第一章(全四章)
「オイ、キーが無ェんだよ・・」
倉本は愛車の四WDの運転席からそう叫んだ。一方、後部座席では別当建一郎が、横になり、本を片手に "知らん" と答える。公園脇では長らく文明の利器が燻ぶった侭となっていた。
「なぁ、スペア知らねェか?」
助主席に置かれたジャケットをいじりながら倉本は建一郎に尋ねる。
「女の所だろ」
「女? あっ、エリカちゃんの所ね・・ハハ」
スペア・キーは水商売の女の部屋に、忘れてきたんだろーーと建一郎は、云いたかった。以前、駐留した旅先の女である。
別れ際、逃げる様に倉本はそこを離れたので大切な忘れ物をするハメになっていた。
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「おじさん、このカギじゃないの?」
公園に遊びに来ていた少年の一名がふたりのトラブルを察し、介入してくれた。
何て事はない。カギは運転席のドアの差込み口に備え付けのままだったのだ。
「助かったぜ! 少年」
ドアを開けっぱなしで探していた倉本はその少年に本能的な礼を云った。
「バッカでェ!」
建一郎はエリカの件も含めて彼を批難した。
「これで、ジュースでも買いな」
倉本は少年達に小遣いを与えた。
それを見ていた建一郎に車内に戻った倉本は告げられてしまう。
「何でも金なんだな!」
それはエリカの件も兼ね備えていた。
「いいじゃねェか、金ならタンマリある!」
少し建一郎を厚かましく感じながら、倉本はそう返答していた。
二名の思想の違いが車中で、激突している。
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「たまには羽でも伸ばすか・・」
トランクに当たる箇所からサッカーボールとトレーニング・シューズを取り出し、倉本は建一郎との諍いを避ける行為に入った。
「ボールの中央を見ながらーー」
倉本は公園でリフティングを始めた。
リフティングとは地面にボールを落とさず手や腕以外の箇所で球つきをするというサッカー特有の練習メニューの一種である。辺りには春らしい心地良い風が吹き始めていた。
「おじさん、上手いね」
先程の少年が倉本を誉め讃えた。
「そうか? 久しぶりだから百も出来ねェ」
少年の目は自分の父親を見る時より、尊敬の念が込められてる。
「おじさん、元ジェー・リーガー?」
アメ玉を舐めた別の少年も近寄り尋ねてくる。
(そんな訳、無ェだろ!)
倉本はそれに集中し過ぎて返答さえ出来ない。いつの間にか子供達の数は、倍化していた。
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「次はドリブルだ」
学生の頃、培った技術を少年達に披露していた。倉本がコロンビア帰りのコーチから教わった総てを子供達に解説付きで、蹴って見せた。
「すっげェ」
子供達は素直に感動する。
元々、学校で教わるモノなど人間は、あまり興味を示さない。
要は楽しみながら、その魅力的な何かを習得したいのだ。
「おじさん、オレ達にも教えてよ」
「判ったーーじゃぁ、各自、ボール、持ってこいや」
少年達はいっせいに自転車に跨がり、消えて行った。
(リフティングの下手さ加減がバレなくて、よかった・・)
ドリブルの練習メニューに急に、切り換えたのは、その為であった。
何気なく倉本はズル賢く振る舞ってしまった。
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「オイ、一緒に蹴らねェか?」
倉本は建一郎を取り敢えず誘ってみた。
「ーー」
無言はいつもの事だ。倉本はたいして気にはしていない。
しかし、今回は地域の小学生達と軽く汗を流そうーーというだけの話。
倉本は旅に出てから仙人化した建一郎に対し、ついつい嫌気がさして叫んでしまう。
「女も抱かなきゃ・・外にも出ねェのか!」
背中を向けたまま電子音を発していた後部座席の建一郎は、さすがに寝返りながら漸く重い口を開いた。
「この旅は互いに手にしてしまった到達感をどう打破するかがテーマではなかったか?」
将棋ゲームを打ちながらドイツ人のように、建一郎は訴えてきた。
(そうだ。確かにそうだ・・)
倉本の心は言葉では判っていたが肌で感じていなかった、その "目標" を今、問われていた。
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「それに、サッカーというのが気にくわん。オレ達は二度とボールを蹴らないと約束したはずじゃなかったか?倉本」
学生時分に確か、そんな事を誓ってはいた。しかし、当の倉本はとっくの昔に、この契りを忘れ水面化で独りボールを蹴っていたのだ。
「まぁ、いいや」
何を云ってもムダだ。建一郎の心は、かなり閉ざされたモノになっている。
倉本は独り公園に戻った。
「おじちゃん、シュート無しだよ」
一番・年の若い少年が倉本に特別のルールを課した。
倉本以外の人間がシュートを決めなければ、得点としない条約だった。
ドリブルを少し教えた後、人数が更に増えたのでゲーム形式に変えていた。
ゲームは練習ほど、美しいプレイは出来ない。倉本は少年達に一日でも早くそれを修得してもらいたく、そのメニューに変更していた。
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「タカヒロ」
いずれかの少年の名を若い主婦であろう女が呼び寄せていた。
二・三度、呼ばれてカギを見付けた少年が、その母であろう女のもとに走っていった。
(知佳ちゃん?)
