第9話 春の風は出会いを運んでくるって言うけど
ゴールデンウィークが明けて、2週間。5月も中旬。学校だとそれぞれの人間関係がはっきりしてきて、仲の良い人で小さな集団が形成され、学校での自分の居場所と立ち位置が決まってくる。
さらに、来週に迎えるのは中間テスト。これにより、勉強面での立ち位置も決まることになりそう。
俺が狙うのは、中の上~上の下。最低限、ウタ姉が心配しない点数を取りつつ、バイトとアンリアルを両立できる範囲を目指す。本当なら他の同級生たちみたいに、放課後に残って勉強したいところなんだけど。
(早く帰らないと!)
俺は先日告知されたアンリアル第1回イベントに心を完全に奪われてしまっていた。
案の定というか、なんというか。ちゃんとアンリアルは、大型アップデートをしてくれていた。まだイベントについては概要だけが発表されたところだけど、シクスポートから出る船を使って、魔物に支配された島『ロクノシマ』を取り戻すというストーリーイベントらしい。
アップデートから2週間後の発表とか、ズルいと思う。俺みたいに、肩透かしを食らって、でもまぁこんなもんかと思わせたところで、追い打ちを駆けてくる。フィーのあざとさもそうだけど、アンリアル運営はよく分かってる!
(さっさと家に帰って、インしないと!)
今日はバイトもない。だから可能な限り情報を集めて、イベントに向けてお小遣いを稼ごう。全ては、生活のため。……ウタ姉のために。
小さくこぶしを握った俺が帰路に就こうとした、その時だった。
『ナゴォ……』
下足室の出入り口に現れた現実の方のにゃむさんが、俺の行く手を塞いできた。
「……ごめん、にゃむさん。今は構ってあげてる暇、無いんだ」
『ナァゴ♪』
ゲームならまだしも、猫に言葉が通じるわけもない。俺を見上げて、エサくれアピールをしてくる。他にもちらほら生徒が居るのに俺に声をかけて来たのは、鳥取と居る所を何度も見られたからかな。完全に俺もエサをくれる人間だって認識されてそう。
俺が右に避ければにゃむさんも右に。左に避けてみれば、にゃむさんも同じように動き、尻尾を揺らして通せんぼうをしてくる。それを繰り返すこと、数回。
「……ふぅ。仕方ない」
ちょっと危ないけどにゃむさんをまたいで、強行突破と行こう。
「恨まないでね、にゃむさん……!」
俺が下足室のヌシを無理やり攻略しようとした、その時だった。
「見つけた!」
背後からそんな声が聞こえて、俺は思わず足を止めてしまう。
いったい何事かと振り返ってみれば、俺の高校生活において、まだ数少ない、見覚えのある女子生徒の顔があった。思えば、俺が高校生活で初めて顔を覚えた人かもしれない。名前を知ったのは、けっこう後だったけど。
「ふぅ……。間に合って良かったわ」
ポニーテールを揺らして靴を履き替えるその女子生徒が誰にともなく言っている。勝気な印象を受ける、やや吊り上がった目元に長いまつげ。大きな黒い瞳は、見る者全てを引き付ける。
そんな、どこか猫を思わせる印象的な目で、俺とにゃむさんを順に見た女子生徒。こちらに歩み寄ってきたかと思えば、俺の横を素通りして……。
「ふふっ、さすがにゃむさんね。彼を引き留めてくれてありがと~」
足元に居たにゃむさんを「よしよし」と言って撫で回していた。
『ナゴフゴ』
やがて、満足したらしいにゃむさんが下足室前から姿を消す。その代わりに残ったのは、先ほどの女子生徒……入鳥黒猫さんだ。
「現実では初めまして、小鳥遊くん。あ、間違えた。……あたしの柑奈からドロップアイテムを全部巻き上げた、鬼畜な小鳥遊くん?」
にっ、と笑って、片手をひょいと挙げた入鳥さん。発言の内容は攻撃的だけど、声色とか表情を見るに、俺をからかってるだけなのだというのは分かった。
「初めまして、入鳥さん。ついでに言うと、アイテムは鳥取が持ちかけて来た賭けの結果だから」
「ふふっ、聞いたわ。柑奈がムキになったんでしょ? でも、そういうときって、柑奈じゃなくても大体失敗するの」
「ほんとそれ。対策とか考えて、準備してから挑んだ方が効率的なの。頭では分かってるんだよね」
「あははっ、そうそう! 分かってるわね、小鳥遊くん」
