第5話 黒猫は不吉、なんて言うけど……
無事にウタ姉の誕生日を祝い終え、ゴールデンウィークが明けた、火曜日。日付にすると5月の7日。残念ながら、まだ高校生の俺は府立六花高校へと登校しなければならなかった。
本音を言えば、帰ってアンリアルの攻略がしたい。面白いけど楽しくはない勉強に対して、楽しみながらお金も稼ぐことができるアンリアル。人生遊んで暮らせるなら、そっちの方が良いに決まってる。
けど俺は、府立六花、さらには大学を卒業しないといけない。将来どんな選択をするにせよ、学歴と知識はあった方が良い。ましてや俺にはウタ姉が居る。早くウタ姉が安心できるように、自分の人生を優先できるように。
「頑張らないと……すやぁ……」
「た、小鳥遊くん! 授業中、授業中!」
俺の左隣の席、眼鏡をかけた線の細い男子生徒南雲が、健気にも俺の眠気を飛ばそうとしてくれている。けど……。
「ごめん、南雲。でも人生初の4徹明けの俺は、もう限界だ……」
アップデート明けの攻略と、ウタ姉の誕生日。両立させるには、睡眠時間を削るしかなかった。タブレット端末の中で着々と進んでいる授業を眺めていると、どんどんまぶたが重くなる。実は昨日もプレイ中、何度か寝落ちしかけていた。その都度、フィーの妖精パンチ(攻撃力0)と妖精頭突き(同じく攻撃力なし、可愛い)がさく裂していた。
おかげで、どうにか次のログインで行ってみたいダンジョンを見つけたわけだけど。
「もう、無理ぃ……。すやぁ」
「小鳥遊くん……? 小鳥遊くん!」
もう南雲の揺さぶりになど動じないほどには、眠気が勝っていた。
「すぅ、すぅ……」
「はぁ……。中間テストも近いのに。知らないからね、小鳥遊くん」
南雲の呆れた声を最後に、俺は眠りに落ちた。
「……はっ!?」
「ひゃぁ!?」
次に目を覚ました時、教室からは誰も居なくなっていた。窓の外から聞こえてくるのは、部活動をする生徒たちの声。気のせいか、差し込む光が橙色を帯びている気がする。
慌てて時計を見てみると……。
「4時30分、だと……!?」
1時間目から6時間目まで。きれいさっぱり眠ってしまっていたみたいだった。……って言うか、そんなことある? 確かに火曜日は移動教室も無いし、ずっと教室に居られる時間割だ。けど、途中、昼休みもあったはずだし、担任の先生もちょくちょく見回りに来ていたはずだ。
(なのに、それすら気付かずに爆睡してた……?)
4日ぶりの睡眠は、ほぼ気絶に近い状態みたいだった。
何がショックって、ウタ姉のお弁当を食べ損ねてしまったこと。もちろん帰ったら食べるんだけど、そうすると夕食があまり入らなくなる。だったら、今日は俺が夕食を作ろうかな。それで、ウタ姉には別の日にご飯を作ってもらおう。
「……よし。帰るか」
「す、すすす、ストーップ!」
愛姉弁当が入ったカバンを手に椅子から立ち上った俺の目の前に立ちはだかる女子生徒が居た。
やや内側に巻くクセのついた肩口くらいの長さの黒髪に、目を隠す前髪。その前髪に隠されているのは、気弱そうに垂れた目元だ。口調も雰囲気も全体的に気弱そうで、人によっては庇護欲を掻き立てられるのかもしれない。けどこの人の内面を知れば、誰だって1歩……いや、3歩4歩と退くことだろう。
「ま、待って、小鳥遊くん」
さっきの威勢はどこへやら。うつむいて上目遣いに俺を見るのは、ストーカーと変態の前科を持つ同学年女子・鳥取柑奈だった。
ついでに。悲鳴も上げてたし、起きたときから鳥取の存在には気づいていた。俺の眼前――教卓の横にある予備の机で、何やら携帯を触っていたらしい。そのせいで、驚いた拍子に携帯を落としそうになっいた。
そんな鳥取をあえてスルーしたのは、単に、絡むと面倒くさそうだったから。悪くない人ではあるけど、面倒くさい人というのが俺の中での鳥取の評価だ。それでも、さすがにこうして面と向かって止められたのに無視をするのは、良くない気がする。
「……こんにちは、鳥取さん。俺に何か用ですか?」
