第4話 小鳥遊唄の日常
5月4日。23時59分。タブレット端末の画面に映る日付と時刻を確認した私小鳥遊唄は、自室のベッドで1人、天井を見上げる。
明日、5月5日は私の誕生日であると同時に――、
――私が一度、コーくんを殺した日でもあった。
私が彼……四月朔日好くんに初めて出会ったのは、3歳の夏のこと。
当時、共働きの両親となかなか一緒に居られなくて寂しかった私は、妹と弟という存在に憧れていた。何があってもずっと一緒。そんな“家族”が欲しかった。
……なんて言ったら格好つけすぎかな。単純に、お姉ちゃんになりたかったんだと思う。幼稚園で知ったばかりの“おままごと”の延長線上だったのかも。誰か、何かのお世話をしてみたい。そんな母性本能を持つのは、その年齢の子供にはよくあることらしかった。
そんな私が母に誘われるまま訪れた親戚の家で、私は叔母さんの腕に抱かれる、生後2か月の彼と出会った。
幼稚園児の私よりも、さらに小さい身体。かろうじて指が5本あると分かるだけの、モミジのような手足。でも、その小さな身体から出ているとは思えないほど大きな声で、泣いていた。
「なかないで……?」
泣き止んで欲しい。そう思って伸ばした私の指を、彼が小さな手で握る。握られた指先に感じたのは、おままごとで使っていたおもちゃの人形には無い、温もりと力強さだ。
――生きてる。
握って離さないと言わんばかりの、小さくも力強い命。その熱に浮かれた私の口は、気付けば。
「……ひなたちゃん! この子のおなまえは!?」
そんなことを聞いていた。
「『好』よ、唄ちゃん」
答えてくれたのは、彼のお母さん……四月朔日日向さん。私のお母さんの、お姉さんだ。
「こー? こーちゃん?」
「そうよ。みんなに好かれますように。それと同じくらい、みんなを大好きでいられるような子になるようにって」
私の確認に、日向さんが優しい顔で頷く。
「こーちゃん……。こーちゃん!」
私が名前を呼ぶと、偶然にもコーくんが泣き止んで、笑ったように見えた。
「――っ!」
この時、まだ3歳になったばかりの私に“お姉ちゃん”という意識が芽生えたことをよく覚えている。
「わたしが、こーちゃんのお姉ちゃんだよ!」
私は、指先を握る小さな存在を守ると約束する。この時から、私はコーくんのお姉ちゃん……「ウタ姉」になった。
以来、暇を見つけてはコーくんに会いに行こうと両親にねだり、年末年始とお盆休みには必ず会いに行った。
適度に間を置いて会いに行っていたからっていうのもあるけど、コーくんがすくすく成長しているのがすごく実感できて、
『お姉ちゃんの私のおかげだ!』
なんて、1人で勝手にはしゃいでいた。
けど、ある時、事件が起きる。
あれは、私の5歳の誕生日。小鳥遊家と四月朔日家が、河川敷でバーベキューをしていた時だった。
大人たちが準備をする間、私はコーくんの面倒を見るように言われていた。この時、コーくんは2歳。頭は良いけど好奇心旺盛で、気付けばあっちこっちに行っている。なかなかじっとしていられない。けど、積み木やブロック、ゲームや動画なんかに集中した時は、とことん集中してしまう。それこそ、周りの状況なんて関係ないと言わんばかりだった。
これまでは私の名前を呼んで、私の言うことをきちんと聞いてくれていた“可愛い弟”。けど、その時のコーくんは私にとって、“手のかかる弟”だった。
だから、なんて言うと、言い訳になる。お母さんからは絶対にコーくんの手を離さないように言われていた。お母さんも、私がこれまできちんと“お姉ちゃん”をしてきたからと、信頼してくれたんだと思う。
でも、私は。
「うたねー! ぼく、このままお魚、見てる!」
「え~! あっちでクローバー探そうよ~!」
「…………」
土手にしゃがみ込んで、魚の観察を始めてしまったコーくん。やっぱり、私の言うことなんて聞いてくれない。あまつさえ、無視。
「ねぇ! コーくん!」
「小さい魚の集団? 今は春で細長い身体だから……ボラだ! 前にみた動画だと一番小さい奴はえっと……オボコ?」
今まで一生懸命“お姉ちゃん”をして、世話を見てあげたのに……っ。
「私、あっちでクローバー探しちゃうよ!? いいの!?」
