第15話 『弟のためにパパ活する女子大生』はヤバい
アンリアル初の大型イベント『ロクノシマ奪還作戦』が始まった翌日。土曜日のこと。
早朝までニオさんとアンリアル。朝はウタ姉と朝ごはん。3時間ほど仮眠をした後、12時から17時までバイトをしてようやく帰宅だ。さすがにちょっと疲れたけど、明日はバイトもない。今から心行くまでイベントに集中できる。
自分でも分かるくらい軽い足取りで家に帰ると、なぜか玄関の鍵が開いていた。
「……ウタ姉?」
今は17時過ぎ。ウタ姉はもう、バイト先に居るはずだ。帰って来るのは夜の10時過ぎだし、バイトが休みなら必ず連絡がある……。
少しだけ警戒しながら玄関のドアを開けると、見慣れない靴が揃えて置いてある。ただし、ウタ姉が普段使っているスニーカーは見当たらない。
(やっぱり、ウタ姉は帰ってない。けど……)
視線を上げてみれば廊下の先、リビングから明かりが漏れている。いよいよもって、空き巣の可能性が出て来た。こんな時は確か……。
「ただいまー!」
あえて声をかけることで、空き巣が逃げる時間を作る。最悪なのは、鉢合わせることだったはずだよね。興奮した犯人が何をするか、分からないから。
果たして、謎の侵入者はどう動くのか。いつでも逃げられるように玄関のドアを開けて待っていると、リビングから1人の男性が姿を見せる。その姿に見覚えがあったことで、俺は小さく息を吐いた。
「あら、コーちゃん。お帰りなさい」
そう言って儚げに笑ったのは、ウタ姉の叔父さん……じゃない。叔母さんに当たる小鳥遊縫さん。すらっと高い身長は190㎝あるんじゃないかな。全体的に線は細くて、肌は色白。スッと通った鼻筋に、涼しげな目元。サラサラでショート丈の黒髪。触れれば折れてしまいそうな、イケメンさんだった。
「お久しぶりです、縫さん」
「ええ、久しぶり。コーちゃんも元気そうね?」
「おかげさまです」
玄関まで迎えに来てくれた縫さんと軽く挨拶を交わしつつ、俺は靴を脱いで家に上がる。
縫さんは、ウタ姉のお父さんである卓さんの妹さんだ。去年までは未成年しか居なかった小鳥遊の身元保証人にもなってくれていて、感謝の気持ちはある。けど、本音を言えば、俺はこの人が苦手だ。というのも、縫さんは身体が男性、性自認が女性寄り、性的志向が男性。いわゆる“おねぇ系”の人なんだよね。
ただでさえ、俺は人と関わる機会が少ない。性的マイノリティの人と接する機会なんて、さらに限られている。だから、どう接していいのか分からないと言うのが正直なところ。俺に出来ることと言えばせいぜい、縫さんの性自認を尊重して、女性として扱うことくらいだった。
ひとまず自室に戻った俺は部屋着に着替えてリビングに向かう。すると、縫さんが包丁片手にキッチンで固まっていた。
「……縫さん。料理できないのにキッチンに立たないで下さい。危険です」
「ひどいわ、コーちゃん。これでも私、ウタちゃんに見てもらいながらお店で練習してるのよ?」
なんて言いながら、不貞腐れる縫さん。お店って言うのは、縫さんが経営しているバーのこと。実はウタ姉のバイト先だったりする。5月になってもなかなかバイトを見つけられなかったウタ姉を、縫さんが雇ってくれていたのだった。
「お店って……。お酒と、買い置きのおつまみしか無いって聞きましたけど?」
料理をする機会が無いんじゃないか。そう言った俺に、「そうだけど~……」と弱った顔をした縫さん。結局、素直にキッチンを出ていって、リビングの4人掛けのソファでくつろぎ始めた。
残されたのは、皮の処理もカットのサイズもずさんな野菜たちだ。台の上にカレーの素が置かれていることから、カレーに挑戦してくれようとしていたらしい。
とりあえず手を洗った俺は、改めて、野菜の下処理から始めて行く。まずはジャガイモから。皮の処理がちょっと甘いけど、有毒な芽だけは丁寧に処理してある。縫さんも縫さんで料理を頑張ろうとしてくれていたことはよく分かった。
「お店、いろいろ大丈夫なんですか?」
調理の傍ら、リビングのソファで所在なさげにしている縫さんに水を向けてみる。
「色々って言うと?」
「バーなのに20歳以下のウタ姉だけで良いの、とか。縫さん目当てに来るお客さんも多いんじゃないか、とかですよ」
