第39話 先祖リタからの贈り物
ヴィッシュ副学長とともに、私は学長室をあとにした。
広々とした廊下を彼のあとについて歩いていると、ふと気になることがあった。
彼のまわりに、淡く揺らめく四色の精霊たち――火、水、地、植物の気配が見える。
「……あれ? 精霊がついてるんですね?」
そう問いかけると、ヴィッシュ副学長は少し驚いたように目を見開き、微笑んだ。
「ああ、リタ君にプレゼントしてもらったんですよ」
『せやな』
『そもそも錬金科の卒業生は、悪さをしない限り、火・水・地・植物のどれかの精霊がついてるはずですよ』
ミントたちが補足してくれたが、どういう意味だろう。
「え? 卒業生もみんな精霊使いなの?」
『ちゃうで。うちらとは会話できんけど、ちょっと感覚が鋭くなるくらいや』
ミントが先に答えてくれた。
「違いますよ。錬金科の卒業生に配られる“卒業生バッジ”に、精霊が宿っているんです」
副学長の説明に、私はさらに疑問が浮かぶ。
「卒業生バッジ……ですか?」
「錬金科に来る子たちはね、薬師だけでなく、治癒師や鍛冶師、魔道具技師を目指す子も多いんです。だからリタ君が、卒業生の力になるためにって、魔石のついたバッジを配るようになったんですよ」
『リタが卒業生の力になれるようにって、下位精霊が宿った魔石バッジを用意したんや』
なるほど、それで精霊がついているように見えるのか。
「でも、副学長には四色もついてるみたいですけど……」
「ふふ、僕の場合は特別なんですよ。リタ君から“後進の育成を託す”って約束と一緒に、この四色の精霊を預かったんです。でも、まだそばにいてくれてるとは……ありがたいことです」
「……そばにいるかどうか、わからないんですか?」
「ええ。実際に目で見えるわけではありませんから。ただ、“これは毒だ”とか、“ここは危ない”って直感的に感じることがあるんです」
『せやな、それぐらいしかできへんしな』
でも、それだけでも、いるのといないのでは大きく違う。確かな支えになる気がした。
「ラミナ君、これから何をするか、もう決めているのですか?」
副学長が足を止めて、私の方を見た。
――やるべきこと。精霊たちと話していた内容を思い返しながら、私はゆっくりと口を開いた。
――火の大精霊イフリートを仲間にすること。それが最優先事項。可能なら、風の大精霊シルフとも契約できれば理想的だ。そして、ミアンの手術に備えて、お腹を切る際に暴れないように、麻痺薬と睡眠薬を調合する必要がある。それから……オークの子での実験もしないといけない。
「まず、火の大精霊イフリートを仲間にすることが先ですね。できれば、風の大精霊シルフも」
私がそう答えると、ヴィッシュ副学長はすぐに察した様子で頷いた。
「となると、キラベル火山かな。確か、6月の実習場所がそこだったはずだよ」
「そうなんですか? 実は、明日キラベルに行こうかと考えていたんです」
「ふむ……まぁ、近いと言えば近いけど……一泊して戻るつもりかな?」
「はい。その予定です」
「そうですか。気をつけて行ってきてくださいね」
「ありがとうございます」
そんな会話を交わしているうちに、目的地に到着したようだった。ヴィッシュ副学長が立ち止まり、ある教室の前を指さす。
「ここが、錬金科の職員室になります」
そう言って扉を開けると、中から薬草のような香りがふわりと漂ってきた。
「さあ、入ってください」
彼に促されて中へ踏み出しながら、ふと気づいたことがあった。いつも使っている校舎とは、雰囲気が明らかに違う。壁の材質も、床のきしみ具合も、どこか温かくて、自然と調和している印象を受けた。
「なんだか、他の建物と雰囲気が違う気がするんですけど……?」
「ふふ、気づきましたか。錬金科棟はね、地の大精霊が建てた建物なんです。建てられてから一度も改築や改修がされていません。他の施設は人の手によって作られ、何度か手が入ってますけどね」
『せやろな、まん丸の自信作やもん』
『ですね、リタと何度も話し合いながら造ってましたし』
辺りを見回すと、ミントとアクアの姿は見えるのに、まん丸の姿が見当たらなかった。
「あれ? まん丸は?」