なんて口では会話をしながらも、入鳥さんは何かを確かめるように俺の周りをぐるぐる回る。それこそ、好奇心旺盛な猫みたいに。
「ふんふん、なるほど、なるほどね~……」
前にアンリアルのキャラクターを見たせいかな。頭の上でぴくぴく揺れる耳と、尾てい骨あたりで波打つ尻尾が見える……気がする。
居心地の悪さを打ち消したくて、俺はちょっと疑問だったことを入鳥さんに聞いてみた。
「鳥取って、じゃんけんとかそういう運ゲー、得意だと思ってたんだけど?」
「うん? まぁ、そうね。でも正しくは、あの子にとって都合が良いように事が進むだけなの。だからもし、小鳥遊くんが柑奈とのじゃんけんに全部勝ったんだとしたら――」
ようやく俺の正面で足を止めた入鳥さんが、上目遣いに俺を覗き込んで来る。
「――それは、柑奈自身が望んでいたから。本人が自覚してたのかは、別として」
「そう、なんだ……?」
鳥取は運が良いんじゃなくて、鳥取が望む形で物事が進むと語る入鳥さん。オカルトじみた話だけど、これまでの鳥取の運の良さを考えると、簡単には否定できなかった。
距離感の近さに念のため距離を取った俺に、満足したらしい入鳥さんも「にししっ」と笑って身を引く。
このまま会話の主導権を握られたままだと、帰るに帰れない。現状、入鳥さんと話す時間よりも、ウタ姉のためにするアンリアルの時間の方が俺にとっての重要度は高い。
「えっと……。それで入鳥さん。そろそろ用件を聞いても?」
「ああ、うん、ごめんね。じゃあ簡潔に。まず、2つある用件のうちの1つ目から」
そう言った入鳥さんは人懐っこい笑みを消して、深呼吸を1つしてから、口を開いた。
「柑奈のこと、ありがとう」
ポニーテールを揺らして、ぺこりと頭を下げた入鳥さん。
「鳥取のこと?」
「うん、そう。あの子の相談に乗ってくれたこととか、ボス攻略に付き合ってくれたこととか。……あと、警察に通報しなかったことも」
最後の1つについては、目線を逸らして、気まずそうに言う。多分、鳥取のストーキング行為のことを言ってるんだろうな。
「こう、ね。柑奈、色々やり過ぎるところあるから。あたしも学校で噂聞いてからやめさせたけど……。改めて謝罪するわ。ごめんなさい」
幼馴染でしかないはずの鳥取の非礼を詫びる入鳥さんは、まるで鳥取の保護者のようだ。どうして他人のためにそこまで、と思ってしまうのは、俺が人との関係性にあまり意味を見出せないから? それとも、入鳥さんの責任感が強いだけなのか、あるいは別の理由があるのか。
いずれにしても。
「入鳥さんが謝ることじゃないでしょ。それにまぁ、もう、慣れたというか、気にしてないし」
「……うん。それなら、良かったわ」
心から安堵した様子で、ほっと息を吐く。昔から、色々危なっかしい鳥取に散々振り回されてきたんだろうな。ここ数週間、鳥取と一緒に居たし、ほんの少しなら入鳥さんの苦労に同情できる……のかもしれない。
その同情を、共感と呼んでいいのか。そんな俺の疑問は、しかし。ふと吹き抜けた春の風にさらわれる。
放課後になってから少し時間が経ったからだろうか。気づけば周囲に人影は無くなっていて、下足室には俺と入鳥さんしか居なくなっていた。
「気持ちいい風ね……」
言いながら目を閉じて、おくれ毛を耳にかけた入鳥さん。身長は俺より少し低いくらいで、女子としては高い方だ。日本人にしては長く思える手足。整った顔立ち……。ただ風に揺られて立っているだけなのに、その姿はとても画になる。
(ウタ姉もそうだけど、きれいな人は何をやっても似合うなぁ)
なんて思いながら、2人して風が止むのを待つこと、少し。
「それじゃあ2つ目」
言葉と共に目を開いた入鳥さんが、印象的な黒い瞳を俺に向けてくる。
「小鳥遊くん……。いいえ、斥候くん――」
あえて呼び方を訂正する。と言うことはアンリアル関連かな、なんて予想する俺に。
「――あたしのクランに来ない?」
そう言って、微笑みかける。
「俺が、入鳥さんのクランに?」
「ええ、そう。柑奈の話を聞いて、動画を見て。あたし、あなたに興味湧いちゃった」
目を細めて俺を見るその姿は、可愛い猫……なんかじゃない。トラとか、ライオンとか。獲物を狙う、捕食者のそれだった。




