表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/235

第40話 急患

 そう思っていた、そのとき――。


 廊下の方から、バタバタと複数の足音が近づいてくる音が響いた。次の瞬間、ガタンと勢いよく扉が開け放たれ、空気が一気に張り詰めた。


「ヴィッシュ先生!」


 隣の部屋から、緊迫した声でヴィッシュを呼ぶ叫び声が聞こえてきた。


 彼はすぐさま職員室へと戻っていく。私もすぐに後を追い、急いでその場を離れた。


 職員室に入ると、そこには私服姿の長身のエルフ女性と、制服を着た少女が一人ずつ立っていた。少女は私より年下に見える。二人とも慌ただしく息を整えている。


 エルフの女性の腕には、小さな男の子が抱えられていた。ぐったりとして動かない。


「どうしましたか?」

「先生、この子が街で倒れて苦しんでいたので、ヒールポーションを飲ませたんです。でも、まだ苦しそうで……」


 エルフの女性がヴィッシュの問いに答えた。その横で制服の少女も、少し焦った様子で口を開く。


「痛みは少し和らいだみたいなんですけど、それでも苦しそうで……。だからダッドマッシュルームを、ほんの少しだけ飲ませました」


『それや!』


 ミントの声が、強い確信とともに頭の中に響いた。


「……え?」


 思わず、声が漏れた。


 ヴィッシュは男の子の様子をじっと観察しながら問う。


「どのあたりを苦しそうにしていましたか?」


「胸のあたりを抑えていました。口元には血もついてて……」


「ふむ……呼吸には大きな異常はなさそうですね。とりあえず隣の医務室へ。ベッドに移しましょう」


 私の驚いた声は無視されたようだった。ヴィッシュと二人の女生徒は男の子を抱えたまま、すぐに部屋を出ていった。


『あんな、ダッドマッシュルーム、あれ使えばお腹切るときに役立つかもしれへん』


「え……どういうこと?」


 ミントが、私の正面にふわりと浮かび、説明してくれた。


『量を間違えたら命にかかわるけど、きっちり調整できたら最低限の生命維持機能だけ残して、意識も感覚もなくなるねん』


「つまり……切っても痛みを感じずに、眠ったままでいられるってこと?」


『せや!』


 思わず、息を呑んだ。まさか、必要だった条件のひとつが、偶然ここで見つかるなんて。


 まさに一つ、大きな課題が解決された瞬間だった。


『これで問題点が一つ解決しましたね。ラミナ、あとを追わなくていいんですか?』


「……うん、行こう」


 アクアが先導するように前を飛び、私はそのあとに続いて医務室へと急いだ。


 医務室に入ると、ベッドに寝かされた男の子の上半身がすでに露出されていて、ヴィッシュが丁寧に触診を行っているところだった。


「ふむ……おそらく、胃に穴があいてしまったんでしょうね。ヒールポーションで穴はふさがったとしても、漏れ出た内容物が周囲の臓器を刺激して炎症を起こしている。だから、まだ苦しんでいるんでしょう」


 ……今ひとつ、言っている意味が分からなかった。


『さすがヴィッシュですね。見事な診察です』


「そうなの?」


 私がアクアに尋ねると、その声に反応してか、制服の少女とエルフの女性がこちらを見た。


『ええ、ヴィッシュの言ってることは正確です。胃の外側に漏れた消化液が炎症を起こしてますね』


「じゃあ……クリーンの魔法で、漏れたものを消せばいいんじゃないの?」


 私は二人の女生徒の方を一切見ず、精霊アクアにだけ視線を向けて話し続けていた。


「先生、この子は……?」


「今年の新入生、ラミナ君ですよ」


「……ああ、“聖女の再来”って噂されてた子? って、誰と話してるんです?」


 そう尋ねたのは制服の少女だった。


 その声を聞いたヴィッシュは、人差し指を立てて口に当て、静かにするよう合図した。


「おそらく、精霊と話しているんでしょう」


 私は、三人がこちらを注視していることにまだ気づかず、アクアとの会話を続けていた。


『クリーンの魔法は、出口があってこそ効果を発揮するんですよ。密閉された空間にある異物は排除できません』


「……え? どういうこと?」


 その言葉の意味がうまく理解できなかった。今までクリーンの魔法が万能だとばかり思っていた私は、条件があるなど考えたこともなかった。思わず頭の中に疑問符が浮かぶ。


 するとアクアに代わって、ミントが優しく補足してくれた。


『たとえばな、蛇に咬まれて毒をもろたとするやろ?』


「うん」


『そのときクリーンの魔法を使えば、傷口から毒が体の外へ出ていく。でも今回は違う。お腹の中――つまり、密閉された空間に異物がある状態や。そこには出ていくための“出口”がないねん』


