出涸らしモブとやさぐれ魔術師
勇者が魔王を倒し、世界に平和が訪れ、早十年。
かつては陥落寸前まで追い詰められたこの王都も平穏そのもの。
俺もいつものように、のんびりと礼拝堂の床を掃いていた。長椅子と長椅子の間を無心で掃く。
職場があるビルを淡々と掃除していた、お掃除ロボみたいに。
あの頃は俺もお掃除ロボみたいに、淡々と掃除だけする存在になりたいと思っていたなあ。
夢が叶ったのか、俺はこうして日がな一日細々とした雑事だけして暮らせている。
あっちにいた頃みたいに、胃をキリキリさせながら四六時中過ごす、ことはあまりなかった。
「レオ」
真後ろで声がした。
俺は慌てて振り返る。足音も気配もなかったぞ。
「院長」
俺と同じ黒衣に身を包んだおばさんがいた。この修道院のトップ、ダリナ院長だ。
その辺によくいる気のいいおばちゃんといった感じだが、教会の上層部に顔が効くらしい。よく知らないが。
ここの修道院は男女混合だ。大抵は男女別なのだが、そうなっている。
ダリナ院長は、長椅子の背もたれの上を、指でスーッとなぞった。
「埃が溜まっていますよ」
「いや、そこはこれからやろうと……」
箒が見えないか、この人。
「そうですか。では続きは帰ってきたらお願いしますね」
「はあ…… ん? 帰ってきたら?」
「ええ。お仕事ですよ、レオ」
俺の平穏はおしまいらしい。
******
俺はこの世界の人間ではない。
俺の本名は藍川怜央。令和の日本に生きていたブラック企業に勤める平凡な会社員だった。
ある日二十連勤を終え、フラフラと帰宅していたところ、歩道に突っ込んできた車にはねられた。
目が覚めたら、この世界にいた。
というか、この修道院にいた。
俺は生きていて、この世界に召喚された、らしい。
しかも召喚したのはダリナ院長らしい。
何なのあの人。
「あなたにはやらなければならないことがあるのです。あなたに授けられたその力で」
そう言われたとき、俺はチートスキルが自分に宿ったと思い、テンションが上がった。
その一瞬だけ。
******
俺は修道士の格好のまま、修道院を出た。
なお、俺は正確には修道士ではない。
俺の存在はあんまり公にしてはいけないらしく、修道院預かりの居候のようなものだ。
俺は王都の近郊の街道を一人で歩いていた。
街道は森を縫うように作られている。
日本にいた頃は、運動なんてろくにしていなかった。が、こっちは、電車はおろか車も自転車もない。馬車はあるが、滅多に使えない。
そんなわけで徒歩の移動もすっかり慣れた。
いや、半分嘘。慣れはしたが、帰宅したらものすごく疲れる。
ちなみに、こんな風に街道を暢気に歩けるのも勇者たちのおかげらしい。
昔は王都を少しでも出れば、魔獣に襲われていたらしい。魔王が倒されてから、魔獣はほとんどいなくなったらしい。
俺が向かっている先は、とある魔術師の自宅、というか工房だ。
魔術師グレン。
魔王を倒した勇者パーティーにいた天才魔術師。
桁外れの魔力量を持ち、失われた古代魔術までも操る男。
魔王討伐後は宮廷魔術師筆頭に迎えられるはずが、宰相を殴って、宮廷魔術師の称号を剥奪される。王宮を追い出されたことで、ここぞとばかりにギルドが好待遇で迎えると申し出るが、それも蹴り、王都近郊に工房を作り、引き籠る。
なにやってんだ、こいつ。
そして、そんな明らかにヤバそうな奴の根城に俺は単身向かわされているんだ
******
「彼を王都に連れて来てください。王都の結界強化に彼の力が必要なのです」
ダリナ院長はそう言った。
「いやいやいや。なんで俺にそれさせようとしてんすか」
定時後に、「これやっといて。納期は明日の朝ね★」とか抜かすどっかのクソ係長を思い出した。思い出したくなかった。
「もっと適任がいるでしょ。騎士団とか魔術師軍団とかギルドとか」
「駄目なんですよ、彼らでは。グレン殿が古代魔術の使い手だというのはあなたも聞いたことがあるでしょう?」
現代日本人の俺としては、現代魔術も古代魔術も違いが全く分からなかった。あと、俺は魔術が使えない。ちなみにこちらの人間も魔術が使えるのはごく一握りらしい。
「はあ」
日本人の悲しい性として、よくわかっていなくてもイエスと答えた。
「彼の工房には強力な結界が張られているのです。恐らく本人以外解けないほどの」
「はあ……」
「だからあなたの出番です、レオ。どんな鍵でも開けられるあなたの」
にっこりとダリナ院長は微笑んだ。
慈愛に満ちている表情のように見えるが、実際はイエス以外の返答を絶対に許さない顔だ。
******
俺が持っているいわゆるスキルは、「どんな魔術的結界も解くことができる」だ。
結構チートじゃないか? と思っていたときが俺にもあった。
まあ、これが魔王や魔族との戦いの最中ならそうだろう。
だが、今では、戦いは遠くになりにけり。
昔はうじゃうじゃあったというダンジョンも大体勇者ご一行により完全踏破済。
そう、ほぼ意味のないスキルなのである。
なお、魔術がかかっていない鍵は一切開けられない。金庫破りも無理である。
そうこうする内に、目的地が見えてきた。
森の中にぽつんとある一軒家。
何かそういう番組あったな。見たことないけど。
近付こうとして、ばちんと、見えない壁で弾かれた。
結界だ。
俺は深呼吸する。
両手を出して、見えない壁に触れる。
『開け』
俺の頭の中で、カチリという音がする。
スキルが発動した証だ。
触れていた透明な壁が消える。
うーん、こんな簡単なら別に俺じゃなくてもよかったんじゃないか?
