第33話 凍てつく魔法と石の門番
開けた場所に足を踏み入れると、足元には、陽を反射してまぶしく輝く白い石畳が続き、その先には古びた灰色の城壁が立ちはだかっていた。崩れかけた場所もあり、年季の入った風情がそこかしこに滲んでいる。
「あれ……あれって、遺跡じゃないのか?」
ジョーイが目を細めながら、遠くの構造物を指さす。
『ゴーレムは、正門と内部におるからな。外側なら、まだ大丈夫やで』
『ええ、様子を見るくらいなら問題ないと思いますよ』
「ゴーレムは、正門と中にいるだけだから、外から見る分には平気……らしいよ」
「そうか。それなら、ちょっと偵察してくる」
そう言うと、ジョーイは勢いよく地を蹴り、背中の翼を広げて空へと舞い上がった。
「飛べるのって、うらやましいですよね~」
ミアンが空を見上げながらぽつりと呟く。
「だねぇ……私も飛んでみたい」
私も同じ気持ちだった。小さな村で暮らしていたころから、空を自由に舞う鳥の姿を見るたび、どこまでも遠くへ行けるその翼がうらやましくてたまらなかった。
「ですよね~」
二人でそんな話をしていると、空から羽ばたく音とともに、ジョーイが戻ってきた。
「精霊の言う通り、中にはうようよ居たが、ここなら大丈夫だろう」
……え、それって、さっきまで信じてなかったってこと?
そう思うと、ちょっとだけもやっとする。
ジョーイは無表情のままだったけど、なんだか気まずそうな空気も感じた。
私は小さくため息をついて、気にしすぎかも……と自分に言い聞かせた。
「さっさと解体しよう」
そう言って、彼が腰から解体用のナイフを取り出すと、ミアンとクロードも続いて同じように準備を始める。
その様子を見ていて、ようやく気づいた。
――あ、私、ナイフとか持ってきてない……。
「ごめん……。解体に使えそうなもの、持ってきてないや……」
おずおずとそう告げると、ミアンが驚いた表情でこちらを向いた。
「え……、刃物ひとつ持ってないんですか?」
「うん……。完全に準備不足だったかも。ごめん……」
『私にお任せください』
アクアの澄んだ声が頭に響く。そう言いながら、彼女は私の腕にふわりと降り立った。
「え、なにするの?」
『手のひらを上に向けて、開いてください』
言われるままに手を差し出すと、次の瞬間、掌の上にキラリと光る細身の刃が出現した。ガラスのように透き通ったそれは、ひんやりと冷たく――まるで氷でできたナイフだった。
「あれ……? ナイフ、持ってるじゃないですか」
「うん、精霊さんが作ってくれたの」
「ナイフを現地調達できるとか、ずるいですよね……ほんと羨ましい」
「しゃべってないで手を動かせ」
ジョーイが静かに、けれども強い口調で釘を刺す。
「「ごめんなさい……」」
私とミアンは、同時に反射的に謝った。
柄の部分が冷たくて持ちづらかったため、私はタオルを巻き付けてナイフの持ち手を即席で補強し、作業に取りかかった。
私とミアンにとっては初めての解体作業だったが、ジョーイの指導を受けながら、羽をむしり、臓器を取り出しては土の中に埋めていった。手は震えるし匂いも強烈だったけれど、どうにか少しずつ手順を覚えていく。
そして最後の一羽を解体し終える――その直前だった。
『狼達が、こっちに向かってきてんで』
「狼が、こっちに向かってきてるみたい」
私がそう伝えると、ジョーイは即座に立ち上がり、翼を軽く羽ばたかせながら周囲を見渡した。
「わかった。俺が相手をする。お前たちは手を止めるな、さっさと終わらせろ」
急ぎ手を動かしていると、木々の間から狼たちの姿が見え始めた。その数は、十や二十という規模ではない。もっと――遥かに多い。
『今見えてるのは、風下におった奴らだけやけどな』
「多いね……」
「ですねぇ……」
「ボク、あんまり戦力には……」
クロードは困ったように頬をかいている。体格的にも戦闘向きではないのは一目瞭然だった。
「いいよ、ラミナ。精霊たちに加勢を頼めるか?」
『えぇで~。森の中の奴らは、ウチに任せとき』
『では私は、平原側にいる個体を引き受けましょう。ラミナ、三人に少し下がるよう伝えてください』
「三人とも、下がってって」
「あぁ、了解」
「はい、気をつけて」
ミアン、ジョーイ、クロードが素早く距離を取ったその瞬間――周囲の空気ががらりと変わった。冷たい風が肌を刺すように流れ込み、草葉がざわめき、吐く息が白く染まる。
