第1話 関西人は薄味が好きって話
ニオさんのクラン『The Maid of Unreal』(略:TMU)のクランハウスは、本当に、ただの一軒家でしかなかった。ニオさん曰く、TMUは王都含めて7つある全ての都市に拠点となるクランハウスを持っているらしい。
シクスポートにあるTMUのクランハウスは、やや奥まった場所にあった。白い外壁に青い屋根。通りに面した窓ガラスには、美しいステンドグラスがはめられている。装飾品として置かれた花壇や、所有者を示す木製の壁掛け看板に至るまで、全部が“普通の家”だった。
「クランハウスって言うから、てっきり、どでーんって感じの大きい家かと思った」
俺が素直な感想を言ってる間にも、ニオさんは特に気負う様子もなくドアを開ける。システム上、クランメンバーしか開けられない扉だ。現実と違って合鍵を作られることもないし、外から中の様子を覗いたり、内部の音が漏れたりすることもない。セキュリティという意味ではバッチリだ。
「そうね。あたしも立派なクランハウスの方が良いと思うけど、目立ちすぎるのも良くないし。あと、いかんせん維持費が高いのよ」
苦笑しながら内情を明かしたニオさんが「入って」と、俺が先に入るように言ってくる。素直に従って扉をくぐると……。
「うん、普通だ」
外装通り、内装もやっぱり普通の家だった。玄関に当たる部分は無くて、靴のまま屋内で過ごす西洋スタイル。間取りとしては2LDKっぽい? ダイニングキッチンの横にあるリビングの奥に2つの扉があるだけの、シンプルな間取りだ。
壁は漆喰かな? 硬く、ザラザラとした手触りがありながらも、どこか温かみを感じる。こげ茶色の板張りの床は、踏みしめると適度な弾力を返してきて、足に優しそうだ。
リビングには柔らかい色合いのラグマットが敷かれ、大きめの座卓を囲うように水色のソファが置かれている。ダイニングには四人掛けの食卓。キッチンには2つの魔力コンロとシンクが見えた。
「王都にあるメイン拠点以外は、だいたいこんな感じよ。ゲームの内装って、凝ろうと思えばどこまでも凝れちゃうから」
「分かる。自分の家って思うと、熱を入れちゃいがちだよね」
本編そっちのけで家づくりに励んでしまう。凝り性な部分が出てしまうのは、どうやら俺だけじゃないみたいだった。
とりあえずソファにでも座っててとニオさんに言われ、俺は水色のソファを目指すんだけど……。
(ら、ラグマットの上も靴? それとも脱いだ方が良いやつ?)
慣れない西洋スタイルに、情けなくうろたえてしまう。というのも、実はアンリアルで……というか、ゲームで誰かの家に上がり込むのって、今回が初めてなんだよね。別にゲームだから足の裏が泥で汚れてたりはしないし、意図しない限り家具を壊したりは出来ないだろうけど、粗相があってはいけない。
ローブを脱いだ軽装でお湯を沸かすニオさんの背中を見ながら、どうすべきか悩んでいると。
「……ん?」
いつの間にかソファに座っていたフィーが、眠そうな瞳で俺を見上げている。その小さな手で自身の横をポンポンと叩き「座らないの?」と訴えて来た。さすが、サポートAIさん。プレイヤーである俺の背を、簡単に押してくれる。
「し、失礼します」
意を決して靴のまま毛足の長いラグマットを踏みしめれば、足裏からは柔らかな感触が返って来るのだった。
そのまま、俺の隣で足を遊ばせているフィーとくつろぐこと、数分。湯気の立つマグカップを両手に持ったニオさんが、キッチンからやって来る。
「はい、コーヒーで良いわよね?」
「あ、うす。お構いなく」
「ふふっ、何それ。緊張し過ぎ」
バイトの面接を受けた時と同じかそれ以上の緊張感が、俺の中にある。落ち着こうとして口をつけたインスタントコーヒーは、思っていた以上に苦い。特に最近はバイト先で店長が淹れてくれる優しい味わいの水出しコーヒーに舌が慣れてしまっていたから、ことさらだった。
「相変わらずにっがいわね」
ニオさんも下をペロッと出しながら、包み隠さない素直な感想を口にする。
アンリアルで唯一、再現度が低いって思う部分。それが、味覚だ。いや、いまでも十分に味の再現は出来てるし、現実とほとんどそん色ない。けど、脳を刺激することで感覚を再現する都合上、些細な味の変化を再現するのが苦手らしいんだよね。つまるところ、アンリアルの食べ物はどれも味が濃かった。
