第40話 急患
そう思っていた、そのとき――。
廊下の方から、バタバタと複数の足音が近づいてくる音が響いた。次の瞬間、ガタンと勢いよく扉が開け放たれ、空気が一気に張り詰めた。
「ヴィッシュ先生!」
隣の部屋から、緊迫した声でヴィッシュを呼ぶ叫び声が聞こえてきた。
彼はすぐさま職員室へと戻っていく。私もすぐに後を追い、急いでその場を離れた。
職員室に入ると、そこには私服姿の長身のエルフ女性と、制服を着た少女が一人ずつ立っていた。少女は私より年下に見える。二人とも慌ただしく息を整えている。
エルフの女性の腕には、小さな男の子が抱えられていた。ぐったりとして動かない。
「どうしましたか?」
「先生、この子が街で倒れて苦しんでいたので、ヒールポーションを飲ませたんです。でも、まだ苦しそうで……」
エルフの女性がヴィッシュの問いに答えた。その横で制服の少女も、少し焦った様子で口を開く。
「痛みは少し和らいだみたいなんですけど、それでも苦しそうで……。だからダッドマッシュルームを、ほんの少しだけ飲ませました」
『それや!』
ミントの声が、強い確信とともに頭の中に響いた。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
ヴィッシュは男の子の様子をじっと観察しながら問う。
「どのあたりを苦しそうにしていましたか?」
「胸のあたりを抑えていました。口元には血もついてて……」
「ふむ……呼吸には大きな異常はなさそうですね。とりあえず隣の医務室へ。ベッドに移しましょう」
私の驚いた声は無視されたようだった。ヴィッシュと二人の女生徒は男の子を抱えたまま、すぐに部屋を出ていった。
『あんな、ダッドマッシュルーム、あれ使えばお腹切るときに役立つかもしれへん』
「え……どういうこと?」
ミントが、私の正面にふわりと浮かび、説明してくれた。
『量を間違えたら命にかかわるけど、きっちり調整できたら最低限の生命維持機能だけ残して、意識も感覚もなくなるねん』
「つまり……切っても痛みを感じずに、眠ったままでいられるってこと?」
『せや!』
思わず、息を呑んだ。まさか、必要だった条件のひとつが、偶然ここで見つかるなんて。
まさに一つ、大きな課題が解決された瞬間だった。
『これで問題点が一つ解決しましたね。ラミナ、あとを追わなくていいんですか?』
「……うん、行こう」
アクアが先導するように前を飛び、私はそのあとに続いて医務室へと急いだ。
医務室に入ると、ベッドに寝かされた男の子の上半身がすでに露出されていて、ヴィッシュが丁寧に触診を行っているところだった。
「ふむ……おそらく、胃に穴があいてしまったんでしょうね。ヒールポーションで穴はふさがったとしても、漏れ出た内容物が周囲の臓器を刺激して炎症を起こしている。だから、まだ苦しんでいるんでしょう」
……今ひとつ、言っている意味が分からなかった。
『さすがヴィッシュですね。見事な診察です』
「そうなの?」
私がアクアに尋ねると、その声に反応してか、制服の少女とエルフの女性がこちらを見た。
『ええ、ヴィッシュの言ってることは正確です。胃の外側に漏れた消化液が炎症を起こしてますね』
「じゃあ……クリーンの魔法で、漏れたものを消せばいいんじゃないの?」
私は二人の女生徒の方を一切見ず、精霊アクアにだけ視線を向けて話し続けていた。
「先生、この子は……?」
「今年の新入生、ラミナ君ですよ」
「……ああ、“聖女の再来”って噂されてた子? って、誰と話してるんです?」
そう尋ねたのは制服の少女だった。
その声を聞いたヴィッシュは、人差し指を立てて口に当て、静かにするよう合図した。
「おそらく、精霊と話しているんでしょう」
私は、三人がこちらを注視していることにまだ気づかず、アクアとの会話を続けていた。
『クリーンの魔法は、出口があってこそ効果を発揮するんですよ。密閉された空間にある異物は排除できません』
「……え? どういうこと?」
その言葉の意味がうまく理解できなかった。今までクリーンの魔法が万能だとばかり思っていた私は、条件があるなど考えたこともなかった。思わず頭の中に疑問符が浮かぶ。
するとアクアに代わって、ミントが優しく補足してくれた。
『たとえばな、蛇に咬まれて毒をもろたとするやろ?』
「うん」
『そのときクリーンの魔法を使えば、傷口から毒が体の外へ出ていく。でも今回は違う。お腹の中――つまり、密閉された空間に異物がある状態や。そこには出ていくための“出口”がないねん』