 なるほど……。そういうことか。


 ならば、逆に考えれば「出口」を作ってあげればいい。つまり――。


「じゃあ、針で穴を開ければいいんじゃないの?」


『でもな、その針を抜いたらすぐに塞がってまうで?』


「えっ、そんなに早く?」


『リンクル族やからな。あの種族は回復力が高いんや。ちょっとした傷ならすぐに再生してまう』


「リンクル族って……?」


『ベッドに寝ている男性と、ラミナより小さな女生徒が居ますよね、彼等のように子どもの姿のまま年を取っていく種族の事です』


 ――なるほど。初めて見る種族だけれど、そういう特徴があるなら納得だ。


「じゃあ……穴を開けるなら、ちゃんと“開いたまま”にしておかないと意味がないってことね」


『そうや……って、切るん? お腹』


 その言葉に一瞬躊躇したけど、それが確実な方法なら仕方がないとも思えた。でも、針程度の穴で済むなら、できればそのほうがいい。そう思った瞬間――ミントの話していた「毒蛇」のことを思い出した。


「ねぇ、昔ミントが教えてくれたよね? 毒蛇の毒って、牙の中を通って出てくるって」


『せやな。村の近くにおった“スーモルエッジヴァイパー”やね』


「その牙みたいに、中心に穴の空いた細い針を刺せば、“出口”にならないかな?」


『おぉ……なるほどな。それなら理屈は通るわ』


『確かに、それならクリーンの魔法が使えるかもしれませんね』


『せやな、まん丸に作ってもらおか』


 私は周囲を見回した。するとカバンの上で丸くなって動かないまん丸の姿が目に入った。


 そっと手のひらに乗せて、優しく呼びかける。


「まん丸、起きて。お願いがあるの」


『ん~?』


 もそもそと体を揺らしながら目を覚ますまん丸。


『なに~?』


「毒蛇の牙みたいに、中心が空洞の細い針を作ってほしいの」


『いいよ~。それ、何に使うの~?』


『体内の異物をクリーンで排除する為ですよ』


『なるほど~。体内ってことは、人の身体かな~?』


『そうです、あそこのリンクル族の子に』


 アクアがそう言って指を差すと、まん丸はその子の方に視線を向けてうなずいた。


 ――そのとき。ようやく私は、医務室にいる三人――ヴィッシュ、そして二人の女生徒が、こちらをじっと見ていることに気がついた。


『わかった~。で、材料は何を使えばいいかな~?』


 まん丸の問いかけに応えるように、私は周囲に目を走らせた。すると、医務室の机の上に置かれた金属製のペンが視界に入る。


「まん丸、あそこのペン先……使える?」


『うん、大丈夫だよ~。使っていいの?』


 念のため、確認しておきたい。


「……元に戻せるよね?」


『もちろん~。それくらいなら簡単だよ~』


「じゃあ、お願い」


 私の合図を受けて、まん丸はフワフワと宙を舞い、机の上のペンへ向かう。そして、ほんの数秒のうちに、ペン先を極細の針へと変形させてしまった。


『これでいいかな~?』


 私は机に近づき、変形された針に目を凝らした。けれど、それが本当に中心に穴があいているかどうか、肉眼では判断できないほどに細い。


「アクア……確認してもらえる?」


 アクアに視線を送ると、彼女はすっと針に目を向けて頷いた。


『大丈夫です。確かに中心は空洞になっていますよ』


「なら……これで……」


 私は針を手に取ると、ちらりとベッドのほうへ視線をやった。ヴィッシュと女生徒たちはベッドサイドに立っていたが、私の様子を見てすっと身を引き、施術のためのスペースを空けてくれた。


「良いですよ。私たちは見守っています。やってみてください」


「えっ……私が?」


 ヴィッシュの言葉に、思わず聞き返してしまう。てっきり、処置はヴィッシュが行ってくれるものだと思い込んでいた。


「ラミナ君のお手並み、拝見といきましょうか」


 穏やかな口調ではあったが、彼の瞳には真剣な光が宿っていた。


「先生、本当に……任せていいんですか?」


 制服姿の小さな女生徒が不安げに問いかける。


「ええ。彼女はすでに、もっと高度な治療法を思いついているようですからね」


 ヴィッシュが微笑みながら答える。


 確かに、ミアンの魔素硬化症の治療に比べれば、今回の処置はまだ“簡単”なほうかもしれない。でも、自分でやるとなれば話は別だ。


 けれど――。


 そこまで信じてくれているのなら、やるしかない。


 私は小さく息を吸い込み、震える手で針をしっかりと握った。


「面白い」「続きが気になる」「応援する!」と思っていただけたら、


『☆☆☆☆☆』より評価.ブックマークをよろしくお願いします。


作者の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