第6話 決意
イアンたちがいる広場をあとにして、自宅へと歩き出した。
『あれ? 地下水汲みに行かへんの?』
ミントの声が、少し不思議そうに響く。
「瓶が重くて……」
『せやったらしゃあないなぁ。明日の朝に行こか』
「うん」
カゴの重みを感じながら、私はゆっくりと帰路についた。
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自宅に到着。
玄関をくぐると、背中からカゴをそっと下ろし、肩をほぐす。
『ほな、さっそく作っていこか』
「うん」
『まずは……薬研、出そか』
「わかった」
私は昨夜、納屋から出しておいた古い箱を取り出し、丁寧に蓋を開ける。中から現れたのは、楕円形のすり鉢と、石でできたローラー。それと、何枚もの紙が束ねられたレシピ帳だった。
『リタが残してくれたレシピやね』
私は束を手に取り、そっとページをめくっていく。
そこには、ヒールポーション、マジックポーション、スタミナポーションの作り方だけでなく——様々な毒に対応した毒消しの調合法まで書かれていた。
「……これ、毒消しのレシピがいっぱいある……」
『そりゃそうや。毒の種類は、世界に千以上あるって言われとるからな。ひとつの毒消しで全部治せるなんて、都合よすぎるで』
「……もしかして、お父さんとお母さんも……?」
あの日、倒れた両親に、祖母が懸命に作ってくれた毒消し。けれど、それでは助からなかった——その理由が、今ようやく分かった気がした。
『せや。おばあちゃんが作ってくれたんは、ある虫毒には効果があるやつやけど、あの病には……効かんかったんや』
「……そっか……」
胸の奥に、じんわりと冷たい痛みが広がる。
祖母がどれだけの想いで薬を作ってくれたか、知っている。それでも、間に合わなかった。
「もし、ちゃんとした毒消しを飲んでたら……助かったの?」
『……助かったで』
ミントの断言は、胸にぐさりと突き刺さった。
「……そうなんだ……」
私の中で、何かが強く芽生える。
——知識があれば、助けられる命がある。
両親のように、大切な人を助けられなかったという後悔を、もう誰にもしてほしくない。
「ミント。私、お父さんやお母さんみたいな人を救えるようになりたい」
きゅっと、胸に力がこもった。
『ええで。ウチらが、力になるからな』
「ミント、よろしくね」
その言葉に、ミントはふわりと明るく光った。
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『病気を治すいうたら、ウチよりウンディーネの方が得意やけどな』
「えっ、そうなの?」
『せや。ウチは、薬や調合の知識を教えられるけど……ウンディーネなら、直接癒やしたり、治したりできる病気も多いんやで』
「なんで……? 何か理由があるの?」
『もちろんや。人の体はな、六割が"水"でできとるんよ』
「……えっ、そうなの!?」
私は思わず声を上げた。
人の身体の大半が水でできている——そんなこと、今まで考えたこともなかった。
『せやで。そやから、ウンディーネの方が力になれるんや』
「そうなんだ……。毒のことを知る前に、人の体の仕組みを知らないといけないんだね」
『せやね。でもそれくらいなら、ウチが教えたるわ』
「ありがとう。じゃあ今日はまず、ポーションの作り方を教えて」
『ええで! ほな、まずはどれから作る?』
「ヒールポーションから!」
『せやったら、すり鉢にヒール草を入れてみ』
「うん」
私はヒール草を一株手に取り、そのまますり鉢に入れた。
『ちゃうちゃう! アカンアカン! ヒールポーションは、葉っぱ一枚でええんや』
「あっ、そうなの?」
『せやで。ヒール草は葉っぱ一枚でヒールポーション三本分。マジック草は一枚で一本分、スタミナ草は二本分やね。まとめて作るにしても、せいぜい葉っぱ二枚までにしとき』
「そっか、そんなに少しでいいんだ」
『せや。量より、丁寧さやで。ポーション作りの基本や』
「うん、わかった」
私は改めて、ヒール草の葉を一枚だけちぎって、すり鉢に入れた。
『葉っぱの中に筋みたいなんあるやろ? "脈"って言うんやけど、それが分からんようになるまで、しっかり潰してな』
「うん……」
ぐりぐりと、葉を丁寧にすり潰していく。すり鉢の底で葉が砕け、だんだんと緑色の汁がにじみ始めた。
『うん、ぼちぼちええ感じやな。ほんでな、一本分作るなら、瓶の八割くらいの水を足すんやで』
