第7話 水の大精霊
翌朝――。
目を覚ますと、目の前にはミントがふわりと浮かんでいた。淡い緑の光をまとい、朝の光の中できらきらと輝いている。
「ミント、おはよう~」
『おはよさん。よぉ眠れたか?』
私は軽く伸びをしてから、身支度を整え、机の上に置かれていた朝食を手早く食べた。パンとスープ、それに昨日のスタミナポーションも忘れずに飲む。
「おばあちゃん、もう畑に出てるのかな?」
『せやで、朝一番から行ってはるわ』
「じゃあ、ちょっと手伝ってくる」
『……何を?』
ミントの言葉に首をかしげた。
「え? 畑の病気チェックとか、草むしりとか?」
『うちら精霊がおる畑は、病気にならへんしなぁ。そもそも、種まいたら収穫までほっといても平気やで』
「えっ……そんなに手間いらずなの?」
『せや。だからおばあちゃんも他より楽できとるんよ』
「じゃあ……地下水路、行ってみようか」
『そやな、ウンディーネの居場所、確かめてみよ』
「その前に、おばあちゃんに一言言ってくるね」
『うん、それがええ』
私は家を出て、畑で作業しているおばあちゃんを見つけて駆け寄る。
「おばあちゃん~! 畑の手伝い、大丈夫そう?」
「大丈夫だよ~。いつも通り元気に育っとるからねぇ」
「昨日言ってた地下水路、行ってきてもいい?」
「いいよ、気をつけて行っといで」
「ありがとう! 行ってくる!」
『瓶も忘れんといてな』
「あっ、そうだ!」
私は慌てて家に戻り、昨日イアンからもらった瓶をカゴに入れ直すと、村長宅の裏手にある地下水路へと向かった。
小さな洞穴の入り口をくぐると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。その中で、水色の光の玉たちが無数に舞っている。
「……これ全部、水の精霊?」
『せや。奥に進むほど、濃くなっとるやろ? きっと、おるで』
ミントの言葉に頷き、私は静かに洞窟の奥へと足を進めた。
すると――そこに、澄んだ青い光をまとった、小さな女性の姿が現れた。ミントと同じくらいのサイズで、しかし姿は少し違う。下半身は魚のような尾になっており、手には細身の三つ叉の槍を携えていた。
『アオイ、久しぶりやな』
『ええ、本当にお久しぶりですね』
優しい声だった。彼女はミントの隣にふわりと並ぶと、穏やかに私を見つめた。
「えっと……はじめまして。私はラミナです」
『はじめまして、ラミナ。私は水の大精霊です。あなたのご先祖様には、“アオイ”という名をいただいていましたが――もしよければ、新たな名前をいただけますか?』
「それって……契約してくれるってことですか?」
『もちろんです。そのために、私はずっとここで待っていたのです』
ずっと――待っていた?
「……私が精霊使いになるのを、知ってたんですか?」
『ええ、知っていましたよ』
その言葉に思わず、隣のミントを見た。
『せやな。ラミナが生まれたときから、精霊使いもらうことは決まっとったんやで』「……そうだったんだ……」
思っていた以上に、運命のようなものに導かれていたのかもしれない。
――さて、名前をつけなくちゃいけない。
青や水を連想させて、きれいで優しい響きのある、そんな名前……何がいいだろう?
必死に頭を回転させるも、なかなか良い名前が思いつかない。
けれど、ただ一つ――なぜか頭の中にふと浮かんできた言葉があった。
それがどんな意味を持つのかはわからなかったけれど、口にしてみることにした。
「意味は分からないけど……“アクア”はどうかな? なんだか、頭の中に浮かんできたんです」
『それ、アヴェーニュ地方でよく使われる言葉やで。魔法の詠唱でも、“水”の意味として出てくるんよ』
ミントが解説してくれた。
『そうですね。ラミナ、ありがとうございます。私の名は“アクア”です』
青い光をまとった彼女――アクアが、優しく微笑んでそう言った。
「アヴェーニュ地方って……?」
『リタの故郷がある場所ですね。ここから、そう遠くないところです』
そうか……これは、私のご先祖さまがくれたヒントだったのかもしれない。
「そうなんだ……」
『契約も終わったし、水を汲んで帰ろか?』
ミントの声にうなずく。
『そうですね』
私はカゴをおろし、中から瓶を取り出すと、そっと水をすくった。
帰り道――。
『ところで、ラミナ。汲んだ水って何に使うの?』
『ポーション作りやで』
『なるほど……でしたら、私がいるなら、どこの水を使っても問題ありませんよ』
「えっ、そうなの?」
『せやで。アクアがその場で、各ポーションに最適な水に変えてくれるんや』
『それくらいは、得意分野ですから』
「すごい……!」
私は思わず声を漏らす。
『アクアは、水を油に変えたりもできるからな~』
「えぇっ!? そんなことまでできるの?」
『ええ。もちろん、大きな変化には相応の魔素が必要になりますけどね』
「ミントも、なにかすごいことできるの?」
『ん~。ウチは、植物を別の植物に変えたりとかできるで。種から薬草にするとか、そういうやつや』
それって、地味だけどすごい――!
『まあ、今のラミナの魔素やと、まだ無理やけどな~』
「そっか……。種から収穫まで育てられるようになったら、できるようになるのかな」
『ところでラミナ。体内魔素の保有量を増やすために、今どんなことしてるんですか?』
『麦の実を育ててんねん』
『……なるほど。でも、それってちょっともったいないかもしれません』
「えっ、なんで?」
『悪いことじゃないんです。ただ、もしよければ――その魔素、私たちに少し分けてくれませんか?』
「えっ?」
『私たち大精霊は、受け取った魔素をある程度蓄えることができます。だから、いざという時に、必要な分を返してあげられるんですよ』
『せやな~。せっかくやし、交代で受け取るのがええんちゃう?』
「うん、それなら全然いいよ」
『じゃあ、今夜はウチやなくて、アクアがもろてもええ?』
『ええ、ありがとう。助かります』
ミントは明るく、アクアは丁寧で真面目――
二人のやり取りを聞きながら、思わず笑みがこぼれた。
家に戻った私は、残っている薬草を使って、ポーション作りに取りかかった。
水を注ぐ時、アクアが瓶の口にふわりと乗り、そのまま何かをしていたけれど――それが何なのかは、私にはよくわからなかった。
「……あ、もう瓶が足りないね」
『せやなぁ~。次にイアンさん来たら、また補充してもらわな』
『マジックポーションもあることですし、せっかくなら――魔法の練習でもしてみては?』
「えっ、魔法……?」
思いがけない提案に、私は目を丸くした。