第13話 友人・知人がゲームを引退すると気まずい
「……くん。コーくん、起きて? 朝よ?」
耳元で聞こえる天使のささやきに、俺は重い眼を懸命に開く。
と、そこには、俺が眠るベッドに腰掛けるウタ姉の姿がある。開け放たれたカーテンから差し込む、5月の陽光に照らされて、俺を微笑みながら見下ろすその姿は――。
「女神……」
「ふふっ、なぁに? コーくんったら、まだゲーム中? 残念だけど、女神さまじゃなくて唄お姉ちゃんです」
クスクスと可笑しそうに笑ったウタ姉が、俺の発言を訂正してくる。けど、俺にとってはウタ姉≧女神だから、間違いではない。まぁこれを言ったら気持ち悪がられるかもしれないから、言えないけど。
「んん……。おはよう、ウタ姉」
身を起こした俺に、ウタ姉もベッドから立ち上がる。
「うん、おはよう、コーくん。……昨夜はお楽しみでしたね、だっけ?」
「あ、ごめん、うるさかったよね」
結局、昨日は1時近くまで起きてしまっていた。特にハザとの戦いの最中なんかは、かなり大声で鳥取と話していた。いくら安アパートよりは壁が厚いと言っても、間違いなく、ウタ姉の安眠妨害をしてしまっていたと思う。
そのことを詫びた俺に、しかし、ウタ姉は前々期にしてないと笑った。
「いいの、気にしないで。むしろ、コーくんが楽しそうで、お姉ちゃんは嬉しかったなぁ」
うんうんと頷いて、しみじみと語るウタ姉は、続いて。
「あの水色髪の子……トトリちゃんとのボス攻略、楽しかった?」
そんなことを聞いてくる。
最初は渋々だった鳥取とのボス攻略。けど、いつの間にか俺の方にも多大なメリット――新しい情報や共闘の良し悪しを知れたことなど――があった。俺自身はシナリオをクリアできなかったけど、ソマリ、そしてハザと行なった連戦は……うん、間違いない。
「楽しかった、かな」
改めて言葉にするのは恥ずかしいけど、嘘をついても仕方ない。
素直な気持ちを吐露した俺に「うん! それなら良かった!」と、飛び切りの笑顔を見せてくれたウタ姉。そのまま、朝食が出来ている事と、いつもよりも15分ほど寝坊していることを伝えて部屋を出ていくのだった。
フローラルな香りと共に、明るい茶色の髪がドアの向こうに消えて行く。その頃にはようやく頭がさえて来て、
(……うん? ウタ姉、トトリが水色髪だって、知ってたっけ……?)
ふと、そんな疑問が首をもたげた。
けど、そう言えばウタ姉はトトリの配信動画を見ていた。当然トトリの外見も知っている。そして、俺が何度も連呼していた「トトリ」の名前。ありふれた名前ではないし、動画で見ていた「トトリ」と同定したのかな。
(う~ん。でも、それにしては直接見たような口ぶりに思えたけど――)
「……って、やばっ!? そう言えば、15分も寝坊してるんだった!」
急いでベッドから飛び降りた俺は、着替えを始める。朝の15分は、夜の1時間くらい大きい。いやもうほんと、冗談抜きで。
早々に着替えを済ませ、1階リビングダイニングへと向かう。そこには、俺の到着を待ってくれていたウタ姉と、ほんの少しだけ冷めてしまった朝食があった。
たとえ遅刻しようが、俺に朝食を抜く選択肢はない。ウタ姉が大学生で、俺が高校生。しかも、バイトだってあるから、“家族”で確実に過ごせる時間は少ない。だから、小鳥遊家では、何よりも食事の時間を大切にしている。
「もう、コーくんのせいでお姉ちゃんも遅刻しちゃうかも」
「ごめんっ、ウタ姉! トーストも冷めちゃったし……」
「嘘うそ♪ 遅刻しないように、早く食べちゃお?」
茶目っ気を込めて笑ったウタ姉と、その笑顔に胸をなでおろした俺。2人で手を合わせたのち、貴重な家族の時間を堪能した。
ところ変わって、府立六花高校1-G教室。1時間目の休み時間。
「あははっ、だから小鳥遊くん、遅刻したんだ?」
そう言って隣の席で笑ったのは、ひょろっと理系こと南雲国治だった。
南雲の言う通り、結局俺は5分ほど遅刻してしまった。俺が通学の足として使っているのはバス。定刻に発車し、定刻に着く。もちろん、一昔前よりはバスの重要性が上がって、ダイヤ改正されたとはいえ……。
「休日ダイヤなの、完全に忘れてた……」