「さ、寒ぃ……」
「……ですね。なんだか急に冷えました」
ミアンとクロードが身をすくめる中、冷気に強いのかジョーイはいつも通りの様子で構えている。
『ふふふ、遠慮なく行けるのは、気持ちがいいですね。……こちらは、終わりましたよ』
『ウチもOKや』
「終わったみたい」
「は? 何も起きてねぇじゃねぇか。気配だけで逃げたのか?」
「ううん、逃げてない。たぶん……動けなくなってる」
木々の奥に目を凝らすと、微かに氷の粒が空気中を漂っているのが見えた。
『全部、凍らせたからね~』
入学試験の時に見たアクアの冷気――あれの強化版。今回は、遠慮なく本気で仕留めにいったらしい。
「凍ってるから、近づいても大丈夫みたいです」
「マジかよ……。何の素振りもなかったのに……」
「精霊魔法の強みですね~」
次の瞬間。
「なっ……!」
森の奥から、黒い影がいくつも宙を舞った。よく見ると、それはミニブラックバードのときと同じ――いや、それ以上の勢いで、蔦に絡め取られた狼の死体だった。
まるで大きなゴム弾のように、ミントが操っていると思われる蔦が跳ね上げ、ポン、ポンと狼の死体をこちらに放り投げてくる。
合計で十体ほど。地面に落ちるたび、鈍く重い音が響いた。
『今のもウチやで。森の中で、片づけといたんや』
得意げに響くミントの声に、思わず私は口をぽかんと開けてしまった。
「これ、どうするんです……? 五日分の食料は確保できたとしても、全部さばいてたら日が暮れちゃいますよ……」
ふと空を見上げれば、すでに西の空が赤く染まり始めていた。
これから三十体以上の解体……さすがに気が遠くなる。
「一部は放棄するしかねぇな。とりあえず、人数分の牙だけ確保しようぜ」
ジョーイの判断に、誰も反対しなかった。全員で手分けして、牙を手際よく抜いていく。
四体分の牙を集め終えた頃、クロードがぽつりとつぶやいた。
「今日は、この場所を拠点にするのかな?」
その言葉に、ミアンが少し考えるような仕草を見せる。
『遺跡の中で休めばええやん』
「精霊さんが、遺跡の中で休めばって……」
「でもクロエ先生、近づくなって言ってましたよ?」
確かに、注意されていた。でもすでにここは城壁の目と鼻の先。
「さっき中を偵察したとき、けっこうな数のゴーレムがいたぞ」
その言葉を聞いて、さっき、クロエ先生の説明中にミントとアクアが「ゴーレムは地の精霊だ」と言っていたのを思い出す。
「ゴーレムって、地の精霊だから……私がいれば大丈夫みたい」
『そうですね』
――そういえば、ノームにこっちに来てもらえたら……?
『そんなんで済むならもう来とるよ。うちらが何回呼んでも、反応あらへんのや』
……やっぱり、中に行かないと会えないってことか。
「ミアン、どうする?」
「いいの~? 先生が“近づくな”って言ってたのに~」
「“ゴーレムがいる遺跡に近づくな”ってのは、“危害を加えるから”だろ? 攻撃してこないなら問題ねぇだろ」
「ホーンラビットの課題の件もありますし……中に入りましょうか」
私たちは城壁沿いを進み、正門を目指した。
その途中、突然、空から膝丈ほどのゴーレムが二体――ドスンと目の前に降ってきた。
「なっ……!」
ジョーイはすぐに弓を構え、矢を番える。
『たぶん迎え役やから、攻撃せんといてな』
「迎えに来た子たちだって」
私がそう言うと、ゴーレムたちはコクンコクンと、二度頷いた。
目も口もない。ただ岩の塊が人型にまとまっているだけなのに、その仕草にはどこか愛嬌すらあった。
「ついて行けばいいんですか?」
ミアンの問いに、またコクンコクンと二度頷く。
「なんか可愛いですね」
「そうか? ただの岩の塊にしか見えねぇけどな……」
確かに、サイズ的には可愛い。けど、ジョーイの言う“岩の塊”という表現にも納得はできる。
私たちは、先導する二体の小さなゴーレムのあとをついて歩いた。
やがてたどり着いた正門前には、今度は二メートルを超える大型のゴーレムが、どっしりと立っていた。
彼らは私たちの姿を見ると、静かに腕を動かし、「通っていいよ」と言わんばかりのジェスチャーをしてくる。
――この先に、ノームがいるのかもしれない。
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