「それともイナッコなのかな? そもそもどれくらいの大きさで区切られてるんだろ……?」
「~~~~~~っ!」
ついに我慢の限界を迎えた私は、大切な弟の手を離してしまった。それどころか与えられた役目である“お姉ちゃん”の役目を放棄して、当時のマイブームだった四つ葉のクローバー探しに勤しんでいた。
勝手に姉を気取っておいて、上手くいかなかったら辞める。どこまでも自分勝手だったと思う。信頼してくれた大人たちの期待を裏切った代償は、私の想像の数十、数百、数千倍となって返ってきた。
バーベキューの支度を終えた両親が、私たちを迎えに来る。
「唄。好くんは?」
「うん? あっちでお魚見てる」
「……えっ」
私が背後の土手を指さした瞬間、笑顔だったお母さんの顔から表情が消え去った。続いて浮かんだのは、焦りと緊張の色だ。
「……唄はそこでじっとしていなさい。……お願い。お願いだから、好くん。無事で居て!」
焦った声で私に言いつけたお母さんが、コーくんの様子を見に行く。
「お、お母さん? どうしたの――」
お母さんから悲鳴が上がったのは、その時だった。
そこからのことはもう、あまり覚えていない。全身ずぶぬれのコーくんがお母さんの手で運ばれてきて、大人たちが一生懸命に何かを叫んでいた気がする。次に救急車のサイレンの音が聞こえて……。
「結局、その後コーくんの家で色々あって、3年も会えなかったんだっけ……」
19歳まであと10秒。誰ともなしに、私は呟く。
3年ぶりに会うコーくんは、言い方を選ばないなら、抜け殻だった。病気で母親……日向さんが亡くなって。それを苦にした紡さんが3年後に自殺したことで、コーくんは両親を失った。しかも、精神失調だった紡さんがしばらく育児放棄に近い状態だったらしくて、コーくんは3年もの間、社会と隔絶された環境にいたらしい。
感情を見せず、何事にも興味を示さない。喋り方も忘れてしまったような男の子になっていた。
そんなコーくんを見て、恥知らずにも私は、再び「支えてあげないと」なんて思ってしまった。一度、姉であることを放棄して、コーくんを殺しかけたたくせに。そのことを謝ることすらできない、臆病者なくせに。
それでも一丁前に責任感だけは感じてしまった。だから、私は決めたんだ。
コーくんがうちに……小鳥遊家にやって来た、あの日。
「お邪魔、します。卓さん、詩音さん。それから――」
お父さんとお母さんの名前を順に呼んで、最後に私を見たコーくんが。
「ウタ姉」
そう、呼んでくれた時に。
――今度こそ。私が、コーくんのお姉ちゃんになってみせる。
そう決めたんだ。
(ねぇ、コーくん。私、ちゃんとお姉ちゃん、出来てるかな……?)
妙に明るく感じる天井のLEDライトを見ながら、そんなことを考えていた時だった。
「ウタ姉、起きてる?」
コーくんが控えめに私の部屋の扉をノックした。
「コーくん?」
こんな夜遅くにコーくんが来るなんて、珍しい。
「大丈夫、起きてるよー。どうかしたの――」
ベッドから起き上がった私が身だしなみを軽く整えて、扉を開けた、その瞬間。
パンッ。
乾いた音が小鳥遊家に響く。続いて香ってきたのは、火薬の匂い。……こうして状況を整理してみると、私が銃を撃たれたように聞こえるかもしれない。でも、実際は――。
「ハッピーバースデー、ウタ姉!」
そこには、クラッカーを手に笑顔を浮かべるコーくんの姿があった。
「も、もう~。びっくりしたよ~」
「ご、ごめん。けど、どうしても一番にウタ姉のお祝いがしたかったから」
照れくさそうに、それでも嬉しそうな笑顔を浮かべて、私をお祝いしてくれるコーくん。あの抜け殻みたいだった男の子が見せてくれるようになった明るい表情。こんな顔を見せられてしまうと「少しくらいお姉ちゃんが出来ているのかな」なんて勘違いしそうになる。……ううん、せっかくお祝いしてくれてるんだもんね。
(誕生日くらいは浮かれても良い……かな?)
明日から……ううん、次の瞬間からはまた、お姉ちゃんに戻るから。だから今は……。今だけは、小鳥遊唄として。大切な家族からのお祝いを素直に受け取って――。
「……ふふふっ、ありがと! 大好きだよ、コーくん!」
――精いっぱいの感謝を返しておくことにした。