ゴールデンウィークの中日である一昨日、昨日、今日。バスが休日ダイヤで運行されていたことをすっかり忘れていた俺は、見事に目の前でバスに手を振られ、10分後のバスに乗る羽目になったのだった。けっか、いつもより25分遅れての学校到着。
静かな廊下を歩いて、朝学習をする教室に入った時のあの独特な感じ。体験できて良かったのか、悪かったのか……。
「朝の15分の大きさ、分かってたつもりだったんだけどなぁ……」
「おめでとう、コウ。1-G最初の遅刻者だ」
「小鳥遊くんってば、意外と不良さん?」
机に突っ伏した俺を、右隣りのバスケ部男子・源田健介と、後ろの運動部系女子・千木良姫苺がからかって来る。しかも千木良に関しては妙に鋭い勘を働かせてきて、
「むむっ、さては鳥取さんと何かあったな~?」
探偵みたいな仕草と共に、真実を言い当てた。……まぁ好奇心が強い千木良のことだし、多分、当てずっぽうなんだろうけど。それでも当たってるから、女の勘ってやつはすごいと思う。
「まぁ、色々あって、一緒にアンリアルしてた」
「アンリアル! オレもアカウント持ってるぜ! ……部活で忙しいからほとんどできてないけど」
俺が出したゲームの名前に、真っ先に食いついたのは、ケンスケだ。さすが、今のところ日本だけのサービスとはいえ国内3,000万ユーザーを誇るゲーム。日本人の4人に1人がプレイしていることになる。けど、少なくともケンスケは、アクティブユーザーってわけじゃない感じだ。
「アンリアルって、アレだよね。近々大型アップデートっていう広告とかCMとかしてるやつ。……小鳥遊くんがやってるなら、僕もやろうかな……」
考え込む素振りを見せた南雲も、まだプレイヤーってわけではなさそう。
こういうとき、「一緒にやろう!」って誘うのが正解なのかな? でも、アンリアルを始めるには10万円近くするシナプスが必要になる。親の力を借りたとしても、高校生が初期投資するには、高すぎるし、もし買っても、アンリアルが肌に合わない可能性もある。
あと、ちょっと嫌なのは、身近な人が俺と同じゲームを引退すること。なんだかそのゲームが面白くないって言われてるみたいで、少しだけ、寂しくなる。
(萎えるともちょっと違うけど、とにかく「ウッ」ってなるんだよね……)
昨日まで問題なく話せていたゲームの話を振ったとき、相手が「あっ」みたいな顔をして、「ごめん、もうやってない……」って気まずそうに言うあの感じ。小学校の時に体験したから、よく分かった。
誘うべきか、誘わざるべきか。悩む俺の耳に聞こえてきたのは、テンション高めな千木良の声だ。
「いや、南雲くんも源田くんも。気にするところそこじゃないでしょ!? 小鳥遊くん、鳥取さんとゲームするに至った経緯を詳しく!」
机をバンッと叩いて立ち上がった千木良が、俺に詰め寄って来る。
「そ、そうは言うけど、千木良。発端は千木良が俺と鳥取を会わせたからで……」
「えっ、じゃああの時からずっと鳥取さんとゲームしてたの!? てか聞いて良いのか分からないけど、鳥取さんとの関係は!?」
聞いて良いのか分からないなら、まず確認して欲しいんだけどなぁ。
目をキラッキラに輝かせて詰め寄ってくる千木良の問いに、俺は素直に答える。
「関係って言われても、友達……いや、顔見知り?」
「そんなわけないっ! だって夜遅くまでゲームする仲なんでしょ?」
「千木良。オンラインでゲームとかやってたら、顔も名前も知らない人と徹夜するとか当たり前だから」
「……ほんと?」
千木良に視線を向けられたケンスケと南雲のうち、応えたのはケンスケだ。
「徹夜はともかく、一緒に対戦とか協力することはある」
ナイス、と、心の中で親指を立てた俺はすかさず。
「ほら。今回はたまたま、相手が鳥取……同級生だっただけ」
「む~、そっか~……」
ケンスケと俺の言葉を受けて、ようやく千木良が引き下がる。
「……じゃあこれからに期待ってことで! 進展あったら聞かせてね、小鳥遊くん」
千木良が席に座り直したちょうどその時、予鈴が鳴る。
さて俺も次の授業を、と思っていると、ポケットに入れていた携帯が震えた。見れば、メッセージアプリLinkSからの通知だ。
『会いたいな』『お昼休み』『中庭でどうかな?』『(?のスタンプ)』
特に一番目。勘違いされかねないメッセージの送り主は、言わずもがなだった。




