第3話 ひょっとしなくても、ヤバい人だった
今日は5月4日の土曜日。早朝にアンリアルからログアウトした俺は、ウタ姉のために朝食を作った後、喫茶店バイトへと向かった。
徹夜明けに、8時から13時までのバイト。けど、そこは徹夜に対する慣れと、バイト初心者という緊張感のおかげで、どうにか乗り切った。そして、そのまま喫茶店でまかないの店長特製オムライスを食べていたら……。
「お待たせ」
待ち合わせをしていた人物が姿を見せた。
黒の半袖のトップスに淡い色合いのジーンズという、シンプルな格好。だけど、そのシンプルさが、その人最大の特徴である日本人離れした顔形を際立たせているように見える。
長い手足。もともと色素が薄いらしい金髪は銀色に染められ、窓から差し込む光を美しく返している。長いまつげの下、宝石のような青い瞳で、スプーン片手に固まる俺を見下ろすその人は――。
「お疲れ様です、飛鳥さん」
フィンランド人の血を引く美人さんで、俺のバイトの先輩でもある女性――飛鳥ヘレナさんだった。
「うん、お疲れ様。……店長、ブレンドをホットでお願いします」
「かしこまりました」
流れるような動きで注文を済ませ、俺の対面に座った飛鳥さん。お冷を持ってきてくれた店長に2人で会釈した後、飛鳥さんが少し苦笑して見せた。
「遅くなって、ごめんなさい」
「いえいえ! お呼びしたのは俺の方ですし」
忙しいだろう日々の合間を縫って来てもらったのは俺の方だ。それに送れたと言っても5分くらい。とやかく言うほどでもないはず。
気にしていないことを言葉と手ぶりで示して見せると、飛鳥さんも苦笑を笑みに変える。
「そ。ありがと」
少し釣り目で表情の変化が乏しいから、一見クールな印象の飛鳥さん。けど、話してみれば意外と親しみやすいというのが俺の飛鳥さんに対する印象だ。バイト中もそうだし、今もこうして俺の面倒を見てくれている。
……けど、それは俺が“小鳥遊唄”の弟だからだ。
「それで。例の件は?」
早速、と言うように、やや前のめりに聞いてくる飛鳥さん。
俺とこの人が今日会ったのは、何もデートをするためではない。フィーにも言ったけど、明日、5月5日が俺と飛鳥さんにとってとても大切な日だからだ。
世間一般では、こどもの日。空には鯉のぼりが泳ぎ、美味しい粽を頬張る日となる。けど、正直、俺にとっては……多分、飛鳥さんにとっても、こどもの日なんてどうでも良くて……。
「ウタ姉が何を欲しがってるか、ですよね?」
「うん、そう。ちゃんと聞けたの?」
飛鳥さんの問いかけに、俺は首を縦に振る。
「さすがに直接聞くことはしてないので、本当にソレかは分からないですけど――」
「お待たせしました、ヘレナちゃん。店長お手製ブレンドです」
俺が前置きをしていたところで、ブレンドコーヒーが運ばれてきた。運んで来てくれたのは、俺からバイトを引き継いだ佐藤さん。将来、ボードゲーム喫茶を開くことを目標に経営学部に通う、大学生だった。
「お疲れ様です、佐藤さん。コーヒーも、ありがとうございます」
入店時に会釈だけしていた飛鳥さんだったけど、このタイミングで改めて佐藤さんに挨拶をする。バイト歴で言えば、佐藤さんは4年目。2年目の飛鳥さんの先輩にあたる。もう3人バイトさんが居て、俺を含めて全6人で、バイトのローテーションが組まれていた。
「あはは、仕事だからね。2人はデート?」
俺と飛鳥さんを交互に見て、少し意外そうな顔をする佐藤さん。少しからかうような言い方をしているのは、俺たちが男女としてデートをしているとは本気で思っていないからだと思う。
「そうです。ウタ先輩のことで」
「あー、うん、やっぱりというか……察したよ」
1年以上一緒にバイトをしてるだけあって、飛鳥さんの人となりを知っている佐藤さん。具体的には、飛鳥さんの、ウタ姉に対する想いをよく知っている。
「好くん。変な言い方になるけど……頑張ってね」
「は、はい!」
まだ慣れない年上男性との距離感に戸惑った俺は、つい、鳥取みたいな返事をしてしまった。
ごゆっくりどうぞ、と腰を折った佐藤さんがカウンターの奥に消えて行く。多分、カトラリーを磨きに行ったんだろうな。今日は休日午後にしてはお客さんも少ない。