今回は三本分をまとめて作っているけれど、ポーション瓶にはまだ中身が入っていない。正確な量が分からない。
「今回の分量って、どうすればいいかな?」
『うん、ゆっくり水を注いでみて。ええ塩梅になったら、ウチが止めるから』
「わかった」
私は、先ほど汲んできた湧水を器から少しずつ注いでいく。
『……ストップストップ!』
「はい!」
ミントの合図で手を止めた。
『そしたら、次は棒か何かでよーくかき混ぜて』
「棒……」
私は立ち上がり、台所にいる祖母のもとへと向かった。
「おばあちゃん、かき混ぜるための棒、何かない?」
「かき混ぜるための……そうだねえ」
祖母は調理道具の棚をゴソゴソと探り、すりこぎを取り出してくれた。
「これでいいかい?」
『うん、それで大丈夫やろ』
「うん、それ借りるね!」
「はいよ、気をつけて使うんだよ」
私はすりこぎを受け取って戻り、すり鉢の中身をゆっくりと混ぜ始めた。
『ほんでな、魔素を流し込むタイプの調合は、このタイミングで魔素を使うんやで』
「……魔素を?」
混ぜていた薬草と水の中身が、ふわりと淡い緑色の光を放った。
「……っ!?」
『おお、上手いこといったやん。これで完成や』
「本当に……できたんだ……」
私は、すり鉢の中身を見つめて、じんと胸が熱くなるのを感じた。
『ポーション系は基本的に、今みたいな作り方でええんよ。分量の違いだけ覚えとけば、だいたい大丈夫や』
「うん!」
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その後、私はマジックポーションを三本分、スタミナポーションを四本分、同じように作った。
調合のたびに、すり鉢の中で光が生まれるたびに、胸の奥がぽっと温かくなる。
——これは、私の手で作った命を支える力。
そう思えたから、何本作っても疲れは不思議と感じなかった。
「なんか……もう、瓶いっぱいになっちゃったね」
作業を終えた私は、ずらりと並んだポーション瓶を見つめて、思わず笑った。
『せやな。せやけど、スタミナポーションは毎日使うもんやし、ちょうどええんちゃう?』
ミントがふわふわと飛びながら答える。
『ラミナとおばあちゃんが、朝と夕に一本ずつ飲めば、ちょうどぴったりやろ』
「そうなんだ?」
『朝に飲めば体力の上限がちょっと上がるし、夕方に飲めば一日の疲れがスッと取れるで』
「……なるほど。それじゃあ、さっそく試してみようかな」
私は一本、そっと手に取って蓋を開ける。
少し緑がかった液体が、ゆらりと揺れた。口元に運び、そっと飲み込む。
「……美味しくは……ないね……」
甘くも苦くもない、不思議な味だったけど、嫌ではなかった。でもそれより——身体がふっと軽くなった気がした。
「……でも、たしかに、なんか元気が戻ってくる感じ……」
『やろ? それ、ちゃんと効いとる証拠や』
ミントの自慢げな声に、私もくすりと笑う。
『おばあちゃんにも飲んでもらいや。ずっと働き詰めやったしな』
「うん、持っていく!」
私はもう一本瓶を手に取り、台所で夕食の準備をしている祖母のところへ駆け寄った。
「おばあちゃん、スタミナポーション作ったの! 飲んでみて!」
「おやまあ、ありがとう。……さっきから見とったけど、失敗はしなかったのかい?」
祖母は、私の手から瓶を受け取りながら穏やかに尋ねる。
「うん! ミントがすごく丁寧に教えてくれたから、ぜんぶ上手くいったよ」
「そうかい、それはよかったねぇ……。じゃあ、いただくよ」
祖母は蓋を開けると、ためらうことなく一気に飲み干した。
「ほほっ、これは……効くねぇ。なんだか身体がふわっと軽くなったみたいだよ」
「でしょ! 私もさっき飲んで、そう思ったの。明日の朝の分もあるから、一緒に飲もうね」
「ありがとう、ラミナ。もう少しで夕飯ができるから、ちょっと待っててね」
「うん!」
その言葉に、胸の中がほんのりと温かくなった。
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夕食を済ませたあとは、後片付けをして、布団の中に入ってから昨日の続きを少しだけ——植物の成長にミントの力を借り、魔素を使い果たした私は、そのまま静かに布団に入り、目を閉じた。
ほんの少しずつだけれど、私は変わってきている。
あの日、突然失われた日常。でも今、少しずつ——もう一度、誰かと笑って暮らせる毎日を、取り戻せる気がしていた。