そのとき、目の前の家の扉が乱暴に開かれた。
中から、もじゃ髭でぼさぼさ髪の汚そうなおっさんが出てきた。
「何しやがんだテメー! ぶっ殺すぞ!」
おっさんこわ。
目が血走っている。あと臭い。
こいつロクに身体洗ってないな。
「あのー、俺、いや自分はノースウッズ修道院のダリナ院長の使いのものです」
******
「結界解除できても、そのあとどうすんです。お忘れかもしれませんけど俺弱いですよ」
「ええ、忘れていませんとも。大丈夫です、私の名前を出してこの手紙をあなたからグレン殿に渡せば、すんなり来ていただけますよ」
「ええ~」
「安心してください。駄目でも骨は拾います」
「安心できない!」
******
院長は適当だが、適当なことはそんなに言わない。
かつての俺のクソ上司たちよりは遥かにまとも、だと思いたい、多分。
「なんで坊主が俺の結界解いてんだよ。というかダリナのババアだと?」
俺はただの一般人です、という言葉を飲み込み、勢いが削がれたらしい男ーーおそらくグレンーーに手紙を差し出す。
グレンは手紙をひったくり、封を開け、読んだ。
俺は手紙の内容は知らない。あまり興味もない。中身を知って、これだと無理じゃないか!? と思いたくなかった。
グレンは突然手紙をぐしゃぐしゃに握りつぶした。
あ、駄目そう。
それから、こちらを睨みつけた。
院長もクソ係長やクソ課長やクソ部長と一緒だ、クソ!
グレンが小声で何かを言っているのが聞こえた。
詠唱だ、これ。
俺は死を覚悟し、思わず目を瞑った。
声が途切れた。
恐る恐る目を開くと、俺の顔をマジマジと覗き込んでいるグレンがいた。
「あの……?」
「お前……もしかして、あの時のガキか?」
「は?」
「十年前、召喚された『勇者』か?」
******
「レオ、ご苦労様でした。グレン殿は、それはそれは快く結界強化に協力頂けました」
満足そうにダリナ院長は言った。
いや、絶対快くじゃないだろ。
「あの、俺聞きたいことがあるんですけど……」
「はい、何でしょう?」
「俺って、前も召喚されたってマジですか? え、ていうか勇者? いや勇者はいますよね?」
グレンは俺を、「勇者」と呼んだ。
いやいやいや!
この世界の「勇者」は女だ。勿論俺は会ったことはないが。
グレンは、かつて俺に会ったことがあるらしい。
異世界より召喚された「勇者」として。
「まあ、グレン殿ったらあなたに言っちゃったんですね」
「言っちゃった!?」
「そうですよ、あなたはかつて『勇者』でした。魔王を倒すだけの力を持っていました。今となってはその『開錠』の力以外失われていますが」
「噓だろ!? そんな記憶ないが!」
「あなた、その時の記憶失ってますからね」
「は!??!! なら今の『勇者』って偽物なのか?」
自分が本物かのような言い方に自分でもモヤっとするが、今までの話の流れだとそうなってしまう。
「いいえ。勇者殿の『力』はあなたから引き継がれたものですよ。なぜか『開錠』だけは残ってしまったようですが」
ということは、俺は、「勇者」の出涸らしってことか!?
こうして、俺と勇者パーティーとの因縁と、俺自身の記憶を取り戻すためのすったもんだが始まってしまった。