「あれ? きょ、距離を感じる、よ? 一緒にボス、倒したのに」
「こんにちは、鳥取さん。何か御用ですか?」
「な、なんか一昔前の、同じセリフばっかり言うNPCっぽくなってる!? ……けど、そっちの方がわたしとしては話しやすい……かも!」
すごい。さすが共感力が高い鳥取だ。的確なツッコミを返してくれる。後半に残念さをにじませてくる辺りも抜かりない。けどこのままじゃ(主に俺のせいなんだけど)話が進まない。
「うん、ごめん。それで、えっと……鳥取。なんでここに?」
「あ、うっ、えっと……ね? ミャーちゃんの部活が終わるのを教室で待ってたら、千木良さんが来た……の。『1-Gに行ったら、面白い物が見れるよ』って」
なるほど。俺と鳥取の間に“何か”を期待している千木良の差し金らしい。けど、ごめん、千木良。
「で、どうだった? 何か面白い物、あった?」
「う、ううん、全く。小鳥遊くんが爆睡してただけ……だったよ?」
来るのが遅かったのかなぁ、と、素で呟いている鳥取と俺の関係なんてそんなものだ。俺はウタ姉で、鳥取は「ミャーちゃん」こと入鳥さん。それ以外の“他人”に目を向けられるほど、余裕がある人間じゃない。俺も鳥取も、まだまだ自分のことで精いっぱいだった。
「それで、用件は? これは冗談じゃなくて」
「う、うん。あ、アンリアル、新マップ出た……でしょ? こ、今晩、ミャーちゃんと一緒に遊ぶから、『斥候さん』も一緒にどうかなって」
入鳥さんを待つためとはいえ、わざわざ俺が起きるのを待って、誘ってくれたらしい鳥取。それ自体は嬉しいけど……。
「違うかったらごめん。でも、そのお誘い。多分、鳥取じゃなくて、入鳥さんの方からじゃない?」
「ぅえっ!? なんで分かるの?」
図星を突かれたことに、鳥取が分かりやすく驚いている。
これについては、簡単な推測だ。まず、俺を誘った時の鳥取の顔には、期待というより落胆の色があった。俺の答えを聞いた後に落胆するならまぁ分かるけど、答えを聞く前からとなると、思い当たる理由は1つ。
(貴重な入鳥さんとの時間に、俺が入る可能性があるから)
もっと言えば、入鳥さんが俺を誘うように言ったこと。それ自体が、鳥取としてはがっかりだったんだろうな。
デートだと思って張り切って行ってみたら、その他大勢の友達も交えた遊びだった。自分もまた、“その他大勢”の1人だった。その事実に落ち込む主人公やヒロインたちの姿を、俺はゲームや漫画でたくさん見て来ている。彼ら彼女らの姿が、今の鳥取に被っただけだった。
「まぁ、鳥取が分かりやすいから、かな」
「ば、馬鹿にしてる……?」
「どうだろ。長所だし、短所だとも思う。とにかく俺はフィーと、新エリアにあるダンジョンに行く予定。だから、お誘いは断らせてもらうね」
「……わ、分かった! ほっ」
俺が断ったことに、鳥取はまたも分かりやすく安堵の息を漏らす。
一応、鳥取には、俺を誘わないという手もあったはずだ。「誘ったけど断られた」と、入鳥さんに嘘をつくことだってできたはず。むしろ俺が頷く可能性もあった以上、確実に入鳥さんと2人きりの時間を確保するには、その方法が最適解だったように思う。
それでも正直に俺を誘うあたりに、やはり、鳥取の真面目さというか人の好さが出ている気がした。
「それじゃ。またね」
「う、うん。また、ね。小鳥遊くん」
本当に、鳥取の用件はそれだけだったみたいだ。あっさりと鳥取と別れた俺は、下足室で靴を履き替える。と、
『ナゴォ……』
出入り口の前で丸くなる、現実の方のにゃむさんが居た。日向ぼっこ中かな。
「じゃあね、にゃむさん」
『ナ』
黒猫にゃむさんに別れの挨拶をしながらふと考えるのは、ついさっきのこと。
(なんで入鳥さんは、俺を誘ったんだ……?)
ゲームでは一応、顔見知りではあるものの、挨拶をしただけの仲だ。現実に至っては、面識すらない。俺が一方的に、新入生代表の挨拶をしていた入鳥さんを知るだけだ。
「……ま、いっか」
まだまだ脳の睡眠不足を感じながら、俺は帰路に就くことにした。




