第9話 言うなれば、そう。「年頃のお母さん」
大型アップデートを迎えるゴールデンウィークを再来週に控えた、ある日の休日。俺はウタ姉と一緒に、自宅近くのショッピングモールへと出向いていた。
新学期が始まってもうすぐ2週間。俺もウタ姉も、入学前には分からなかった必要なものがいくつかあったから、それらを買いに来ていた。
「コーくんが、学校で使うタブレットペンとタブレットケース。私がNLS用の携帯バッテリーと……あ、義足用の油も買っておきたいかも」
上りのエスカレーター。俺の隣で、ウタ姉が買うべきものを再確認している。今日のウタ姉は、くるぶしまでを隠すジーンズに薄手の白のシャツをイン。気温差に対応できるよう、丈の長いカーディガンという装い。一方の俺は、黒のスラックスに厚手の長袖Tシャツ姿だった。
「どうかしたの、コーくん? 私の服見て」
「……ウタ姉さ。高校の時からあんまり服とかかってないでしょ? 折角、大学生になったんだし、新しい服とか買ってみたら?」
「う~ん……。でもなぁ……」
少しでも家計を切り詰めるために、高校生の時からほとんどオシャレというものをしていないウタ姉。だけど、ウタ姉ももう、華の大学生だ。ぜひとも目一杯のオシャレをして、自身の魅力を引き出して欲しい。俺の目の保養にもなるし。
とは言え、自分だけが贅沢をすることをウタ姉はめちゃくちゃ嫌う。だから、こういう時は……。
「俺も高校生だから新しい服欲しいし。ウタ姉も買ってくれたら、気持ちが楽なんだけどなぁ……?」
あくまでも俺が欲しいから。そういう言い訳を用意してあげる。と、案の定。
「そ、そう? ……もう、コーくんは我がままだなぁ! じゃあ、今日だけ、お洋服とかも買っちゃおっか」
嬉しそうに顔をほころばせて、ウタ姉が俺の頭を撫でてくる。恥ずかしいから手はやんわりと払わせてもらうけど。
「ふふっ、どんな服、買おうかなぁ?」
明らかに上機嫌になる義姉の姿に、俺も思わず頬を緩めるのだった。
『でも洋服の前にまずは必需品を買ってから』
そう言ったウタ姉の言う通りにまずは買うべきものを買ってたら、昼ごはんの時間になっていた。ショッピングモール内のフードコートで席を確保した後、俺とウタ姉がそれぞれ昼食をとる。俺がボリュームのあるとんかつ定食。ウタ姉は円カメ製麺所のかけうどんと明太子おにぎりと言うチョイスだった。
とんかつ定食の方が、出来上がるのも食べ終わるにも時間がかかる。そんな俺が食べ終わるのを待つ間、
「コーくん、ゆっくり食べて良いからね」
なんて言いながら、ウタ姉が手元の携帯で何やら動画を見始めた。
(動物系か、配信者のやつか……。どっちだろ?)
話題づくりも兼ねて「結構なミーハー」を自称しているウタ姉。いろんなことを、浅く広く知っている。スポーツ関連からお笑い関連。それから、寝る前に配信者の実況動画を見ることが日課らしい。人気の配信者であれば、各事務所の人気トップ5くらいは余裕で把握してるって聞いた。
『複数人のグループで話題を出せるか。それと、共感できるか。それが、仲良くするうえで大切だと思うなぁ』
って、いつだったか言ってたけど、いろんなものを選り好みせずに楽しめるウタ姉を、俺は少しだけ、羨ましいと思っていた。
(そういえば……)
ちょうど最近、どこかのストーキング女子が熱弁していた配信者が居たことを思い出す。あの人が言うには人気配信者らしいし、ひょっとして。俺は、ウタ姉が動画から視線を切って、セルフサービスの水に口をつけたところで聞いてみることにした。
「ねぇ、ウタ姉。『ニオ』って言う配信者、知ってる?」
「んく、んく……。ふぅ……。うん、知ってる。動画は見たこと無いけど、確か、個人でやってるVの子じゃかなかったっけ?」
さすが、人気動画は押さえてると自負するだけはある。大手事務所に所属していない個人の配信者についても、ある程度は知っているらしかった。
ついでに、ウタ姉が言った“V”って言うのは、バーチャル配信者のこと。「Virtual」の頭文字をとって、Vと呼ばれることが多い。本名や素顔を晒さずに、アバターを使って活動する配信者たちのことだった。