コーヒーの香りと、有線から流れる、ゆったりとしたBGM。喫茶店らしいと思える、のどかな午後が流れている。そんな喫茶店で、静かにコーヒーを口に含む飛鳥さんには、優雅という言葉がピッタリだ。そのまま、静かにソーサーにカップを置いた飛鳥さん。コーヒーの味と香りを十分に楽しんだ後で、肉の薄い唇を開いた。
「それじゃあ、改めて話しましょうか。アタシ達にとって危急の課題……ウタ先輩の誕生日について」
「はい。よろしくお願いします」
そんな調子で、俺たちは明日に控えた決戦の日――『小鳥遊唄の誕生日』についてのミーティングが始まった。
そもそも今回のミーティングは、俺が飛鳥さんにウタ姉の誕生日プレゼントについて相談したことから始まっている。
バイトと高校。両方でウタ姉と接点があった飛鳥さんなら、ウタ姉への誕プレについて助言をくれるんじゃないか。そう思って、
『飛鳥さん。ウタ姉が好きそうな物って何ですかね?』
聞いてみたのが、半月前のこと。ちょうど、バイト採用が正式に決まった頃だった。そして、さっきの質問に対して飛鳥さんから返って来たのが、
『ウタ先輩の誕生日の件ね。待っていたわ、その質問』
だった。なぜ俺がその質問をするのを待っていたのか。その時は分からなかったけど、今なら分かる。だって飛鳥さんも俺と同じ――ウタ姉の信者だから。多分この人、俺と同じくらい、ウタ姉が好きだと思う。本人にはあんまり自覚は無さそうなんだけど。
ただ、ウタ姉について、そして、小鳥遊家について詳しいことは間違いない。例えば、なぜか俺たちの家の所在を知っていたり、家族構成、家庭の状況だったりも知っていた。ウタ姉の身長、体重、スリーサイズ。血液型、誕生日に至るまで……。
(別にわざわざ言うことでもないし、ウタ姉が話すとは思えないんだけど……)
とは言え、美人の飛鳥さんに“ストーカー”という言葉は似合わない気がする。あと、俺の周りに2人もストーカーなんていう異常者が居ないで欲しい。そんな思いもあって、
『多分、ウタ姉が飛鳥さんを信頼して話したんだろうな』
と、無理やり自分を納得させたのが先週。
そして、バイトの合間にチラッと見えた飛鳥さんの携帯のホーム画面が、ウタ姉の写真(どことなく隠し撮りアングル)だったことに確信を抱いたのが、今週だった。……でも、世の中には深く考えない方が良いこともあるってどこかで誰かが言っていた気がする。
(それに鳥取の時と一緒で、“悪意”みたいな、気持ち悪い感じはしないんだよね……)
だから内心で「あ、ひょっとするとヤバい人なんだ」と納得するだけにとどめて、深く追求することはしなかった。
話を戻して、ウタ姉が好きそうなものを聞いた俺に、飛鳥さんは、
『今週……は忙しいから、来週、一緒に買いに行かない?』
と言ってくれた。そして、今に至る――。
(……あれ? 俺が飛鳥さんに、ウタ姉の好きなものを聞いたはず。なのに、いつの間にか俺がウタ姉の好きなものを聞かれてる?)
記憶違いかな。どこかで何かを間違ったのかも知れない。飛鳥さんについて深く考えることを止めていた弊害が、ここに来て発生している気がする。
徹夜明けの、やや回らない頭を俺が回転させていると、
「弟クン? 話、聞いてる?」
気付けば飛鳥さんの顔がかなり近い場所にあった。初めて会った時に下着を見られても平然としていたけど、この人には恥じらいが無いんだろうか。
「あ、はい。えっと、ウタ姉が欲しそうな物なんですが――」
この後、飛鳥さんと一緒にショッピングモールへ直行。ウタ姉への誕生日プレゼントを2人で選んだ。
名誉のために言っておくと、俺の情報を基にどれが良いのかを選んでくれたのは全て飛鳥さんだ。今の流行りを押さえつつ、そのうえで俺と飛鳥さんが知っている「小鳥遊唄」に合いそうなものを選んだ。
こうして振り返ってみると、いつの間にかゲームと同じで斥候みたいな役割をさせられていた気がする。情報を集めて、飛鳥さんに渡して、より良い物を選んでもらう……みたいな。こういう役回りの方が俺の性に合ってるって、飛鳥さんは分かってたとか……? さすがにそれは考えすぎか。
とにかく、俺が3割、飛鳥さんが7割を出資したウタ姉への贈り物を買う一幕は、こうして幕を閉じたのだった。
……ウタ姉、喜んでくれるかな?




