最初の異変 ――小さな齟齬は、必ず音を立てる
異変は、あまりにも些細な形で始まった。
「……おかしいな」
港の詰所で帳簿を確認していた港務官が、眉をひそめた。
「この船、入港時の重量と……出港時の重量が合わない」
書類は揃っている。
通行許可も正規。
積荷も申告通り――表向きは。
だが、差がある。
「積み下ろし、あったか?」
「いえ。記録上は一切」
港務官は、無言で別の帳簿を引き寄せた。
「……同じだ」
二隻目。
三隻目。
量はわずか。
だが、確実に「軽い」。
「誤差……じゃないな」
彼は静かに立ち上がった。
⸻
同じ頃。
西ルートを試験航行していた小型高速船が、予定より半日遅れて帰港した。
「遅かったな」
「……霧が出ました」
船長は短く答えた。
「急に濃くなって。視界が利かなくなった」
「嵐は?」
「いえ。風も波も問題ない」
それは、奇妙だった。
霧は珍しくない。
だが、この季節、この海域では。
「他に、何か?」
船長は一瞬、言い淀んだ。
「……遠くに、船影が」
「王都の船か?」
「……違います」
「旗が、見慣れませんでした」
それ以上、船長は語らなかった。
⸻
翌日。
物流管理の報告書が、執務室に積まれていた。
「西ルート、問題なし……だが」
文官は慎重に言葉を選ぶ。
「港湾側で、微妙なズレが」
「ズレ?」
「重量、航行時間、天候報告……どれも単体では説明がつく範囲ですが」
領主は、静かに頷いた。
「“揃いすぎている”?」
文官は息を呑んだ。
「……はい」
説明が“整いすぎている”。
偶然にしては、都合が良すぎる。
「調査は?」
「非公式で、始めています」
「表に出すな」
領主は即断した。
「今は“問題がない”のが、一番の武器だ」
⸻
その日の夕方。
学校の校庭では、子供たちが走り回っていた。
「せんせー!きょうのごはん、さかな!」
「おかわりあるー?」
平和そのものの光景。
だが、その外側。
丘の見張り台で、近衛の兵が双眼鏡を下ろした。
「……また、だ」
「何が見えた?」
「遠方の船影。距離を保って、こちらをなぞるように動いている」
「威嚇か?」
「……いいえ」
兵は、首を振る。
「観察、です」
⸻
夜。
機構隊長は、短い報告書を書いていた。
内容は、驚くほど簡潔。
・西ルートでの軽微な異常
・港湾記録との微差
・不明船影の目撃
最後に、一文。
※現時点での実害なし。ただし、意図的な可能性あり。
彼は封筒を閉じ、ため息を吐いた。
「……来たな」
だが、まだ。
これは警告でも、攻撃でもない。
ただの――試し。
相手は、こちらがどこまで気づくかを見ている。
そして。
こちらもまた、
どこまで“気づいているふりをしないか”を選んでいた。
校庭の笑い声は、夜になっても消えなかった。
だが、その上を流れる雲は、
確実に、形を変え始めていた。
最初の異変は、
まだ誰も傷つけていない。
それが、何よりも不気味だった。




