第9話 配信者は人心掌握のプロかも知れない
翌日。学校から帰って自室で携帯を見ると、
『小鳥遊くんからのクエスト』『クリアしたよ!』『(“ドヤッ”のスタンプ)』『(“やった!”のスタンプ)』
トトリからグリズリーを倒した旨のメッセージが届いた。ご丁寧に、ポリゴンになる前の、倒れたグリズリーとの証明写真付きで。
もう? とは思ったけど、グリズリーに関して言えば、きちんと手順を踏めば安全かつ確実に倒すことができる。
(でも、ついこの間までコントローラーすら知らなかったって思うと……)
『すごいじゃん』『おめでとう』
そう素直に思ったことを返信すると、すぐに既読が付く。
『だから』『隠しボス』『行きたいな?』『(スタンプ)』
今日は火曜日。アップデートが明後日。その日、トトリはニオちゃんとやらの前夜祭を見るとか言ってたから、今日明日中にはボスを隠しボスこと『“安息を願う者”ソマリ』を倒したいんだと思う。
急がなくても、なんて思うけど、同時に。早くボスを倒したいっていうゲーマーとしてのその気持ちもまた、痛いほど分かる。
『了解』『とりあえずこの後、晩ご飯食べたらインする』
『分かった!』『じゃあいつものとこで待ってるね!』『(“ありがとう”のスタンプ)』
やっぱり文面だとテンションが高く見えるトトリとのやり取りを終えて、俺はまだ帰って来ていないウタ姉のための夕食作りへと向かった。
夜9時。アンリアルにログインする。いつもなら8割くらいの確率でフィーが出迎えてくれるんだけど、今回は残りの2割を引いたっぽい。呼び出さないと出てこないのは、気まぐれなのか、不機嫌だからか。ただ、トトリを待たせてるし、ご機嫌取りをしている時間はない。
(ごめん、フィー。今は後回しにさせて)
心の中で謝っておいて待ち合わせ場所である噴水広場に行くと、居た。今日も水色を基調としたドレス風の衣装と、魔法耐性高めの鎧を身に着けたトトリが噴水の縁に腰掛けている。
ただ、これまでと違ったのは、トトリが1人じゃないってことかな。
「でねでね! 今からその人と一緒に、安息の地下に行くんだ~!」
にへらっ、と、だらしない顔で鳥取が笑いかけているのは、黒いローブで全身を隠す人物。体格からして、女性プレイヤーかな? 目深にかぶったフードのせいで顔は見えないけど、白い髪と丸みを帯びたあごのラインが見えていた。
(良かった。さすがにトトリにも、アンリアルで仲いい人は居るみたい)
距離感からしても、パーティメンバーとか、フレンドとかかな。……というか、もしかしなくても、あの人かな? 俺にはトトリと親しげに話せる人に、たった1人だけ心当たりがある。
「へー、そんなんだ。……大丈夫? その人、信頼できるの?」
そうトトリに話しかける声にも、どことなく聞き覚えがある。
「う、うん! ……多分?」
「え、ほんとに大丈夫なの? あたし、ついて行こうか?」
「いいよ、大丈夫、大丈夫! ミャーちゃ……ニオちゃんは配信、あるんでしょ?」
まぁ、うん。そうだろうなって感じ。このローブ姿の人物こそトトリの最推し『ニオちゃん』こと、入鳥さんだと思われた。
「トトリ」
「せ、せせせ、斥候さん!? なんで……!?」
話しかけた俺に、トトリが素っ頓狂な声を上げる。……いや、なんで、って言われても。ついさっきトトリが自分で言ってたじゃん、俺とオワコンダンジョンに行くって。なんて言おうとしたら。
「呼んだのあんたでしょ、トトリ……」
ローブの人物『ミャーちゃん(ニオちゃん)』が、やれやれと頭を振ってツッコミを入れてくれた。さすがトトリの幼馴染。慣れてるって感じが、今の一瞬だけで伝わって来る。
「あ、そうだった……。えへへ」
「まったく……。それより」
ミャーちゃんさんが、腰かけていた噴水の縁から立ち上がって、俺の顔を覗き込んで来た。
当然、フードの奥にあった金色の瞳と目が合って『ニオ』というプレイヤー名が表示される。
「あなたがトトリの言っていた『斥候』さん、ね?」
「うん、初めまして。ニオさん」
「ふ~ん……」
じろじろと、不躾な視線を俺に向けてくるニオさん。表情もそうだけど、自然な動き。ってことは、フルダイブ操作かな。フード付きのローブを被ってるから細かいところまでは分からないけど、髪色は黒。フードを押し上げる耳があるっぽいから、猫の獣人族のキャラクターか。
