第129話 幕間 憎しみの炎
植物の大精霊ミドリ(ミント)視点
その朝から、雨はひとときも止まず、集落を叩きつけるように降り続いておった。
昼頃や。領主の代理人と手下どもがやって来て、今年の取り分やという麦を、無言で荷車に積み始めたんや。
その少し前から、リタと父親は、集落の外れにある農具小屋で息を潜めとった。
「おとうさん?」
事情もわからずついてきたリタが、濡れた肩をすぼめながら首を傾げる。
「なんで、隠れるの?」
「リタを……悪い奴らから守るためさ」
「わるいやつ……?」
リタは、腑に落ちん顔で父親を見上げとった。
うちは知ってた。
父親とリタの母ちゃん——レイナが、どれだけ悩んで、どんな決断を下したか。二人がなにを手放して、何を守ろうとしてるのか。
「ミドリ、なんか知ってる?」
問いかけられて、うちは少しだけ葉を揺らした。
精霊はな、嘘つかれへんのや。たとえ真実が、胸を引き裂くもんでもな。
『知っとる。ほんまや。お父ちゃんの言うこと、全部ほんまやで』
「ん~……ミドリがそういうなら、そうなんだね」
リタは、まだわかってへん。けど、精霊の言葉は信じる。それがこの子の、真っ直ぐなところや。
ほんまは、両親の願いはひとつだけやった。
“リタの命を守ること”、それだけ。生きて、逃げて、未来にたどり着かせること。
その瞬間、集落の方角から、誰かのがなり声が雨音を突き破って響いたんや。
「……まずいな」
父親の顔が強ばった。集落の方で騒がしくなってな、何が始まったかを悟ったんや。
領主の狙いは最初から、麦やあらへん。リタやった。
うちは子どもらを通して、集落の中心で何が起きてるか、はっきり聞いてた。
ロウはリタの両肩を強くつかみ、正面から目を見据えた。
「いいかいリタ。何があっても、数年はこの村に戻ってきちゃだめだよ」
「え? なんで?」
「リタの命を狙うやつらがいる。そいつらがいる間は、ここに戻っちゃいけない。わかるね?」
「どうして……」
『なあ、リタ。いまな、領主の手下らが集落で叫いどん。“リタを出せ”ってな』
「……え?」
「精霊様から、集落の様子を聞いたんだね」
「私を……?」
「そうだ。麦が足りないから、その代わりにリタをよこせって言ってる。人の命を、年貢の代わりにしようって、言ってるんだ」
「え……そんな……」
「だけどな。お父さんもお母さんも、そんな理屈には絶対に従わない。……ノアおばさんの家、わかるね?」
「うん。でも……お母さんは……お父さんは……?」
「こっちが落ち着いたら、必ず会いに行く。だから、先に行って。わかった?」
「……うん……」
その時や。
小屋の外、遠くの集落から——女の悲鳴が突き刺さるように響いた。
次の瞬間、父娘の視線が集落の方へ向いた。
剣が、振り下ろされて。
リタの母ちゃんが、血の中に崩れ落ちとった。
「レイナ!」
「お母さん!」
二人の叫びが、雨を裂いた。
「精霊様……リタを……!」
『まかしとき、すぐ連れてく……!』
父親には聞こえないだろうけど、思わず反応した。
「よくもお母さんを……! 炎の精よ、刃となりて穿て——」
『あかんって!』
こんなとこで魔法を撃ったら、全部終わりや!
「喰らえ……我が魔素を纏いし炎槍よ……」
詠唱の最後を口にしかけた、その瞬間。
“パチン!”
小屋に、鋭い音が鳴り響いた。
父親が、迷いなくリタの頬を打ったんや。
「リタ! みんなを殺す気かい!?」
「でも……!」
「魔法を放てば、領主に逆らった証拠になる。そしたら、明日にはハーヴァーの騎士たちが、村ごと焼き払う……!」
『お父ちゃんの言うとおりや! ここで刃向かえば、村も誰も助からへん!』
「っく……!」
リタの胸の奥で、炎が燃えとった。
怒りや。憎しみや。涙と一緒に、燃えさかっとったんや。
「……わかった」
その声に背中を押されるようにして、リタは父ちゃんを振り返らず、小屋を飛び出した。
「精霊様、リタのことをどうか、どうかお願いします」
去り際に父親の想いを受け取ったんや。
マントのフードが外れとるのも気にすることもなく、全力で雨の中を駆けていく。
あの時の顔。——うちは、今もはっきり覚えとる。
涙でぐしゃぐしゃになりながらも、目の奥には、怒りが宿っとった。
悲しみと、憎しみが、絡まり合うてな。
あの子は、未来へ向けて、里を出たんや——。
……うちは、ただ見守ることしかできへんかった。
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