第10話 ゲームで人を呼ぶときは、敬称を付ける
興奮したトトリに諸事情があって10分くらい待たされたけど、気を取り直して。
噴水の縁から立ち上がったトトリがコントローラー操作に変えたことを確認して、俺たちはイチノハラの外れにある安息の地下へと向かうことにする。
けど、ファーストの町の北門付近にたどり着いた頃、ふと、見知った顔というかシルエットを見つけた。
「ごめん、トトリ。ちょっとここに居て」
「う、うん、分かった。でも、どうしたの?」
「うん、ちょっと知り合いが居たから、挨拶してくる」
トトリに断りを入れて、俺は屋台で焼き鳥を買おうとしているその人物を呼びかける。
「SBさん!」
「(びくぅっ)」
肩を跳ねさせて、危うく買ったばかりの焼き鳥を落としそうになっている。
「あ、すみません、驚かせてしまいました……」
『……斥候か』
メッセージボードでそう返してきた人物こそ、俺のお得意様であるSBさん。
身長は、俺より少し低いくらいだから160㎝半ば。ちょうど、ウタ姉と同じくらい。さっきニオさんが装備していたものと同じ、全身を覆い隠す黒いローブ姿をしている。ただ、裾なんかには金色の刺繍がされていて、特注品、あるいは自作したものだと分かった。
フードに当たる部分に2つ、腰のあたりに1つ。それぞれ穴の開いたローブからのぞくのは、黄金色をした三角形の耳と、モッフモフの尻尾。SBさんは、キツネの獣人族だった。
『どうかしたか?』
「いえ、ちょっと見かけたので挨拶しておこうかなって」
お得意様は大切に。これは、よろず屋の店主ぷーさんが教えてくれたことだ。こうしたこまめな接触が、お客さんとの良好な関係を築く上では欠かせないらしい。
SBさんは、小鳥遊家にたくさんお金を落としてくれている人物でもある。先週、情報交換のために会ったきりだったから、声をかける間隔としても、ちょうど良いと判断したのんだけど、普通の人はどれくらいの頻度で知り合いに会うんだろう?
『そうか』
メッセージボードと共に振り返ったローブの中の顔には、キツネのお面が装備されている。フルダイブ操作なのにメッセージボードでのやり取りをしている辺り、性別とか、個人を特定できてしまう要素に気を配っているしっかりした人だ。……ゲームでも本名を使うどこかの幼馴染2人組とは、警戒心が違った。
「ファーストの町に居るの、珍しいですね」
SBさんは基本、王都セントラルに居ることが多いから、こうしてファーストの街で見かけることは珍しい。
『ちょっと用事があってな』
わざわざ濁したってことは、触れない方が良いやつかな。それに、用事があるってことは、長く引き留めるのも良くないやつかな。……焼き鳥も、冷めちゃうだろうし。
「ストーリーとか、この前、俺が言った隠しボスとか。また新しいこと分かったら教えますね」
『了解』『楽しみしている』
このやり取りを別れの挨拶として、SBさんと別れるのだった。
マップの南端にあるファーストの町を出て、北へ。ニノモリに入ってしばらくすると、十字路にたどり着く。このまままっすぐ行けば、王都セントラル。右……東に行けばセカンドの町があるんだけど、今回は西へ。安息の地下と呼ばれるダンジョンがある古びた神殿は、ニノモリの中腹にひっそりと佇むようにして建っていた。
そこに向かう、道中。鳥を始めとする野生動物たちの声を聴きながら森林浴の気分に浸っていたら。
「さ、さっき斥候さんが話してた人、絶対に美人さん……だよ?」
沈黙を嫌ったんだろうトトリが、そんな意味の分からないことを言ってきた。
「さっきの人って言うと……SBさん? 」
俺の確認に、トトリがコクリと頷く。
(SBさんが、美人……?)
