第2話 洗礼の儀
週末――。
村に久しぶりの訪問者が現れた。近くの町ハーヴァから、キャラバンに同行して巡回神父がやってきたのだ。
普段なら村長宅で、読み書きや簡単な教えを説いてくれる神父様。けれど今日の集まりは、いつもとは少し違っていた。
今年五歳になる子どもと、その保護者たちが神父の前に並んでいたのだ。
といっても、大げさなものではない。
村長と神父様、私とおばあちゃん。そして、同い年のフォウルとその両親だけだった。
ルヴァ村では、年に数人生まれるかどうかという小さな村なのだから、それも当然のことだった。
「今年は二人ですかね」
神父様が静かに尋ねる。
「そうです。神父様、よろしくお願いします」
村長が丁寧に頭を下げて答えた。
「わかりました。では、どちらから始めましょうか?」
神父様が視線を向けると、待ってましたとばかりに、隣のフォウルが勢いよく手を挙げた。
「俺からっ!」
「ラミナ君も、それでよろしいですか?」
神父様が私を見て、やさしく声をかけてくれる。
「はい」
私は小さく頷いた。
「そうですか。それではフォウル君、こちらへどうぞ」
「おう!」
フォウルが神父様の前に出る。その時、ちらりとこちらを見てニヤリと笑った。
正直、フォウルのことはあまり好きではない。
いつも木の実を投げてきたり、私のポーチを勝手に開けようとしたり、いたずらばかりするからだ。
神父様の前に立ったフォウルは、指示に従って目を閉じ、跪く。
「では、フォウル君。目を閉じて、主神の御言葉に耳を傾けなさい」
神父様の言葉に、フォウルは祈るような姿勢を取った。
その瞬間、彼の身体が柔らかな光に包まれた。
まるで祝福のように降り注ぐ光は、すぐに淡くなり、やがて消えていく。
「フォウル君、もう結構です。目を開けて立ち上がりなさい」
「よっしゃーーーっ! 剣士だーーーっ!」
フォウルは勢いよく立ち上がり、両手を振り上げて叫んだ。
「フォウル君、静かに」
神父様が咳払いまじりに注意する。
「ご、ごめんなさい……」
フォウルはしぶしぶ頭を下げた。
「さあ、ご両親のもとへ戻りなさい」
「はいっ」
返事とともに、フォウルはうれしそうに両親のところへ駆けていった。
フォウルは両親のもとに戻るなり、スキルの話を大きな声で始めた。
「剣士ってのはな、こう、剣がこうなって――」
……やっぱり、ちょっとうるさい。
「ラミナ君、こちらに」
神父様が私の名を呼んだ。
「はい」
いよいよ私の番だった。胸の奥が、ドクンドクンと脈打つように高鳴っている。
何のスキルが得られるのか、誰にもわからない。それでも、私はただひとつ――精霊使いのスキルが欲しいと、心の底から願っていた。
ご先祖様が持っていたというスキル。
精霊たちと心を通わせ、話をし、力を貸してもらえる能力。
それがあれば、両親を失ったこの世界でも、ひとりじゃないと思える気がして――。
精霊様と、もっとたくさん話がしたい。悲しい夜も、孤独な日も、そばにいてほしい。
私は、神父様の前に跪き、手を胸に当てて目を閉じた。小さく息を吸い、心を静める。
「いいですね。それでは、主神の御言葉に耳を傾けなさい」
「はい」
小さく答える声が、ほんの少し震えていた。
返事をした瞬間、視界がゆっくりと白く染まっていった。
気づけば私は、夜空の星々が瞬く、広大な宇宙空間のような場所に立っていた。
目の前に現れたのは、まばゆい銀色のストレートヘアを持つ女性。
その姿はどこか神秘的で、冷たいはずの銀が、なぜか温かく見えた。
彼女はゆっくりと私の方へ歩み寄ってきたかと思うと、両手を天に掲げ、凛とした声で宣言を始めた。
「星々の輝きよ、我が言葉に耳を傾けよ。
我が友よ、汝の魂に、我が力を授けよう。
知識の泉よ、泉から流れ出て、汝に注がん。
“精霊使い”、これを汝に授けよう。
運命の糸よ、新たな旅路を紡ぎ、ラミナの手で未来を形づけよ。
我が友よ、汝は今、新たなスキルとともに立つ。
汝の心、強さと知恵で満たされ、星々の証言とともに、汝の新たな旅が始まる」
その言葉は、まるで心の奥深くに直接届くようだった。
女性の両手から放たれた、白い火のような光が、ゆっくりと舞いながら私の胸へと吸い込まれていく。
それは冷たくも熱くもなく、ただ優しく、あたたかな感触だけを残して、私の中に溶けていった。
そして次の瞬間――。
「もう結構ですよ。目を開けて、立ち上がりなさい」
神父様の声が、現実へと私を引き戻した。
「はい」
私は目を開け、ゆっくりと立ち上がった。
身体は軽かった。けれど、どこか今までと違う――そんな不思議な感覚が、胸の奥に灯っていた。
「大丈夫ですか?」
神父様が、私の顔を覗き込みながら声をかけてくれた。
……大丈夫? 何が、だろう?
「えっ……何がですか?」
私が戸惑いながら聞き返すと、神父様は微笑を浮かべた。
「いえね、他の子とは少し違う光を放っていたので」
目を閉じていたから、自分の姿がどうだったのかは分からなかった。
「そうなんですか……?」
そう尋ねると、神父様は深く頷いた。
「ええ。念のため、お尋ねしますが……どんなスキルを授かりましたか?」
「精霊使いです」
私が答えると、神父様は目を見開いた。
「ほぉ……これは、また珍しい。アマンダさん、確か――」
「えぇ、私の婆様が授かったスキルでしたねぇ」
祖母が、どこか懐かしげに答えた。
「ラミナ君、よく聞いてください」
神父様の声が、すっと引き締まる。
「“精霊使い”は、過去百年以上も授かる者が現れなかった、非常に希少なスキルです。これからあなたには、いくつもの試練が待ち受けているでしょう。けれど、どうか……くじけずに乗り越えていってください」
「はい」
私は、まっすぐに頷いた。
試練……。どんなものが待っているのか、想像もつかない。
でも、それよりも何よりも、私の心を満たしていたのは――ただひとつの喜びだった。
『やっと話が出来る!』
数日前、悲しみに沈んだ夜に聞こえた、あの女の子の声。
その声が、また私の頭の中に響いた。
まるで春のそよ風のように、やさしく、あたたかく、私の心を包んでくれた。