「珍しいね。コーくんが配信者のこと聞くなんて。もしかして学校のお友達の間で話題にでもなったの?」
「う~ん、まぁ、そんなとこ」
「そっか、そっか。コーくん、お友達とそういう話もするようになったんだね」
何やら急にしんみりし始めたウタ姉を横目に、俺は、残しておいたとんかつの一番端を頂く。高性能AIによって完ぺきに調理されたとんかつは、疑いようのない美味しさがある。柔らかい肉。サックサクの衣。……だけど、ウタ姉が揚げてくれるちょっと焦げたりしてるとんかつの方が美味しいと思ってしまうのは、感情補正があるからかな。
あらゆるものがオートメーション化していく中で、それでも残っている人の役割や、温かさ。いずれはそう言ったものも、AIと科学技術によって再現されるようになるのかもしれない。夢がある反面、どこか寂しいような気もする。
なんて、俺が益体もないことを考えていた時だ。
「あっ」
目の前に座っていたウタ姉が、俺の背後に目をやって小さく言葉を漏らす。そして、俺がどうしたのかと尋ねる前に椅子から立ち上ったかと思うと、俺の背後――通路で倒れていた小さな女の子に駆け寄るのだった。
幼稚園か、小学校の低学年くらいの女の子。倒れたせいでスカートが少しめくれてしまっている。すぐにウタ姉によって直されたけど、ちらりと見えたその足の内、右足は義足だ。しかも、頭にはウタ姉が装着してるものとはまた違うヘッドギアを着けていた。
「大丈夫?」
「う、うん……」
幸い、女の子に怪我は無かったみたい。ただ、ウタ姉の手を借りながら立ち上がるその動作はどこかぎこちない。ウタ姉も同じ違和感を覚えたようで、
「もしかして、NLS、初めて?」
服の汚れを払ってあげながら、女の子が安心できるよう、優しい顔で聞いている。そんなウタ姉の問いに女の子がコクンと頷くと、
「ふふっ、お姉ちゃんとお揃いだね」
ウタ姉は自分の黒いヘッドギアと、ジーンズに隠れた両足の義足を示してあげた。すると、
「え、お姉ちゃんも……? ほんとだ!」
不安そうだった女の子の表情が明らかに和らいだことが分かる。足に障害がある人同士、何か感じ合うところがあったのかもしれない。いずれにしても、女の子の警戒が一気に緩んだことは分かった。そうして、落ち着いて話すことができる状況を作ったのだろうウタ姉。
「お父さんとお母さんは……」
「「寿葉!」」
ウタ姉が周囲を見回していると、両親と思われる男女が慌てた様子でやって来た。2人の手には、食べ終わった食器の乗ったお盆がある。食器を落とさないよう気をつけていたせいで、女の子がついて来ていないことに気付くのが遅れた。そんな感じかな?
それに、女の子が自分で言っていたように、この子は最近になって義足生活を始めたんだと思う。
『NLSって世間では万能の手足に思われがちだけど、慣れるまでには時間がかかるんだよ?』
ってウタ姉は言ってた。両親はNLSだから大丈夫だろうって思ってて。でも女の子は慣れてない。ちょっとした意識の違いが生んだトラブルのようだった。
「ありがとうございました」
「いえいえ、頭とかは打ってなさそうだったんですけど、一応、体調とか気を付けてあげてくださいね」
ウタ姉の忠告にぺこりと頭を下げる両親。そして、笑顔で手を振る女の子が遠ざかっていく。その子の姿が見えなくなるまで、手を振り返してあげているウタ姉。
この、圧倒的、母性。これでまだ高校を卒業したばかりの18歳っていう……。将来、学校やこども園の先生になると言って、教育学部に進んだウタ姉。早速その成果が表れてる気がする。
「もう完ぺきに『先生』だね、ウタ姉」
「え、まだ授業始まって2週間だよ!?」
「じゃあ、ウタ姉の生まれ持った素質なんだ? 良い先生になりそうって、俺は思うなぁ」
「そ、そう……? えへへ、ありがと、コーくん」
頬を染めて、照れているウタ姉。
「可愛い……」
「なっ……!? もうっ! 弟がお姉ちゃんをからかっちゃダメ!」
思わずこぼれた俺の声に抗議するウタ姉も、それはそれで可愛かった。