「に、ニオちゃん? どうかした?」
「ん? いえ、トトリの言う人がどんな人なのかと思ってね」
しばらく俺を観察した後、身を引いたニオさんが俺に向き直る。そして足を肩幅に開き、フードの奥にある眉を逆立て、ビシィッと俺を指さして、言った。
「トトリを任せても良いかあたしが見てあげる、勝負よ!」
乾いた風が噴水広場を駆け抜け、ニオさんのローブを揺らしている。
「……え?」
「に、ニオちゃん!?」
俺の呆けた声と、トトリの驚いた声とが噴水広場に落ちる。
「……えっと、決闘ってこと?」
尋ねた俺に、ニオさんが「そうよ」と短く答えた。
『決闘』システム。お互いにお金や物、情報をかけてPvP――対人戦――を行なう、アンリアルでは数少ない対人要素だ。それを、ニオさんが俺に仕掛けて来た、と。
理由は、まぁ、想像できそう。友人として、トトリがどこの馬の骨とも分からない男についていくのが心配ってところだと思う。アンリアル内では厳しく監視できたとしても、現実はそうじゃない。俺がトトリと現実で会って、不埒なことをするかも、とか思ってるのかな。
(もしそうなら、ニオさん。俺が同級生ってこと、トトリから聞いてないのか)
口が軽いと言うか秘め事には向かないトトリの言動からすれば、意外だ。……いや、ついさっき、初めて俺の話をしたって可能性の方が高そうかな。で、ちょうど俺が来たから、ニオさんは俺の人となりを知るために、とりあえず、勝負を仕掛けて来た、と。まるで、漫画とかアニメみたいな展開だ。
(『トトリの保護者、ニオが勝負を仕掛けて来た』みたいなテロップが流れてきそう)
でも、信頼できるかどうかを勝負で判断するとは、これ如何に。
創作物ならともかく、どうしてニオさんがそんな思考になったのか。懸命に頭をひねる俺の耳が、ふと、笑い声を拾った。見れば、勝負を仕掛けて来たはずのニオさんがくすくすと笑っている。
「なんて、嘘よ、うそ♪ 漫画とかでよく見る台詞、言ってみたかっただけなの」
ごめんね。そう言って、申し訳なさそうに笑うニオさん。
(あっ、俺。からかわれたのか)
その事実にたどり着くまで、少しだけ時間がかかった。しかも、多分、俺をからかうことが目的じゃない。
「び、びっくりしたぁ~……。もう、脅かさないでよ、ニオちゃん!」
怒りながらニオさんをポカポカ殴る。そんなトトリの反応を引き出すことが、ニオさんの目的だったんだと思う。その証拠に、
「あははっ! トトリも、ごめんね?」
ニオさん本人は、それはもう幸せそうな笑顔をしていた。
(こっちが、素のニオさんなのかな)
入学式の時、凛とした声と完ぺきな間を使って、場の空気を支配していた人物とはとても思えない。いや、翻弄されたという意味では、今回も俺はしてやられたのかも知れないんだけど。
(……とにかく、ニオさんもトトリのことが大好きと)
トトリをなだめるニオさんの優しい顔を見ながら、ニオさん……入鳥黒猫さんについての脳内情報を補足しておくのだった。
「それじゃ。あとは若いおふたりでどうぞ」
おじさんみたいなことを言いながら、ニオさんが、自分はこの場を去ると言う。この後、動画を配信する予定があるってトトリが言ってたし、ログアウトするのかな。
「良いの? 一応、トトリは女子だし、見知らぬ男子から友人を守るっていう理屈は理解できたけど?」
「うん、良いの。トトリ、人を見る目だけはあるから」
トトリについてそう言ったニオさんの顔がやるせなさそうに見えたのは、気のせいか。そうだとしても、踏み込むほどの関係じゃない。
「バイバイ、トトリ。ボス攻略、頑張ってね」
「うん、バイバイ~! ニオちゃんも配信、頑張って!」
「ありがと。斥候さんも、トトリのこと……よろしくね?」
その笑顔に「変なことしたら許さないわよ」みたいな、見えない圧力を感じるのも気のせいだと信じたい。
「……頑張ります」
「ふふっ、なにそれ。それじゃ、オホン……『バイニャロ~』!」
猫の獣人族ニオさんが、ポリゴンになって消える。
「それじゃ俺たちも行こう――」
「な、生バイニャロ……あ、鼻血……」
大好きな“ニオちゃん”から直々に挨拶を貰ったトトリ。しばらく、一時的なログアウト状態――誰も触れず動かせない半透明の状態――になっていた。




