第4話 3歩進んで3歩下がる
「ま、ままま、待って下さい、斥候さん!」
教室からから出ようとした俺の制服の裾をきゅっと握って、ストーキング女子こと鳥取柑奈は俺を引き留めた。
「なんで、鳥取が俺のプレイヤーネームを?」
「にゃ、にゃむさんを、知ってた、から……。そそ、それに、入学式のとき、初対面だったのに、わたしの名前、知ってた、し……」
入学式と言うと、俺が初めて鳥取を見かけた日だよね。確かにあの時、俺は黒猫を「にゃむさん」と呼ぶ鳥取の仕草が、プレイヤーの方のトトリと似ていると思って、名前を呟いた。
(あのとき、ちゃんと聞かれてたわけか)
とりあえず俺が帰宅しようとする足を止めたことを確認して、鳥取は俺の制服をつまんでいた手を引っ込める。ようやく動きを見せた会話を再開するために、俺たちは再び手近な椅子に座り直した。
「にゃむさんって、ゲームの方? それとも、下足室の主の方?」
流行ってるのか知らないけど、にゃむさんはゲームと現実、両方に居る。1週間も経てば、下足室前にいるあの太った黒猫を知らない新入生も居なくなった。みんなそれぞれ勝手に名前を付けて甘やかしている姿を、俺もよく目にしている。「下足室の主」というのも、数ある名前の1つだった。
ただ、どうやら俺のこの質問は、俺にとってはかなり致命的なミスだったらしい。
「わたししか知らないゲームのにゃむさんを知ってる……。やや、やっぱり、小鳥遊くんが、斥候さん、なんだ……?」
「……なるほど」
墓穴を掘るって、こういうことを言うのかも。あるいは藪蛇とか。どうやら「にゃむさん」という猫は流行っているわけでは無くて、あくまでも鳥取の飼い猫の名前と言うだけだったみたい。とりあえず、今の何気ない問いだけで、鳥取の中で俺がプレイヤー『斥候』だということが確定してしまった。
――これだから、会話って難しい……。
ほんの少し考える時間があれば、こんなミスはしないのに。改めて人と話すことの難しさを痛感する。まぁでも、ちょっと恥ずかしいくらいで身バレすること自体は大きな問題じゃない。それに、逆を言えば。俺を斥候だと知っていて、にゃむさんがどうとか言ってるってことは……。
「じゃあ、鳥取が、トトリってこと? あの時、ボスの〈炎弾〉にこんがり焼かれた?」
「あ、う、あ……。う、うん……」
さすがに、そうだよね。俺としては、本名とプレイヤーネームが一緒なことの方に驚く。本名の一部を使ったり、もじったりした名前ならまだしも、まさか本名そのままとは。そんなはずは無いっていう、ゲーマーなら誰もが持ってるだろう無意識の心理を逆手に取った、上手い名付けだと思った。
「なるほど……。じゃあ俺を斥候って呼んだのもそうだし、もしかして、話って言うのはアンリアル関係?」
「そそそ、そうなの!」
会話が始まって15分以上。ようやく、話が大きく前に進んだ。それが嬉しいのか、鳥取が長い前髪の奥にある瞳を輝かせている。でも、俺と目が合ったことに気付くと、途端にうつむいてしまった。
「じっ、実は斥候さんにお願いがあって……」
「あ、リアルで斥候は止めて? なんか恥ずいから」
「じゃ、じゃあ、た、たた、小鳥遊くん。に、お願いがあって……」
律儀に言い直した鳥取。けど、また何かをためらうような間が出来る。ちょうど俺もこの人(と、多分いるはずのお仲間さん)に隠しボスの話をしておきたかったし、気長に待つことにしよう。……なんて、待とうとしたことが、間違いだったのかも。
その後、5分経っても、鳥取が話しを始める様子はない。膝の上で指をもじもじ遊ばせながら、むっつりと黙ったままだ。何を、どうやって話そうか。一生懸命考えているのは分かる。多分、俺と一緒で、頭の中にあるいくつもの選択肢を慎重に選んでいるんだと思う。それこそ、ゲームみたいに。
けど、残念ながら俺は人間で、ゲームのキャラクターじゃない。それに、時間にだって限りがある。何より、さっさと話を終わらせて、アンリアルをプレイしたい。ここは、俺の方から情報を聞き出すことにした。
「えっと、じゃあ俺から。鳥取ってあの隠し通路、どうやって見つけたの? 誰かから情報を買ったとか?」
「う、ううん。たまたま、見つけた、の……」
たまたま、ということは偶然見つけた? あの通路を? そんな疑問が顔に出ちゃってたのかもしれない。
「そ、その! 転んだときに、穴を見つけて、それで……」
「入り口を開けるためのボタンはどうやって押したの?」
「そ、れは……。お裁縫用の、針で……」
慌てたように、鳥取はさらなる詳細を語る。とは言っても、にわかには信じられない。たまたま、あの何もない場所で転んで、たまたま、あの小さな穴を見つけた……? しかも運よく裁縫用の針を持っていたから、ボタンを押せた?