体型を隠すローブを着て、顔にはお面。声も出さない。しかも、トトリは離れた場所に居たから、SBさんのこと、ほとんど見えてなかったはず。それに……。
「そもそも、あの人が女の人かなんて、分からないでしょ」
「た、確かにそうだけど……。で、でも。わたし、あの人、女の人だって思う……な?」
「なんでそう言えるの?」
証拠があったとか? そう思って聞いてみたけど、トトリがすぐに返事を返してくることはない。歩きながら、しばらく唸った末、トトリが俺に示した証拠は……。
「わ、わたしの美少女センサーが、ピコンって……?」
直感。ただ、それだけだった。
「頭おかしいでしょ」
「あっ、言った!? ついに斥候さん、言っちゃいけないこと、言った!?」
やばい。つい本音が出てしまった。けど、どうせいつかは漏れてただろうし、良いか。
「けど、よくないこと言ったよね。それは、ごめ――」
「せ、斥候さん……こそ。ニオちゃんのこと『ニオさん』って呼ぶ……よね?」
「うん? そうだけど……」
それがどうかしたのか。立ち止まって振り返ってみると、やや不服そうな顔をしているトトリが居た。
「SBさん、も、そう」
「もちろん。だって、それがマナーでしょ?」
「で、でも! わ、わたしのことは、最初から呼び捨て……だったよ?」
何が言いたいのか。首をひねった俺に、トトリがかみ砕いた説明をしてくれる。
「せ、斥候さん。千木良さんも、そうだったけど。てっきり、呼び捨てがデフォだって、思ってた」
「あー……、なるほど」
つまりトトリは、今さらながら、敬称が気になったって感じかな。
ぷーさんとかSBさんとか。飛鳥さんもそうだけど。ちゃんと、つけるべき人には「さん」をつけている。千木良については、自己紹介のタイミングで本人が「『さん』なんていらないよ~」と言っていたから、呼び捨てにしてるだけだし……。
同級生の男子に「さん」付けも、気持ち悪い。結局は、感覚的な話になりそうな気がする。
「……トトリ。『さん』って言うのは敬称。つまり、相手に敬意があることを示すものなんだ」
「し、知ってる、けど……って、あっ! そ、そういうこと!?」
俺が言いたいこと――トトリに敬称は必要ないよね?――に気付いたらしいトトリが、頬を膨らませる。ご丁寧に、地団太を踏むエモートまでして。
「っていうのは半分冗談で。なんだろ。トトリは、トトリって感じがする」
「ど、どういうこと? あと、半分は本気、なんだ……」
そりゃあ、ね。ストーカーに「さん」をつけるのも、変な話な気もするし。……ただ、変態と呼ばれる人たちにはなんとなく「変態さん」とか「変態不審者さん」とか。敬称呼びも、似合う気もする。
「そういう意味では、トトリには『さん』を付けるべきなのかな」
「ど、どうしてだろ。いま、わたし、すごく失礼なことを思われてる気がする……」
やけに勘が鋭いトトリの発言は、無視して。
「語感、的な? あと、トトリ自身の人柄的にも……かな」
トトリについては「トトリさん」よりも「トトリ」って感じがする。これも、感覚的な話になってしまうけど。
「ただ、トトリ……さんが気にするなら、付けるけど?」
別に、何かこだわりがあるわけでもない。本人が気にするなら、わざわざ嫌がることをする必要もない。
「どっちが良い? トトリ? それともトトリさん?」
「あ、うぅ……」
「でも指摘してきたってことは、やっぱりトトリさん的には『さん』付けの方が良い感じかな」
トトリさんからの返事はない。
「それじゃ、先を急ごう、トトリさん」
「…………」
「トトリさん?」
「……う、うん、なんか気持ちわるいから、そのままでいい……かな?」
つまり、呼び捨てのままで良いということ。じゃあ一体、この会話の意味は何だったんだろう? 気にしたら負けのやつなのかな。
時間を無駄にしたような気もして、少し悶々としながら歩くこと、しばらく。ようやく神殿が見えてきた。と、この時になってようやく。
「(ぽんっ)」
今さらながら、フィーが姿を現した。
「フィーたん!」
俺よりも早く反応するトトリ。さっきの呼び方の話。「フィーちゃん」から「フィーたん」に変わってるけど、これも触れない方が良いやつ?
「ん」
「うん、お帰り、フィー。今からトトリとダンジョン攻略。おーけー?」
「ん!」
「だよね、怒るよね……って、良いの?」
てっきりイヤイヤ言われる。行くとしても渋々かなと思ってたけど、フィーは至って普通にダンジョン攻略を受け入れてくれる。むしろ、どこか機嫌が良さそう……?
(まぁ、駄々をこねられないなら良いかな)
AIの考えていることなど分からない。なぜかトトリの方をジィッと見て薄く笑っているフィーの頭を撫でてあげてから、俺たちは安息の地下へと潜ることにした。




