第1話 プロローグ
私の名前はラミナ。
ルマーン帝国の中部に位置する、緑豊かなルヴァ村で生まれた。
もしあの日がなければ、私は今でも祖母と両親に囲まれて、平凡で幸せな農民の娘として生きていただろう。
でも、運命は残酷だった。
五歳の誕生日を迎える前に、私は両親を失った。それも、たった一日で。
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事の始まりは、いつものような夕暮れだった。
父が村の狩人ブルックスと森から帰ってくる時間。いつもなら、獲物の自慢話や森で見つけた珍しい花の話を聞かせてくれるはずだった。
でも、その日の父は違った。
自分の足で立つこともできず、ブルックスに肩を貸してもらってやっとの思いで歩いている——そんな姿で帰ってきたのだ。
「アマンダさん!リーシュが!」
ブルックスが血相を変えて叫びながら駆け込んできた。
「なんだい、どうしたんだい」
祖母が慌てて玄関に出る。
「森で狩りをしてたら突然倒れたんだ!」
「ラミナ、布団を」
祖母の声は思ったよりも冷静だった。だが、その奥に潜むかすかな震えを、私は見逃さなかった。
「う、うん……」
私は急いで部屋の隅から布団を引っ張り出した。ブルックスがそっと父をその上に寝かせると、祖母はすぐに膝をつき、父の額に手を当てる。
「……すごい熱だね」
祖母の低い呟きに、胸が締めつけられた。
「あぁ、倒れたときはそんなに熱くなかったんだが、連れ帰る途中でどんどん熱くなってな……」
ブルックスの言葉に、祖母の眉間に深い皺が刻まれる。
「虫にでもかまれたのかね……。まぁ、いい薬を用意しよう。……ブルックス、悪いんだが、ミランダを呼んできてくれないかい? 悪い予感がしてねぇ……」
悪い予感。
その言葉が、私の心に暗い影を落とした。
「あぁ」
ブルックスは深く頷くと、急ぎ足で外に出ていく。
「ラミナ……、うつるかもしれんから、離れてなさい……」
祖母の言葉には、優しさと厳しさが入り混じっていた。私は黙って頷き、一歩、二歩と後ずさる。
「うん……」
声は、ひどくか細く震えていた。
祖母が何種類もの薬を調合し、必死に父の口に流し込んでいる最中——ブルックスが再び戻ってきた。
その腕には、ぐったりと力なく抱かれた母の姿があった。
「アマンダさん!ミランダも!」
ブルックスの声は、先ほどよりもさらに切羽詰まっていた。
「ラミナ!」
祖母が私を呼ぶ。咄嗟に返事をして、私はもう一組の布団を準備しようと動いた。
「うん!」
でも——。
母の身体は、もう冷たかった。
祖母が母を抱きとめる間もなく、母は静かに息を引き取っていたのだ。
そして、それからわずか二時間後。
懸命な看病の甲斐もなく、父もまた、この世を去った。
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私はまだ、五歳にもなっていなかった。
何が起きたのかも理解しきれないまま、両親を失ってしまった。
あの謎の病は、村の中で他にも五人を襲った。発症してから高熱に苦しみ、わずか二〜三時間で命を落とす。まるで音もなく忍び寄る死神のような病だった。
そして今、私は天涯孤独の身となった。
残されたのは、優しいけれど既に年老いた祖母だけ。
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両親の葬儀を終えた夜。
悲しみと喪失感に押し潰されそうになりながら、私はひとり布団の中で目を閉じていた。
なぜ、お父さんとお母さんが死んでしまったのか。
なぜ、私だけが残されたのか。
その問いばかりが胸の中で繰り返される。
すると突然——私の頭の中に、見知らぬ声が響いた。
『ラミナ元気出しぃ、ウチが側におるから!……って言うても聞こえてへんか……』
元気で快活そうな、女の子の声だった。
私はびくっと体を起こし、周囲を慌てて見回した。
「ぇ?」
誰もいない。もちろん、女の子の姿など見当たらなかった。
「どうしたんだい?」