なるほど……。そういうことか。
ならば、逆に考えれば「出口」を作ってあげればいい。つまり――。
「じゃあ、針で穴を開ければいいんじゃないの?」
『でもな、その針を抜いたらすぐに塞がってまうで?』
「えっ、そんなに早く?」
『リンクル族やからな。あの種族は回復力が高いんや。ちょっとした傷ならすぐに再生してまう』
「リンクル族って……?」
『ベッドに寝ている男性と、ラミナより小さな女生徒が居ますよね、彼等のように子どもの姿のまま年を取っていく種族の事です』
――なるほど。初めて見る種族だけれど、そういう特徴があるなら納得だ。
「じゃあ……穴を開けるなら、ちゃんと“開いたまま”にしておかないと意味がないってことね」
『そうや……って、切るん? お腹』
その言葉に一瞬躊躇したけど、それが確実な方法なら仕方がないとも思えた。でも、針程度の穴で済むなら、できればそのほうがいい。そう思った瞬間――ミントの話していた「毒蛇」のことを思い出した。
「ねぇ、昔ミントが教えてくれたよね? 毒蛇の毒って、牙の中を通って出てくるって」
『せやな。村の近くにおった“スーモルエッジヴァイパー”やね』
「その牙みたいに、中心に穴の空いた細い針を刺せば、“出口”にならないかな?」
『おぉ……なるほどな。それなら理屈は通るわ』
『確かに、それならクリーンの魔法が使えるかもしれませんね』
『せやな、まん丸に作ってもらおか』
私は周囲を見回した。するとカバンの上で丸くなって動かないまん丸の姿が目に入った。
そっと手のひらに乗せて、優しく呼びかける。
「まん丸、起きて。お願いがあるの」
『ん~?』
もそもそと体を揺らしながら目を覚ますまん丸。
『なに~?』
「毒蛇の牙みたいに、中心が空洞の細い針を作ってほしいの」
『いいよ~。それ、何に使うの~?』
『体内の異物をクリーンで排除する為ですよ』
『なるほど~。体内ってことは、人の身体かな~?』
『そうです、あそこのリンクル族の子に』
アクアがそう言って指を差すと、まん丸はその子の方に視線を向けてうなずいた。
――そのとき。ようやく私は、医務室にいる三人――ヴィッシュ、そして二人の女生徒が、こちらをじっと見ていることに気がついた。
『わかった~。で、材料は何を使えばいいかな~?』
まん丸の問いかけに応えるように、私は周囲に目を走らせた。すると、医務室の机の上に置かれた金属製のペンが視界に入る。
「まん丸、あそこのペン先……使える?」
『うん、大丈夫だよ~。使っていいの?』
念のため、確認しておきたい。
「……元に戻せるよね?」
『もちろん~。それくらいなら簡単だよ~』
「じゃあ、お願い」
私の合図を受けて、まん丸はフワフワと宙を舞い、机の上のペンへ向かう。そして、ほんの数秒のうちに、ペン先を極細の針へと変形させてしまった。
『これでいいかな~?』
私は机に近づき、変形された針に目を凝らした。けれど、それが本当に中心に穴があいているかどうか、肉眼では判断できないほどに細い。
「アクア……確認してもらえる?」
アクアに視線を送ると、彼女はすっと針に目を向けて頷いた。
『大丈夫です。確かに中心は空洞になっていますよ』
「なら……これで……」
私は針を手に取ると、ちらりとベッドのほうへ視線をやった。ヴィッシュと女生徒たちはベッドサイドに立っていたが、私の様子を見てすっと身を引き、施術のためのスペースを空けてくれた。
「良いですよ。私たちは見守っています。やってみてください」
「えっ……私が?」
ヴィッシュの言葉に、思わず聞き返してしまう。てっきり、処置はヴィッシュが行ってくれるものだと思い込んでいた。
「ラミナ君のお手並み、拝見といきましょうか」
穏やかな口調ではあったが、彼の瞳には真剣な光が宿っていた。
「先生、本当に……任せていいんですか?」
制服姿の小さな女生徒が不安げに問いかける。
「ええ。彼女はすでに、もっと高度な治療法を思いついているようですからね」
ヴィッシュが微笑みながら答える。
確かに、ミアンの魔素硬化症の治療に比べれば、今回の処置はまだ“簡単”なほうかもしれない。でも、自分でやるとなれば話は別だ。
けれど――。
そこまで信じてくれているのなら、やるしかない。
私は小さく息を吸い込み、震える手で針をしっかりと握った。
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