『ラミナの首の後ろで寝とるで』
首の後ろ……? 見えない……けど、まあ何もしてないならそのまま寝かせておこう。
「まん丸……とは?」
ヴィッシュ副学長が不思議そうに首をかしげた。
「大地の大精霊です」
「なるほど……もしかしてここを建てた本人かな?」
「はい」
「他にはどんな精霊と契約しているんだい?」
「植物と水の精霊です」
「……なるほど。どちらも、リタ君と一緒にいた子たちかな?」
「はい。よく先祖の話をしてくれるんです」
そう言うと、ヴィッシュ副学長は、私の背後に視線を向けた。
「そうか……三人とも、おかえり」
『ただいまや!』
『もどりました』
『Zzzz……』
彼には、きっとその声は届いていないはずなのに、ミントとアクアはいつも通り元気に返事をしていた。
――この教室に、三人の精霊が戻ってくるのは、いったい何百年ぶりのことだろうか。
「こっちにおいで」
そう言って、ヴィッシュ副学長は職員室の隣にある部屋へ私を案内してくれた。
「ここは?」
ドアをくぐった先には、壁一面の本棚にぎっしりと並んだ書物。そして植物標本や鉱石が整然と収められた棚。部屋の中央には応接用のテーブルとソファセットが置かれ、その奥には大きなデスクが構えていた。
「錬金科の学科長室……つまり、今は僕の部屋だよ。さ、こっちに来て」
彼は部屋の隅へと歩いて行き、棚の下にある扉を静かに開いた。中から取り出されたのは、布製と思われる大きなカバンだった。
『懐かしいですね』
『やな~』
『リタの匂い!』
カバンを見た瞬間、精霊たちが一斉に反応した。その声色には、懐かしさと、どこか嬉しそうな気配が混じっていた。
「精霊たちが懐かしいって言ってるんですけど……そのカバンは?」
「リタ君が使っていたカバンだよ。……ラミナ君、そのカバン、持てるかい?」
リタが使っていた? ということは、百年以上前の物だろうか。でも、傷や汚れも少なく、驚くほど状態が良い。
それに、「持てるか」とはどういう意味だろう?
「取り出しても……いいんですか?」
「構わないよ。ただ、僕は持てないんだ」
『せやろな』
『持ち主を選ぶカバンですからね』
――持ち主を選ぶカバン?
私なんかに持てるのだろうかと半信半疑のまま、ショルダーストラップにそっと手をかけて引いてみる。
すると、驚くほどなめらかに、カバンは棚から滑り出してきた。まるで、私の手を待っていたかのように。
「……ようやく、持ち主が帰ってきたね。そのカバンは、リタ君が『いつかここに来る自分の子孫への贈り物』として、心を込めて残していったんだ」
――プレゼント?
それはつまり、このカバンはずっと私を待っていたということになる。そして何より、「いつかここに来る子孫」なんて、リタはどうやって知っていたのだろう。
「私がここに来ること……知っていたんですか?」
「そうだね。創造神から与えられるスキルの中には、“未来を見る”ことができるものもあるらしいんだよ」
「その人から聞いたってことですか?」
「たぶんね。僕自身はその人に会ったことがないから、詳しいことは分からないんだけどね」
未来を見るスキル……どんなふうに“未来”が見えるんだろう?
『あの人、そんなスキルやったっけ?』
『いえ、たしか“漂流者”ってスキルだったと記憶してます』
精霊たちは直接会っているから、詳しいことを知っているらしい。“漂流者”……もしかして、それは未来から過去へ漂着したという意味なんだろうか。
「そのカバン、ラミナ君が持って帰っていいよ。けっこう容量の大きいマジックカバンだし、今後いろいろ役立つと思う。それに中には、リタ君が使っていた道具がそのまま入っているはずだ」
『ここに預ける前に、手紙書いてましたよね』
『せやせや。すっごい悩みながら書いとったもんなぁ』
『ふふふ、懐かしいですね。あの机に座って、ずっと考えてましたもんね』
そうか……帰ったら、このカバンの中を見てみよう。きっと、リタが私に遺してくれた“何か”があるはずだから。
――そう思っていた、そのとき。
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