第184話 リリアン・スターブレイド
アクアについて行くと、石造りの重厚な扉の前に1人の騎士が立っていた。鎧の表面には雨粒が滴り、薄暗い廊下の中でも金属の光沢が鈍く光っている。
「これは、アクア殿」
騎士の声は敬意に満ちており、深々と頭を下げる姿に品格が感じられる。アクア殿……?
私は内心で首をかしげた。
「ラミナが目を覚ましたので連れてきました」
「どうぞ中へ」
騎士が重い扉を押し開けてくれた。きしむ音が廊下に響く。
中に入ると、暖かな魔法の光が部屋を照らしていた。そこにはエルフ族の美しい女性がいた。長い銀髪が肩に流れ、凛とした表情の中にも優しさが宿っている。制服は整然としており、騎士団長としての威厳を感じさせる。
「お連れの方が目を覚まされたようで」
彼女の声は澄んでいて、どこか安心感を与えてくれる。
「えぇ、なので、連れてきましたよ」
アクアが答える声も、いつもより少し改まって聞こえる。
「ありがとうございます。ラミナさん、私はステルツィア王国の第2騎士団団長リリアン・スターブレイドと申します。以後よろしくお願いします」
凄く丁寧な挨拶をされ、私は慌てて背筋を伸ばした。こんな立派な人に挨拶されるなんて緊張する。
「ら、ラミナです。ルマーン帝国、国立アカデミーの基礎学科1年です」
声が少し上ずってしまった。
「国立アカデミーですか、懐かしいですね」
リリアンの目が柔らかくなり、どこか遠い日を思い出すような表情を浮かべる。
「ぇ?」
「私もルマーン帝国、国立アカデミーの出身なのですよ」
まさかここにも先輩がいるなんて。世界って意外と狭いんだな。
「へぇ~」
私は素直に感心した。
「私が魔法科に上がる頃までは、精霊使いで名物先生が居ましたね」
リリアンの口元に微かな笑みが浮かぶ。どうやら良い思い出があるようだ。
精霊使いで先生、もしかして……。心当たりがある。
「ぇ、もしかしてリタですか?」
「えぇ、錬金科の学科長なのに授業に飽きたからと言って、基礎学科の実技や魔法の授業に頻繁に顔を出していましたし、騎士科の実技にも顔を出していたようですよ」
リリアンが苦笑いを浮かべながら続ける。
「そういうことをやって、ヴィッシュに頻繁に怒られていましたからね」
『懐かしいわぁ~』
ミントの声が頭の中に響く。
『またですか!って、ヴィッシュがよく言ってたよね~』
『それでリタが、別に良いでしょ!って答えるまでが流れだよね』
精霊達の会話を聞きながら、私はなんとなくその光景が目に浮かんだ。きっとリタは子供みたいに頬を膨らませて反論していたんだろう。
「ぇっとじゃあ、2人は顔見知りだった?」
「いえ、私が一方的に知っていました。学内武道会や国際武道祭で何度か精霊様が姿を現していましたからね」
学内武道会は分かるけれど、国際武道祭?初めて聞く名前だった。
「国際武道祭?」
「あら?知らないんですか?11月に行われる収穫祭の翌週にあるイベントなんですよ」
リリアンが少し驚いたような表情を見せる。
「へぇ……」
「世界中から腕に自信がある者達が集まるんです」
リリアンの目が輝いている。きっと素晴らしいイベントなんだろう。
「もちろんそういった場なので、良い人材を確保しようとする各国の重鎮達も見に来るんですよ」
「そうなんだ」
私の中では、リタは暴れるだけ暴れて全てのスカウトを蹴って帰るという図式が容易に想像できた。あの人ならやりそうだ。
「参加したらいつも優勝?」
「えぇ、しかも相手の戦い方に合わせて勝利を収めてました」
さすがリタ、ただ強いだけじゃないのか。
「というと?」
「相手が魔法不得意なら剣のみで戦ったり、魔法が得意な相手だったら魔法の打ち合いでですね」
リリアンが感心したような表情で説明してくれる。そういえば、リタは剣が得意だったと聞いた覚えがある。
『世界中を回ったからな、いろんな流派の良い所を自分の物にしてたんや』
『おまけに努力の天才やったし』
そういう話を聞くと憧れるけども、普段のはちゃめちゃエピソードを聞いていると、憧れる気持ちが半減してしまう気がする。
「はぁ……、リリアンさんもリタと手合わせしたことは?」
「授業で何度かありますよ」
リリアンが懐かしそうに微笑む。
「やっぱり厳しいの?」
「そうですね、私達平民の女性に対しては非常に柔らかかったですが、貴族の子ども達に対しては凄く厳しかったのを覚えていますね」
あぁ、リタの貴族嫌いは筋金入りだったし、そのことは容易に想像できる。
「貴族嫌いは健在だったんだ」
「そうですね、リタ先生の貴族嫌いは有名でしたから」
リリアンが苦笑いを浮かべる。
『あれだけ露骨にやってりゃ当然や』
『でも、為になったって言ってる子もいたよね~』
『教え方だけは上手かったね!』
嫌いな相手でもちゃんと教えるという意味では、教師としての責任は果たしていたのかもしれない。むしろ、将来多くの者を守る立場になる貴族の子ども達だからこそ、厳しく鍛えていたのかも。
私の中ではなんとなく、リタなりの愛情表現だったような気がしてきた。
「そうなんだ」
しばらく沈黙が続いた後、リリアンが真剣な表情に変わる。
「えぇ、ラミナさん本題に入ってもよろしいですか?」
空気が一変する。さっきまでの和やかな雰囲気から、緊張感のある空気へと変わった。
「あっ、はい」
