第3話 精霊と契約
突如、頭の中にあの女の子の声が響いた。
気がつけば、私のまわりを無数の緑色の光の玉が、舞うように漂っていた。
『ウチの声、ちゃんと聞こえてるんやろ?』
その声に、私は黙って頷いた。
そして、目の前に――その声の主と思われる、小指ほどの大きさの女の子がふわりと浮かんでいた。
彼女の髪も服も全身が淡い緑色に光り、光の粒がそのまま姿を成したようだった。
『良かった。聞こえてへんのかと、ちょっと心配したわ』
その声は以前と同じ、元気でどこか陽気な響きだった。
「ラミナ君、アマンダさんの元に戻りなさい」
神父様の声が現実に引き戻す。
「はい」
私は神父様に一礼し、祖母のもとへと歩いた。
その瞬間、小さな声がふわりと耳の奥に届いた。
『喜んでくれて、うれしいわ』
その言葉が、胸の奥にあたたかく染み込んでいく。
「良かったねぇ」
「うん」
祖母の笑みに、私も自然と笑顔になった。
「さて、二人とも。これからいろいろなことがあると思いますが、どうか決して悪用しないようにしてくださいね」
「はい」
「はい」
私とフォウルが声をそろえて返事をすると、神父様は優しく微笑んだ。
「それでは、お開きにしましょうか」
そのまま祖母と一緒に村長宅を後にし、帰り道を歩く。
ふと、私はあることに気づいた。
村のあちらこちらに、緑や青、黄色の光の玉がふわふわと飛んでいる。
「……この光の玉って、全部精霊さん?」
『せやで』
あの女の子の声が、すぐに応えてくれる。
「何か見えるのかい?」
祖母が少し驚いたように、私の顔を覗き込んだ。
「うん。さっきの部屋にも、外にも……緑の光の玉がたくさん飛んでるの」
「そうかい。精霊様が見守ってくれてるんだねぇ」
『せや、リタとの最期の約束やからね』
「リタって?」
『あんたのご先祖さんの名前やで』
「婆様の名前だが、何かあったのかい?」
「精霊さんが、“リタとの最期の約束だから”って」
「そうかい……。いつまでも見守ってくれて、ありがとうございます」
『気にせんでええよ。あんたの感謝の祈りは、ウチらにはむっちゃ居心地がええもんやから』
「おばあちゃん、精霊さんが言ってたよ。“気にしなくていい”って。おばあちゃんの祈りは、精霊さんにとってすごく居心地がいいんだって」
「そりゃ嬉しいねぇ」
『ラミナ~、あとでウチとゆっくり話しような?』
二人きりで話すってことかな……?
「うん! ねえ、精霊さん。時々見かける、色の違う光の玉はなに?」
『ああ。ときどき混じってる水色のは、水の精霊・ウンディーネ。黄色いのは、地の精霊・ノームやで』
「水の精霊さんも、土の精霊さんもいるんだ……」
『せや。ただな、大精霊はウチだけやね』
「えっ? 大精霊……?」
『そう。ウチは植物の“大精霊”なんや』
「ラミナ、今“大精霊”って聞こえたんだが……。大精霊様が、見守ってくれてるのかい?」
「うん、そうみたい。植物の大精霊って、言ってた」
「そうかい、ありがたや~……」
祖母が、そっと手を合わせた。
「ねえ、精霊さんの名前ってあるの?」
『名前なんて、ウチらにはいらんもんやしな』
「ないの? ひいひいおばあちゃんには、何て呼ばれてたの?」
『“ミドリ”って呼ばれとったわ。……でもな、ウチの名前は、ラミナが契約してくれるときに、好きなようにつけてくれたらええんよ』
「契約……?」
『せやで。契約したら、ウチの力を自由に使えるようになるんや』
「……どうやって契約するの?」
『簡単や。ウチに名前をつけてくれたら、それが契約になる』
「それだけでいいの?」
『ええで』
私は立ち止まって、ふと空を見上げた。
緑色に輝く、やさしい小さな光が、私の周りで舞っている。
……緑色で、かわいくて、温かくて――この子にぴったりの名前って、なんだろう?
