談めかした言い方でも、その意味は全員が理解している。
私は次に、火縄銃の数を数えた。
――三十丁。
「多い、と思う?」
そう問いかけると、近くにいた機構隊長が鼻で笑った。
「逆だな。嬢ちゃん。足りないくらいだ」
「……よね」
本当は、もっと欲しい。
でも、今あるもので勝つしかない。
火縄銃は“万能”じゃない。
雨に弱い。
連射ができない。
扱いを誤れば、こちらが怪我をする。
それでも。
「弓やクロスボウより、心を折れる」
ぽつりと、私は言った。
機構隊長は、何も言わずに頷いた。
音。
煙。
倒れる速度。
それは戦いの形そのものを変える。
私は一丁を手に取った。
重さを確かめ、照準を合わせる仕草だけをして、すぐに戻す。
「……使いたくは、ないんだけどね」
誰に言うでもない独り言。
でも、次に来る敵は――
偵察じゃない。
小競り合いでもない。
「本隊、よね」
近衛隊長が静かに言った。
「ええ。たぶん、もう“様子見”は終わり」
ここまでで、敵は十分に混乱した。
偵察は潰れ、百名部隊は消え、補給は燃え、馬車は奪われた。
だからこそ。
「次は、“力で押す”」
私は視線を上げ、城壁の向こうを見る。
「それを止めるための、最後の確認よ」
火縄銃に視線を戻す。
――使えば、もう後戻りはできない。
――でも、使わなければ、ここは守れない。
「……準備は?」
「万全です」
短い返答。
迷いのない声。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「じゃあ、夜が明けたら合図を出すわ」
誰かが、軽く息を呑む音がした。
「火縄の使用は――私の指示があってから」
全員が、真っ直ぐこちらを見る。
「それまでは、今まで通り。出過ぎず、怯まず」
私は、ほんの少しだけ笑った。
「想定通りに、進めましょう」
夜明けの光が、出城の壁を淡く照らし始めていた。




