第5話 『滝鉄の鎧』。250万円。
開け放った教室の窓から、まだ少しだけ冷たさが残る春の風が吹きこんで来る。聞こえてくるのは、部活動を頑張っている生徒たちの声。傾き始めた夕日が、教室内に朱色を加え始めた頃。
「それでね、その時のニオちゃんが可愛くって! それまでクールにホラーゲームやってたのに『ひゃぁっ』って言うんだよ!? もう、キュッてなるよね、心が。尊みがあふれて、思わずケーキ投げちゃうよね! あ、ケーキって言うのは投げ銭で1万円の代わりだよ? 1万円って高いかなって普通の人は思うかもしれないけど、推しへの出費は出費じゃなくて、むしろ食費? みたいな。とりあえずわたしが生きるために必要な光熱費と同じで……」
俺の目の前で、饒舌に話すこの女子が、さっきまでずっと黙っていた女子と同一人物とは思えない。目を輝かせ、こぶしを握り、「ニオちゃん」について鼻息荒く話すこの人は、何を隠そう鳥取柑奈その人なのだ。
『じ、じじ、実は! 斥候さん……じゃない。小鳥遊くんに、お願いしたいことが、あって』
ループを疑うような発言をしたトトリ。あの後、さらに15分くらいかけてようやく聞くことが出来たお願いの内容は、
『ぼ、ボスを倒すの、手伝って欲しい……な?』
だった。どうしてこの一言を引き出すのに、45分……授業1つ分の時間を使わなければならなかったのか。本当に謎だ。で、なんでボスを倒したいのか聞けば、なぜかゲーム実況者「ニオちゃん」について話し始めたというわけだった。
「あ、神回と言えば、先週の放送見て――」
「ない」
「うそ!? もったいない! 実はニオちゃんもアンリアルをプレイしてて、この前『白砂の海岸RTA』してたんだけど、その時のパーティメンバーとの立ち回りが本当に神で――」
「ストップ、ストーップ!」
放っておくと延々と話していそうだから、さすがに止めさせてもらう。
「俺が聞いたの、なんでボスを倒したいのか。トトリが言っているの、ニオちゃんの話。意味、分からない」
「あ、ぅ、ご、ごご、ごめんなさい……」
少し強めに言ったせいかな。さっきまでの勢いはどこへやら。シュンと俯いて、いつもの鳥取が帰ってくる。
「……で? ボスを倒したい理由は? そこに知らないボスが居るから?」
俺と同族なんじゃ、と、期待して聞いてみたけど、鳥取はフルフルと首を振る。
「う、ううん。その……ドロップアイテムが、ほ、欲しくて……」
ドロップアイテムが欲しいから、ボスを倒したい。そう語った鳥取。それがどうニオちゃんに関わるのか。根気強く聞いてみれば……。
「投げ銭するためのお金が、欲しい?」
「う、うん。ほ、ほら、もうすぐアンリアルって、アップデートする……よね?」
「うん、ゴールデンウイーク辺りだったと思うけど」
「で、に、ニオちゃんも新マップ探索するって、言ってて……」
そのお祝いのためのお金を用意したいと語るトトリ。見ず知らずの「他人」に数万、数十万とお金をつぎ込んでるらしいこの人の気持ちは、正直、分からない。ホストに貢ぐダメな女の人とどう違うのか。
(そんなことをするくらいなら、自分を育ててくれてる家族にお金を渡せば良いのに)
そう思わなくもないけど、逆に言えば。そこまでして他人に熱中できる鳥取には、俺に無い何かがあるのかも……?