「苦味が強いコーヒーには、ミルクが合うんだって。バイト先の店長が言ってた」
「カフェオレってことよね? けど、あたし、アンリアルのカフェオレも苦手なの。なんて言うか、油っぽい。牛乳のカフェオレじゃなくて、フレッシュを入れたみたいな感じに近いのよね」
どうやらもう既に試したらしいニオさんが、どっちもどっちだと苦笑する。アンリアルでは、吸い込む香りの表現は十分でも、口から鼻に抜ける香りの再現や、舌触りと言った繊細な感覚の再現にはまだまだ課題があるらしかった。
「……それで、えっと? 俺はどうすれば?」
クランに入るために、俺はここに来たわけで。別にニオさんとまったりするためじゃない。クランに加入するにはクランリーダーの承認が必要。つまりはニオさんの承認が必要で――。
「あっ。もう来てる……?」
と、その時。戸惑うような声とともに、クランハウスの扉が開く音がした。言わずもがな、クランメンバーの誰かが来たのだろう。
否応なく俺の緊張感が増す。ふと思い出すのは、先日の勉強会。ウタ姉が帰って来た時にみんなが感じた緊張感も、ひょっとしてこんな感じだったんだろうか。だとしたら、めちゃくちゃ身体に悪い。
とりあえず、先の言葉が男性のものか、女性のものか。それすらも分からないくらい、俺は緊張してしまっていた。
反射的にソファから立ち上がってしまった俺が見遣る先。ゆっくりと開かれた扉から姿を見せた人物に、しかし、俺は全ての緊張を忘れるほど驚いてしまう。
だって、目深に被ったフードの奥から俺を見て固まるその女性プレイヤーの頭上に表示された名前が、知っている人のものだったから。
「SBさん!?」
そう。俺がアンリアルをプレイし始めた当初から何かとご贔屓にしてくれていた謎多きプレイヤー『SB』さんが、そこに居た。
(いや、同名プレイヤーってだけの可能性も……)
念のためにフレンド欄からSBさんのログイン状況を確認すると、一応、ログイン状態。背格好も、俺が知るSBさんとほぼ同じ。何より俺を見て固まってるってことは……うん、間違いない。俺のお得意様のSBさんだろう。
フードの奥。すぐにSBさんがいつもの狐のお面を装備する。そのせいでほとんど顔は見れなかったけど、海のように青い瞳と優し気な目元がちらりと見えた気がした。
(さっきのが、SBさんの素顔……)
俺のために数十万円以上を貢いでくれるプレイヤーのご尊顔。まさか女性だったとはと思うと同時に、いつだったかトトリがSBさんを美少女だと言っていたことを思い出す。顔もシルエットも分からない状態で、それでもトトリはSBさんが女性だと断定していた。
(あの人の美少女センサー……。あながち、馬鹿にできないなぁ)
どこまでも理解の埒外に居るプレイヤー・トトリの勘の良さに俺が感心していると、
「リーダー! この子が、あたしの推すプレイヤー『斥候』くんです! 斥候くんも。この人がTMUのクランリーダー『SB』さんよ」
俺とSBさんが顔見知りであることを知らないニオさんが、それぞれをお互いに紹介してくれた。……のは良かったんだけど。
「うん? 待って。ニオさんがクランのリーダーじゃないの!?」
本日2度目。俺は驚愕の事実を知った。
「え、違うわよ。いつからあたしがクランリーダーだって錯覚していたの?」
可哀想なものを見るような目を、俺に向けてくるニオさん。変な言い回しも気になるところだけど、待ってほしい。ニオさんの勧誘の仕方は、間違いなくリーダーのそれだったと思う。それに、このニオさんが、誰かの下にいることを良しとするとは思えなかった。
だから、無意識のうちにニオさんがクランリーダーだって決めつけてたけど……。
(言われてみれば、確かに!)
一度たりとも、ニオさんは自分がクランのリーダーであるとは言っていなかった。
「だ、騙された……」
「なっ!? 人聞きが悪いわね! しかもリーダーの前でそれを言うの、良くないわ!」
分かってる。勘違いをしていたのは俺で、ニオさんは何も悪くない。けど今、この釈然としない気持ちを声にしなければ、ニオさんの思わせぶりな態度や、SBさんがニオさんと同じクランメンバーで、しかもクランリーダーである事実などなどを受け入れられそうになかった。
※今日から8月の末まで、毎日更新を予定しています。楽しんで頂ければ幸いです。