(……もうちょっと上手な嘘をついて欲しいよなぁ)
多分、教える気が無いやつかな。そう言えば、プレイヤーの方の「トトリ」は隠しボスの〈炎弾〉に焼かれる直前、俺に恨み言を言おうとしていた。そもそも友好的な話し合いが出来ると思うべきじゃないのかもしれない。
「まぁ、いいや。じゃあ次に聞くけど、鳥取がいるパーティって何人? 実はあのボスについての情報、出来れば俺たちだけで独占したいんだけど……」
そう言った俺の質問に、鳥取は肩にかかるくらいの黒い髪をブンブン揺らして首を振る。
「ひ、1人です!」
「仲間が1人……。ってことは、2人組パーティってことか……」
これなら情報の秘匿はまだ難しくない。そう判断しながら言った俺に、なおも鳥取は首を振る。
「あのっ、ちっ、違くて……。パーティメンバーは、居ない、よ?」
ここでも見え透いた嘘をつく鳥取。控えめに言ってもどんくさいこの人が、あのボスを相手に1人で、長時間生き残って、あまつさえHPを25%削ったとは思えないんだよね……。ってことは、パーティメンバーの人数も秘密ってことか。
情報源もパーティメンバーも隠した。徹底した秘密主義ってことは、ひょっとしたら鳥取はいわゆる“攻略組”の人なのかも。
(なるほど。それなら制作難易度の高い『滝鉄の鎧』を持ってたことも頷ける)
人生を捧げると言ってもいいレベルでアンリアルにのめり込んでいる攻略組と呼ばれる面々。俺なんかとは比べ物にならない量の情報と資金を持っていると聞く。……でも、それにしては鳥取のキャラ操作技術は拙く見えたけど……。
まぁでも、攻略組の人だったとしたら、あの隠し通路と隠しボスの価値は分かってるはず。軽々しく情報を公開することは無さそうかな。
「ん、大体俺が聞きたいことは聞けた。で、鳥取の話って? 俺と同じで、あのボスの話だったりするんじゃ――」
「そう! そうなの!」
俺の言葉を遮って、前のめりになりながら首を縦に振る鳥取。前回話が進んでから、さらに10分をかけて2歩目を踏み出した鳥取の話。いや、俺が「斥候」だと気づいたところでも会話は進んでるから、3歩目かな。ようやく話の着地点……本題を話す気になったらしくって――。
「じ、じじ、実は! 斥候さん……じゃない。小鳥遊くんに、お願いしたいことが、あって」
「う~ん、それ、最初に聞いたやつ」
ひょっとしてループしてる? むしろ、そっちの方がSF感もあってワクワクする分、マシかもしれない。無駄にした時間も戻ってくるし、助かる。だけど、残念ながらここは現実で、SFロマンなんてものはない。俺の対人関係スキルが低いせいなのかもしれないけど、
びっくりするくらい何の進展も見せないまま、鳥取との会話は30分を過ぎていた。
ただ、1つだけ、確実に分かったこともある。今なお目の前で指遊びをしているストーキング女子・鳥取は、間違いなく、強敵に違いなかった。