「ん? って言うか、ボスを倒したいんでしょ? だったら俺じゃなくてパーティメンバーに頼めば良いんじゃ?」
「だ、だから、さっきも言ったけど、わたし、1人……。ふ、フレンドも、いな、居ないし……」
そう言えば、そういう設定だった。あくまでも、俺と同じでソロプレイ勢なのだと鳥取は言い張る。
「た、小鳥遊くん。あの白い妖精の子とだけど、1人でボス倒してた、でしょ? だ、だから、どうやったら倒せるのか、教えて欲しくって」
「確かに倒したけど……って、ん? 白い妖精?」
「う、うん。小学生くらいの、女の子。色んな、ぶ、武器に変身してたし、サポートAI……だよね?」
フィーの存在が、バレている。しかも、サポートAIであることも。長い前髪の奥。眉をひそめて、上目遣いに俺を見る鳥取。
初めてこの人に会った時、フィーは変身していて、針の姿だったはず。もしちらっと針になっている姿を見られていたのだとしても、人前でフィーに変身してもらったことなどない。でも今、目の前のこの人は、フィーが色んな武器に変身していたと言った。しかも、確信をにじませて。
(となると、見られたボス戦はフィーで色々試した2回目のボス戦……? いや、でも、倒したことも知ってるような口ぶりだし……)
フィーに色んな武器に変身してもらったのは、2回目の挑戦。けど、あの時は最後の切り札を使われて、負けた。ちゃんとボスを倒したのは、3回目以降の挑戦。と、なると。考えられる可能性は、1つだけ。鳥取は少なくとも2回以上、俺とフィーが隠しボスと戦うところを見ている、と。
「……まさか、鳥取さん。ゲームの中でも俺のこと、ストーキングしてた……とか?」
俺の推測に、トトリはなぜか誇らしげに「えへへ」と笑う。……いや、可愛く笑ってみせてるつもりかもしれないけど、普通に怖い! 怖いから!
「え、いつから!?」
「か、隠し通路が見える廊下の角で、み、見張ってました!」
またしてもなぜか誇らしげに、ストーキング方法について語る鳥取。そう言えば初めてフィーを使ってボスに挑んだときも、その次も。ボスをどう攻略するかについて考えるあまり、警戒がおろそかになっていた。隠しておきたいボスに挑むのだ。後をつけている人が居ないか、周囲に人が居ないかをまずは確認しないといけないはずなのに。
(そもそも、あんなオワコンに行く人たちなんて居ないと思ってたのもあるけど……)
迂闊だったと言わざるを得ない。半年というブランクは、こういう小さなところにも影響していたみたいだった。……いや、何がショックって、こんな(って言ったら失礼だけど)プレイヤーに尾行をされたってことが辛い。どう考えてもトトリは、どんくさい側の人だ。絶対に、壁から全身を出して尾行してたタイプの人間なのに。
「ぐふっ……!」
「だ、大丈夫、小鳥遊くん!? 保健室、行く!?」
あまりの精神的ダメージに、椅子から崩れ落ちる。そんな俺を、椅子から腰を浮かせた鳥取が心配そうに見下ろしている。
「いや、大丈夫。それより、ボスの話だよね?」
「あっ、う、うん。きょ、協力して欲しい……な?」
正直、全く気が進まない。俺がずっとソロプレイをしているのは、ひとえにゲーム内でもコミュニケーションについて考えたくないからだ。誰かと一緒に居るというだけで、色々と考えてしまう。現実は現実。ゲームはゲーム。そうやって区別をつけておきたいって言うのが、俺の本音だ。
その点、サポート妖精AIであるところのフィーは、楽だ。相手は機械。プログラムされた存在であると思えるだけで、妙に落ち着く。対して、この鳥取はどうだろうか。これまでのやり取りを振り返ってみて感じる、圧倒的な疲労感。さらには、挑む隠しボスとプレイヤースキルを考えてみると……。うん、考えるまでもないかな。
「丁重に、お断りさせて頂きます」
ちゃんと敬語を使って、心の距離を示しておく。
「……ぅえ?」
「でも、ボスを倒すうえで大切な情報だけは、あげようと思う」
別に、一緒にボスを倒すだけが強力じゃない。ボスを倒すための手助けをするのだって、立派な協力だ。しかも、鳥取は隠しボスの存在をすでに持っている。行動パターン、弱点などの情報を渡す相手としても、問題はない。
「で、でで、でも……」
「あ、もちろん無料じゃないよ? きちんと情報料も、頂きます」
「え、え~……?」
リアルの関係を引きずって、金銭の問題がなぁなぁになるのは良くない。俺にだって、ウタ姉という貢ぐべき相手(家族)がいるのだ。
「嫌なら、他を当たってね」
それこそ、パーティメンバーとか。アンリアルに知り合いがいないって言うのも、さすがに嘘だろうし。俺にすら、ぷーさんだったりSBさんだったりが居るもんね。
もう日も暮れ始めた。そろそろ帰らないと、ウタ姉を心配させるかもしれない。今度こそ不退転の決意で椅子から立ち上った俺を、鳥取は前髪の奥から睨んでくる。……何か文句があるのか。それくらいは聞いてあげるべきかと立ち止まった俺に。
「そ、『滝鉄の鎧』。に、250万円……だよ?」
気弱に見えた鳥取は、しかし。強烈な口撃を仕掛けてきたのだった。




