違和感という名の前兆
領主館の執務室は、静まり返っていた。
窓の外では、いつも通りの朝が流れている。市場の呼び声、荷車の軋む音、遠くで鳴る鐘。
だが、机に向かう領主の表情だけが、その日常から切り離されていた。
「……やはり、増えているな」
彼の前には、数枚の報告書。
どれも一見すれば些細な内容だ。
・倉庫での小規模な火災
・輸送途中の荷車の転倒
・積荷の帳尻が合わない
・運送人の急な欠員
どれも「事故」で片付けられる程度のもの。
だが、発生する場所と頻度が、あまりにも不自然だった。
「偶然にしては、揃いすぎている……」
領主は深く息を吐き、ペンを取った。
宛先は、東側――エドラン領。
交易路で深く結ばれ、ここ数年は特に関係を強めてきた相手だ。
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書簡・抜粋
近頃、我が領および周辺地域にて、物流に関する小規模なトラブルが散発しております。
いずれも単独では事故の範疇ですが、発生頻度と場所に規則性が見られ、意図的な妨害の可能性を否定できません。
現時点では被害は限定的ですが、事態が拡大した場合に備え、
・王族派への相互支持
・食料および物資の相互支援
・緊急時における可能な範囲での援軍
・各領地で確認された「違和感レベルの事件」の情報共有
以上について、相互条約の締結を提案いたします。
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書き終えた領主は、しばしペンを置いたまま動かなかった。
「……まだ、表には出てこないか」
この段階で「反乱」や「陰謀」という言葉を使うのは早すぎる。
だが、確実に“準備段階”の匂いがする。
そこへ、控えめなノック。
「失礼します。領主様」
入ってきたのは、機構隊長だった。
「北側の街道ですが……また一件、報告があります」
「燃えたか?」
「いえ。今回は荷車の車軸が折れています。加工痕が……自然ではありません」
領主は、静かに目を閉じた。
「……他領も、同じだろうな」
「はい。西側からも、似た話が少しずつ」
それは、まだ“点”だ。
だが、確実に線になり始めている。
その頃――
屋敷の別棟、作業部屋。
メイヤは、ゴアゴア紙に向かい、何かを書き留めていた。
図面でも、発明でもない。
「……物流を乱す。表でやればすぐ気付かれる。だから裏から、少しずつ」
独り言のように呟き、ペンを止める。
「これ、たぶん……一箇所じゃない」
彼女の前には、各地の地図。
小さな印が、点在している。
(同時多発。しかも、失敗しても構わない程度の規模)
それは、試し打ちだ。
本格的に動く前の、空気を探る行為。
メイヤは、紙を一枚取り、別の箱にしまった。
そこには、すでにいくつもの「もしもの案」が眠っている。
「……まだ、早い」
そう自分に言い聞かせるように。
だが、確信もあった。
(これは――準備が整った側が、次の段階に進む合図)
夕刻。
早馬が、東へと走り出した。
誰も騒がない。
誰も声を荒げない。
だが、水面下で、領と領が静かに結び直されていく。
日常は、まだ壊れていない。
しかしその下で、歯車は確実に噛み合い始めていた。
――“違和感”は、もう無視できない前兆だった。