倉本はプレイが中断した、その瞬間に彼女を見つめ、内心そう叫んだ。
学生時よりも肌の油分が抜けたのに対し躰のラインに少し丸みをおびた姿に彼女は映った。
「オレ、塾だから帰るよ」
少年がそう報告すると、そんな事には構わず、彼女の旧姓を一応確め、その少年とふたりで近づき話し掛ける。
「知佳ちゃんでしょ? 大泉知佳ちゃん!」
「えっ? 倉本君・・どうして、ここにーー」
ふたりは高校時代、良きクラス・メイトだった。
「建一郎も居るんだ、ホラ、あの車ン中!」
「ーー」
そのセリフは一瞬、彼女を黙らせるに到った。
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「反対でしょ?」
知佳が重い空気を追い払って、取り敢えず、倉本に尋ねたが何を問われたかが判らない。
「塾に通わせてるのよ」
「ーーいいんじゃない」
「嘘! やっぱり変わっちゃったわね、皆」
「皆ーーって他にダレ?」
アタシよーーそう云って知佳は遠くを見た。そのひと言は恰も自らが不幸であると告げるかの様に倉本には聞こえている。
「しょうがねェって! 時代が読めねェんだから・・」
倉本は宥めた。昔はメッセージ・シンガーを気取り、実力主義を唱えていたが不況になってダレもが弱気になり現金以外の何物を信じていいのか判らなくなっている・・
「お互い、ダサダサ(=ナン・センス)ね」
「ーーそんな事、ねェよ」
急いで知佳の言葉を倉本は、否定していた。もう難解な哲学など考える余裕は、無いのだ。
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「知佳です」
そう云いながら四WDの後部席のガラス部をノックした。
それに気付いた建一郎は今回ばかりはハッとしてガラス部を全開にした。
「アタシ、あれから結婚して南という姓に、変わりました・・」
「あ、そうですか」
なぜか、たどたどしく二名は敬語を使い合う。倉本は少年達に呼ばれて公園に戻っていた。
「今、御仕事のほうは何を?」
知佳がそう尋ねてる間、タカヒロは、そこに居ずらいが為か自転車を漕いで塾へ向かってしまった。
「今は・・プー(失業者)です」
少し笑いながら建一郎は答えた。
「でも、貧しさは感じられないわ」
「ーーまぁ、少し貯金があるからね」
建一郎はあえて敬語をくずした。
あたたかい風が強く木々を揺らす音をたてる。
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「そう云えば、どうして、ここに?」
知佳は両手を背後にまわして組み、少し身を前に屈めながら尋ねた。
「実は・・放浪の旅に出てましてね。この間まで長野の山奥に居たんですがーー次は多分、北海道を一周する予定です」
建一郎はあえて敬語に戻していた。知佳の問い掛け方がより学生時のモノに近く感じ、人妻である彼女を女として見たくは、なかったが為だ。
「うらやましい・・」
うつむきながら答える知佳は、素敵だった。やはり美人と称されるだろう。
「まぁ、本当のところ、何をしていいのか、判らんのです」
知佳が魅力的であればある程、なぜか昔から建一郎は詩人ぶってしまう。
ウフフ、と知佳はそれを小さく笑ってしまい、二名の会話は途絶えるに到った。
彼はそんな応対に常に苦しめたれてきた訳だ。
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「ーーボクの前の仕事の件でも話しますよ」
建一郎は話の方向を変えた。
うんーーと頷いて知佳は彼に話の主導権を与えた。
昔から知佳が建一郎を少し見下す様に冗談をまじえながら、会話を進めてしまう事が多く、真面目な建一郎はその度、より硬派な自分を演出してしまっていた。
なんとなく判っていたのだが、その形式が、いつも崩せずいたので、知佳は敢えて黙ってみる。
「不動産をやってました。主に土地の方を」
建一郎の、その打ち明けに知佳は彼の瞳を見るだけに留めた。
「まぁーー不景気になる前に身を引いたので借金とかは無いんだけどね・・」
そのセリフは彼女に安心を与えた。
心配したところで、どうにも出来ないし、今の建一郎が恋人でもない訳だから、全く関係の無い話なのだが知人として取り敢えず、安堵するに到れた。
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「ーーところで御主人は何を?」
仕事の内容を建一郎は問うた。