私も背筋を伸ばして答える。聞けることは聞けたし、このままずるずる雑談するよりは、話を切り替えてくれて良かった。
「ラミナさんがどういった理由で私に接触してきたかは理解しているつもりです」
リリアンの声が低くなり、騎士団長としての重みを感じさせる。
「はい」
「ですが、正直私は身動きできないのが現状です」
彼女の表情に苦悩の色が浮かぶ。
「ぇ、そうなんですか?」
「そうです、私は組織の人間、ある程度の自由は利きますが、理由も無く王都に戻ったら要らぬ疑いをかけられるでしょうからね」
確かに、命令されてもいないのに持ち場を離れて王都に戻ったら怪しまれるだろう。
「今の持ち場ってコーレン?」
「えぇ、そこの死守が私の任務です」
「と言うことは国境の戦が負けた場合の最後の砦ってことですか?」
「その通りです」
そりゃ、不戦敗状態で王都に戻ったら、裏切り者扱いされても仕方ない。
「私はどうすればいいですか?」
私は素直に彼女の指示を仰いだ。
「国王に反感を持っている騎士団長は私だけじゃありません」
リリアンの声に複雑な感情が混じる。
「そうなんですか?」
「えぇ、第3騎士団団長ガレス、第4騎士団団長アリアナ、第6騎士団団長イザベラ、第9騎士団団長トリスタン、第10のユリウスも……ですが、彼は今消息不明なので、とりあえずその4人に接触して貰っても良いですか?」
第10騎士団って、もしかして後詰めの部隊だったのかな。
「分かりました。どこに行けば良いですか?」
「ガレスとアリアナはルシャノフの町に駐留しているはずです。イザベラは王都ステランクの王都防衛に就いています。トリスタンに関してはそのうち向こうから接触してくると思いますよ」
リリアンが地図を思い浮かべるような仕草をする。
「えっと、じゃあまず私はルシャノフに向かえば良いですかね?」
「そうですね、ガレスは海軍なので王都まで移動する手段を用意してくれているはずです」
「ルシャノフで、ガレスさんとアリアナさんに会ってそのまま、王都へ船で移動してイザベラさんに会うと」
「えぇ、トリスタンとも王都で会うとは思いますが、王都を守る第1騎士団の団長エドワードにだけは気をつけてください」
リリアンの表情が曇る。
「何か問題が?」
「彼は忠誠心に厚く私達とは違います。間違いなくあなたと敵対するはずです」
そもそも、複数の騎士団長が国王に反旗を翻している時点でこの国はおかしいと思うのだけど。
「あの、なんで国王を裏切る選択を?」
私は率直な疑問をぶつけた。
「私の場合は暴政に耐えかねたからですが、他の団長は今の国王より、現王の兄君に忠誠を誓っていたと言うのもありますし、それぞれの思惑があるんです」
リリアンの目に悲しみが宿る。きっと苦しい選択だったのだろう。
現王の兄……。何か複雑な事情がありそうだ。
「えっと、そのお兄さんは無事なんですか?」
「えぇ、王都内でレジスタンスを率いています」
と言うことは城を追われたということか。王族同士の争いなんて、想像以上に複雑そうだ。
「その人に接触は?」
「トリスタンが接触してきたら、自ずと接触することになると思いますよ」
と言うことは、トリスタンが王の兄を庇っているということだろうか。
「分かりました。とりあえずルシャノフに向かいますね」
「えぇ、そうしてください。後、可能でしたらミネユニロント王国の進軍を止めて貰えると助かります」
ミアンのホープを経由して総大将ミッシェルに伝われば止められるはず。アクアがいるから大丈夫だろう。
「多分大丈夫だと思います」
「助かります。これから王都へと言う状態で背後を襲われるのは困りますので」
リリアンの表情にほっとしたような色が浮かぶ。
「だって、アクアお願いできる?」
「えぇ、既にその旨を伝えてあります」
さすがアクア、話が早い。
「助かります。それでは私達は明日の朝、怪我人をコーレンの町に連れて行きます」
「じゃあ私は……」
私はカバンから懐中時計を取り出し、文字盤を確認した。針は12時を少し過ぎたところを指している。もうお昼の時間か。
「今からルシャノフに向かいますね」
「分かりました。道中気をつけてください」
リリアンが心配そうな表情で私を見送ってくれる。
「ありがとうございます、それでは」
私は深々と頭を下げて、リリアンのいる部屋を後にした。
外に出ると、相変わらず雨が降り続いていた。空は厚い雲に覆われ、午後だというのに薄暗い。雨粒が頬に当たって冷たい。
「雨っていつまで続くかな?」
私は空を見上げながらつぶやいた。
「水を大分減らしたので、明日の朝には止みますよ」
アクアの声に安心感がある。
「そっか、ルナ、ルシャノフまでお願い」
私が呼びかけると、精霊達と同じ状態になっていたルナが光る粒子となって実体化し、乗りやすいように膝をついて現れた。その美しい白い毛並みが雨に濡れても光沢を失わない。
ルナの背に跨り、手綱を握る。温かい体温が伝わってきて心が安らぐ。
「行くよ、ルナ」
ルナが力強く地を蹴り、雨の中をルシャノフに向かって駆け出した。蹄の音が雨音に混じって響く中、私達は次の目的地へと向かっていく。
背後では、コーレンの明かりがだんだん小さくなっていく。私は前を向いて、雨の中を進んでいった。
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