「ミントはどうかな? 私は香りも好きだし、何だか元気が出る気がするの」
『ええね、それめっちゃええ! ほんで決まりや! ウチの名前は“ミント”や!』
弾むような声に、私の口元も自然とほころんだ。
「気に入ってもらえてよかった」
『ありがとうな、ラミナ。これでウチとあんたは繋がったで。ウチの力、これからは使えるようになってん』
「……本当に? すごい!」
『ほんまやで。まだ簡単なことしかできへんけど、例えばな、植物の育成を早めたりできるんよ』
「えっ、すごい! それ、すぐにできるならやってみたい!」
『ええよええよ。やり方、ちゃんと教えたるからな』
「ありがとう、ミント!」
『気にせんでええって。それより、まずはおうち帰ろっか』
「うん!」
私たちは軽やかな気持ちで歩き出した。
家に戻ると、おばあちゃんはすでに夕食の支度に取りかかっていた。
私は、わくわくする気持ちを胸にミントに尋ねる。
「それで、植物の育成ってどうやるの?」
『まずはな、納屋にある麦の種を一粒、もろてこよか』
「わかった!」
私はすぐにおばあちゃんのところへ駆け寄った。
「おばあちゃん!」
「なんだい?」
「納屋にある麦、ひと粒だけもらってもいい?」
「精霊様の力を借りるんだね? いいよ」
「ありがとう! ミント、行こう!」
『ほいほーい!』
おばあちゃんに許可をもらい、私はミントと一緒に外へ出て納屋へと向かった。
『そのへんの床に落ちてる麦でええで』
「落ちてるものでいいの?」
『ええよ。ついでやし、これも見てみよか』
ミントがふわりと浮かび、納屋の隅に置かれた、小さな植物で編まれた箱の上に舞い降りた。
「それ、なに?」
『リタが使ぉとったやつやね』
「そうなんだ」
私はそっと箱を手に取った。
それは少し重くて、古びた編み目の隙間から砂埃がふわりと舞い上がった。
「……埃、すごい」
『長いこと使われてへんかったからねぇ』
私は、床に落ちていた麦の種をひと粒拾い、ミントの待つ箱と一緒に抱えて納屋を出た。
古くて懐かしい気配を感じながら、胸の高鳴りを抑えきれず、急いで家に戻る。
「おやまぁ、ずいぶん懐かしい物を持ってきたねぇ」
家に戻った私が箱を差し出すと、おばあちゃんが目を細めてそう言った。
「おばあちゃん、これは何?」
「薬を作るときに使うローラーとすり鉢だよ。“薬研”とも言うねぇ。昔、婆様がよく使ってたんだよ」
薬研――。聞き慣れない言葉だった。
おばあちゃんが普段、薬草をすり潰すときにはすり鉢とすりこぎを使っているけど……それとは違うのかな?
「あぁ、麦を粉にするやつ?」
「それは“石臼”だよ。石臼はね、今じゃ水車が代わりにやってくれるから、ほとんど使わなくなってねぇ……。もしかして、薬でも作るのかい?」
「ううん、まだ。でも使ってみたいなって」
薬研って、どんなものなんだろう。後で中をのぞいてみよう。
「これで薬、ほんとに作れるの?」
『そんなん、簡単やで』
ミントが自信満々に答えてくれる。その頼もしさに、思わず笑みがこぼれた。
「じゃあ、明日は薬の作り方も教えて!」
『ええよ。楽しみやなぁ。でも今は、そっちの箱はとりあえず端っこに置いとこか』
「おばあちゃん、この箱、どこに置いておいたらいい?」
「そこらへんに置いといていいよ」
私は夕食や寝るときに邪魔にならないよう、部屋の隅にそっと箱を置いた。
「ミント!」
『ほいよ。ほな、まずは麦の粒を握って、目ぇ閉じてみ』
「うん」
私は右手のひらに麦の粒を乗せ、優しく握りしめる。
『そんでな、ゆっくりと、その麦が成長していく姿をイメージするんや』
麦の種をまいて、芽が出て、背が伸びて、やがて穂をつける。
何度もお手伝いして見てきたから、その流れはよく知っていた。
私は、頭の中で種から麦穂が実るまでの過程を、ひとつひとつ丁寧に思い描いた。
『……ほな、いくで』
ミントの声が、静かに響いた次の瞬間――。
私の意識は、ふっと暗転した。