「普通のサラリー・マンなの」
まだ、リストラの対象にはされていないと、知佳は付け加えた。
「真面目すぎて嫌な男よ」
知佳が建一郎の目を見ずに、思わず告げた。
「まるで、ボクみたいだね」
彼の返答に今回の彼女は敢えて笑わなかった。会話が途切れ、上空のセスナのフライトをしてゆく音だけが静かに響き渡った。
「あァあ、何、話してんだ?奴達」
少年達に聞かれない様に倉本は、ひとり言を吐き捨てた。
知佳と建一郎が二名きりになって、数十分の時が流れている。
元来、学生時には知佳の気持ちを知っていて、恋のキューピット役を、倉本は買って出たのだが、肝心の建一郎の方がカタブツで困った。
「今からが青春なのかねェ・・?」
倉本はあきれて春空を独り眺めるに到った。
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「よぅ、厚かましいようだが・・一緒に混ざらんか?」
倉本は二名の事が気掛かりだった胸の内もあってか、今一度、車に近寄り建一郎に尋ねた。
丁度、知佳が居る手前、激しい口論にはなるまいと、そう閃いた矢先の決断だった。
「どっちにしても、シューズが無いだろ!」
建一郎は、ソフトに拒否したつもりだった。知佳は一応、サッカー部のマネージャーを務めていたので、二名の心中は察している。
「そんなキレイ好きじゃ何も変わらんゾ。胸の中にある空しさを消し去る為に旅に出たんだろ?
もっと今の自分を壊して新しい何かを探してみたら、どうなんだ!」
倉本は感情的に、ならぬよう問い質した。
知佳は倉本の熱いハートを見て本来の彼を確認・出来ていた。
建一郎は黙っている。
少年達が休憩を取り騒ぐ声だけが響いていた。
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「オマエだけは自分(建一郎・本人)の事を、理解してくれてるーーと思った・・」
建一郎は切なる思いを伝えた。
「ーーそうだ。だから二名でビジネスをし、だから二名で旅に出た・・そうだろう?」
倉本は建一郎の心のキズを計算し、返答している。傷付いていたって事は何も変わらない。そんな事は中学生でも判っている。
建一郎は世界一の田舎侍だ。
ーー取り敢えず、今日はダメだーー
行き着くところ、それが建一郎の解答だった。車から離れて、知佳と二名きりになった倉本は発する。
「オレが奴なら、酒を浴びる程・飲んで、金・使えるだけ投資して・・最後に、知佳ちゃん、押し倒して好きにしちゃうんだけどね・・」
二名は軽笑し、ため息をついた。
要は、それだけ建一郎という男は何をやるにしても割と優秀で余裕のある輩ではあったのだ。
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「そう云えばーー今度、北海道に行くんでしょう?」
知佳は朗らかに問うた。
「ーーうん、まぁ・・どこ行ったって変わんねェよ、結局」
倉本は庶民的な口調で喫煙しながら嘆いていた。
「どういう事よ?」
「何つうか・・判ってないーーって事を克服したいんだよね」
未熟さを埋め合わせたいと倉本は訴えていた。
「アタシには、判りにくい話ね」
知佳は自身を人間である前に女であると発想している。
「そうだろうね・・まぁ、女は好きな男と、結婚・出来りゃ、それで良いんだろうけど・・」
「ーー」
倉本のコメントに答えない知佳がいた。
(本当に好きな相手と結婚したのだろうか?)
説得されて結婚したのだが納得はしなかったように、今は思える。
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「どうも、この子達のコーチをしています、ヨコタFCの和加沢です」
二名の前に二十代前半の本職は公務員だと、名乗る男があいさつに来た。
それが所以となって二名の人生観を語るひと時は中断されてしまう。
「どうも」
そう云って握手を求めながら倉本はタバコの火をシューズの底でこすり、消火をした。
何か二名の会話まで揉み消された感じであった。
「中々、やりますね」
「そうかなァ」
和加沢のプレイ中の問い掛けに倉本が答えた。
「結構、内容的にいいゲームになってます」
和加沢の、この発言には倉本も同感だった。問題はレヴェルではない。個々が能力を最大限に発揮・出来ているか、どうかーーなのだ。いい汗をかいた・・倉本は何かが吹っ切れている。気付いてみると知佳が居ない。後日、彼女に、もう少し気使おうと彼は省みていた。
(続)