特にウタ姉だけしかいない状況は、多分、法律に引っかかる。その辺りのことを聞いてみると、
「もちろん、どっちも大丈夫よ」
とのこと。ちゃんと、ウタ姉以外の成人女性がバーテンダーとして立っているらしい。また、今日はレディースデイと事前に告知していたらしくて、普段はあまり来ない男性客を獲得する日でもあるらしかった。……まぁ、そりゃそうだよね。子供の俺ですら気付くことに、大人の縫さんが対策しないはずもないか。
ジャガイモの処理を終えれば、次は人参だ。丁寧に洗ってから、こちらも包丁で皮をむいていく。
「縫さんが来てるなんて思って無かったから、空き巣かと思いました」
「あら。ウタちゃんから聞いてなかったのね。あなた達に何かあったら、兄さんに申し訳が立たないもの」
過度に干渉するでもなく、適切な距離を持って俺たちを見守ってくれている。それが、俺から見た縫さんの関わり方だ。数か月に1回、忘れた頃に、こうやって様子を見に来てくれる。縫さんにとって親族であるウタ姉はともかく、赤の他人でしかない俺の様子まで。
「少なくともコーちゃんが成人するまでは、私が面倒を見てあげるから」
リビングのソファから優しい顔で俺に向けて手を振る縫さんに、俺は改めて感謝の言葉を返しておいた。
その後、縫さんがシフトを組まないと、と、携帯を操作し始めたことでリビングには俺の調理の音だけが響く。
「「…………」」
沈黙って、気まずく感じるが多い。微妙に親しい間柄だと特に。けど、縫さんが事前に黙る理由を言ってくれてるから、幾分と気が楽だ。と、そこまで考えて気付く。
(なるほど。これが、大人の気配り……)
会う回数こそ少ないけど、縫さんとはそれなりに長い付き合いになる。俺の性格を知ってるだろう縫さんが、俺に合わせた対応をしてくれた形だ。接客業ならではの気配りは、俺もバイトだったりでぜひ真似をしたい対応だった。
まぁ、そのためには“相手”をきちんと見る……ひいては、他人に興味を持つところから始めないと、なんだけど。
そうして、特段気まずさを覚えることが無い沈黙が10分ほど続いた頃。野菜を鍋にかけ、縫さんが買って来ていた鶏モモ肉を冷蔵庫から出したところで、
「コーちゃん、ちょっと良い?」
縫さんの方から、声をかけて来た。
「どうしたんですか?」
「ウタちゃん、家でどんな様子なのか、聞きたくって」
「家でのウタ姉ですか?」
どういう意図の質問なのかは、分からない。ただ、わざわざウタ姉が居ないと分かっているタイミングで家に来たことを考えると、この問いかけこそが縫さんの目的なんだろうことは予想できる。
「普通、ですけど……。ウタ姉がどうかしたんですか?」
ウタ姉に関することだし、さすがに調理の手を止めて縫さんとの会話に集中する。
「ちょっとね。ウタちゃんのシフト希望が結構な量になってるの」
携帯に映るシフトの画面を見ながら、悩ましげな声を漏らす縫さん。高校の頃も、ウタ姉は年間103万円の壁ギリギリまでバイトをしていた。けど、今回ウタ姉が縫さんに提示した来月のシフト希望は、週6日。4月終わりから始めたバイトとは言え、このままいけば軽く年間の収入が103万円を超えることになるらしい。
「家で何か入用ってわけでもないわよね?」
入用。そう言われてここ最近の出来事を振り返ってみるけど、お金がかかるような出来事は特になかったはず。首を縦に振った俺に、縫さんが悩ましげな吐息を漏らす。
「となると、いつもの頑張り過ぎね……。かと言ってバイトを減らしちゃうと、私たちの知らないところで良くないバイトに手を出しちゃうかもしれないし……」
悩みどころね、と、再び携帯の画面を触り始めた縫さん。自意識過剰じゃ無ければ、ウタ姉が頑張る原因には、少なからず俺の存在があると思う。自身の学費と、俺にかかる諸経費。その全てを、責任感が強いウタ姉は稼ごうとしてくれている。
けど、このままではウタ姉が過労で体調を崩しかねないし、何より。
(ウタ姉×闇バイト。ほんわか女子大生が、弟の学費ためにパパ活に挑む……)
相性が良すぎて、何が起きるかなんて“妄想”に難くない。
ウタ姉が悪い大人の毒牙にかかる前に……じゃない。ウタ姉が無理をして身体を壊す前に、俺の方でも何かできないか。考えた俺は、即日、行動に移した。