祖母が心配そうに私を覗き込む。
「今、誰かが"ラミナ元気出しぃ、ウチが側におるから"って……」
私が答えると、祖母はふわりと目を細め、にっこり笑った。
「ほっほ、その訛りは精霊様だねぇ。あんたも、聞こえるようになったか」
「精霊様?」
聞き返す私に、祖母は頷いた。
「そうさ。村でも、うちの畑だけは雑草がほとんど生えず、良い麦が育つだろ?」
「うん」
「それはね、植物の精霊——ドライアド様が、ずっと見守ってくださってるからなんだよ」
「そうなの?」
私の声には、驚きと戸惑いが入り混じっていた。
「そうじゃよ。血筋なのかねぇ……。リーシュも、幼い頃に精霊様の声を聞いたと言っていたよ」
「お父さんも……? おばあちゃんも聞こえるの?」
私が尋ねると、祖母は静かに首を横に振った。
「もう久しく聞いてないねぇ。……少し、精霊様にまつわる話をしてあげようかねぇ」
「うん、お願い」
私は膝を正し、祖母の方を見つめた。
すると祖母は、懐かしそうに遠くを見つめるような目をして、ゆっくりと語り始めた。
「私の婆様がね、精霊使いだったんだよ」
「おばあちゃんのおばあちゃん?」
思わず問い返すと、祖母はこくりと頷いた。
「そうじゃ。ラミナから見れば、ひいひいおばあちゃんにあたるねぇ」
「ひいひいおばあちゃんが……精霊使い?」
私はその言葉に驚きの声を上げた。けれど、祖母は微笑を浮かべたまま、言葉を続ける。
「そうじゃよ。婆様はねぇ、かつて世界中を旅してまわった冒険者でな。この村出身の戦士の男と結婚して、ここに来たんじゃ」
祖母の声は穏やかだったが、どこか誇らしさを感じさせた。
「その時な、婆様は四人の精霊と契約していたそうじゃ。水の精霊ウンディーネ様、植物の精霊ドライアド様、地の精霊ノーム様、火の精霊イフリート様。どの方も、強くて立派な精霊様だったんじゃよ」
その名前を聞くだけで、胸が高鳴った。
まるで絵本に出てくる伝説のような存在が、私の血の中にも流れているのだと知って——。
「けれどなぁ、婆様が亡くなったときに契約は切れ、ウンディーネ様、ノーム様、イフリート様はどこかへ行ってしまわれたそうじゃ。ただ……ドライアド様だけは、今もこの家のそばに留まり、見守ってくださっているらしいよ」
……じゃあ、あの時、私の頭に響いた声は——。
「そうなんだ……。それじゃあさっきの声は、ドライアド様? 今も、そばに居るのかな?」
私が不安と期待を入り混ぜながら尋ねると、祖母は優しく微笑んだ。
「ラミナが声を聞いたというなら、きっと居るんじゃろうねぇ」
私はそっと目を閉じ、耳を澄ませた。
もう一度、あの声を聞きたい。あのあたたかくて、元気をくれた声を——。
けれど、いくら待っても頭の中に声は響いてこなかった。
「……精霊様の声、聞こえないよ」
寂しさを滲ませてそう告げると、祖母は深く頷いた。
「そうかい。……でも、時期も時期だしね。今週末の"洗礼の儀"で、精霊使いのスキルが発現するかもしれないねぇ」
「スキル……。一人一つ、必ずもらえるというあれ?」
私は以前、村の学校で教えられたことを思い出しながら尋ねた。
「そうじゃ。婆様も精霊使いだったし……。ラミナにも、その力が宿るかもしれんよ」
祖母の言葉に、心の奥にほんの小さな光が灯った気がした。
両親を亡くしてから、ずっと塞がっていた胸の奥に、ぽつりと希望の種が落ちたような——。
「……そうなのかな!?」
自分でも驚くほど明るい声が出た。祖母はそんな私を見て、再び微笑む。
「精霊使いが身に付くといいねぇ」
「うん!」
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その時の私は、まだ何も知らなかった。
この先に待っている運命も、精霊たちとの絆も、命を救う力の重さも。
それでも——確かに、私は前を向く一歩を踏み出していた。
両親を失った悲しみを胸に、精霊の声という新たな希望を抱いて。
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