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奪われ令嬢と秘密の双子  作者: 内澤 瞳
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マリアンナの失意

「わたくし、ハリオット様との婚約は解消致しました」

 妹からのその言葉に、マリアンナ・ウォードは持っていた鋏から手を放した。重い金属音が床に鳴り響く。

「やだ、お姉さまったら危ないわ」

「エミリー……どうして? 貴女がハリオットと結婚したいと言ったではないの……」

「だってハリオット様、わたくしと趣味が合わないんですもの」

「そのことは貴女も承知していたでしょう? ハリオットの方も何度も確かめていたじゃない!」

「婚約破棄はお父様もユージン家も承諾しましたわ。『ウォード伯爵家とユージン侯爵家の間に取り交わされていた婚約は解消されたものとする』と。お姉様にもお伝えしなくてはと思って」

 そう言うと、エミリー・ウォードはくるりと背を向ける。甘い蜜のように輝く金色の髪が広がった。

「堅実な人もいいかしらと思っていたけど、わたくしには合わなかったみたい」

 言い捨てるようなその言葉を残し、エミリーは退室する。残されたマリアンナは、鋏を拾うことなく、その場に崩れ落ちた。

「ハリオットさま……!」

 愛しい名を呟くと、涙が零れた。愛しい彼とは、もう一緒になることは叶わない。そのことがただ空しく、ただただ悲しい。それ以上に、誠実な彼を裏切ってしまった事実が、マリアンナの胸に深く突き刺さった。



 ウォード伯爵家の長女として生まれたマリアンナは、貴族令嬢の間でもある種の変わり者として囁かれていた。

 伯爵家の令嬢なのに、華美なものを疎み、質素なものを好む。

 令嬢の嗜みとしての刺繍の枠を外れ、服の仕立てや装飾品細工までをもこなす。

 夜会に出席しても、舞踏や社交よりも出された食事の盛り付けや飾られた花に目を輝かせている。

 屋敷では庭師に交じって草花の世話をし、家畜の世話にも積極的だという。

 実際、その噂は全て事実であった。マリアンナ自身、そのことを恥じることも無く、常に自然体で在ることを望んだ。

 ウォード家が貧乏であった訳ではない。治める領土は農作物にも恵まれ、民が貧しい暮らしをしているという事もない。これはマリアンナ自身が生まれ持った性質であった。

 共に貴族の出身であり、多くの使用人に世話をされて生きてきた両親から見ると、彼女の性質は大変異質なものに見えたことだろう。両親の関心が愛らしい妹に偏っていったのは当然のことかもしれなかった。

 たっぷりのフリルとレースで飾られたドレスが似合う女の子。宝石にも勝るとも劣らない輝きを放つ金髪と碧眼。まさに令嬢と言うべき、完成された少女こそ、マリアンナの二歳年下の妹であるエミリーだった。

 マリアンナの髪は母方の祖母に似たらしく、真っ直ぐに伸びる栗色を宿す。瞳の色はというと、今度は父方の祖母と同じ紫色だ。碧眼である父にも、金髪である母とも違う色ではあるが、顔立ちは似ているので、血の繋がりを疑われたことは無い。だがそれでも、両親の愛情は妹に向けられることが多かった。

 マリアンナ自身、幼い頃はその偏りを察して悲しんでいたが、十七歳になった今はもう吹っ切れていた。華美で豪奢なものを与えたがる両親と、そういったものを避ける自分の間には越えられない隔たりがあるのだと知った。

『お姉様がいらないのでしたら、わたくしにくださらない?』

 マリアンナと真逆で、華美なものを好むエミリーはその言葉が口癖だった。マリアンナが欲するものと、エミリーが欲するものが被ることは無かったし、マリアンナもエミリーに対してはそういう意味で甘かった。

 そんなマリアンナにも、婚姻の話が持ち上がる。結婚を申し込んできたのは、侯爵の位を持つユージン家のハリオットという青年だった。

 裕福な貴族の家柄に生まれながらも、平民を見下すことがなく堅実な人柄であるハリオット・ユージンを、マリアンナも好意的に感じていた。変わり者令嬢と呼ばれている自分を奇異的な目で見ることなく、寧ろ自分で仕立てた服や育てた花を褒めることもしてくれた。

『――実のところ、私には貴族という立場が合わないと感じているのです』

 可憐に咲いた花を指先で優しく揺らしながら、ハリオットは独り言のように言った。

『跡取りなら弟も従兄弟もいますから、無理に私がユージン家を継ぐ必要はないのです。父は私にユージン侯爵という位を継いで欲しいようですが』

『では、ハリオット様は何をされたいのですか?』

 首を傾げたマリアンナに、ハリオットは小さく笑った。

『……本当は騎士になりたかったのです。ですが、今の騎士団は私がなりたいと思える騎士の姿ではない』

 貴族出身であれば、将校という地位は容易に手に入る。剣の実力が無くとも、貴族という立場だけで出世する騎士にはなりたくないと、ハリオットは言った。

『ならばいっそ、貴族という立場を捨て、平民となって実力で仕事に就きたい。いえ、本当は貴族も平民もなく、皆が平等な立場でいられる仕事に就きたいと思っています。――この思考そのものが傲慢でしょう。ですが、今の私には、これしか言えません』

 貴族の地位を自ら捨てたいという望みを話したのは貴女が初めてですという言葉に、マリアンナの胸は確かに高まった。

 貴族令嬢という立場故に、歓迎される思想ではないことは理解出来た。同時に、自分へと結婚を申し込んだ真意も理解した。――自分とこの方は似た者同士であると。

『マリアンナ嬢。貴女ならば、私も本心が出せると感じました。貴族の立場を捨てたいと言っても、自分一人ではその一歩が踏み出せない臆病者です。でも、貴女のような女性なら私の背を押してくれると、そう思いました。……このような理由で結婚を申し込んだ私を、どう思われますか?』

『……貴族の立場を捨てて、私と共に平民となってほしい。――そのような申し込みなら、普通の令嬢ならば即座に断っているでしょう。でも、私はそうは思いません。貴族ではなく、平民になりたいというハリオット様の言葉に強く惹かれました。私は貴方のような方と共に在りたいと思います』

 それは、マリアンナからハリオットへの承諾であった。心から微笑んだマリアンナに、ハリオットもまた心から歓喜した様子だった。

 あとは両家がこの婚約を認め、正式に承諾されるのを待つだけだったある日、父親から聞かされたのは予想していなかった言葉だった。

『ハリオット・ユージンの婚約者をエミリー・ウォード嬢とする』

 そう聞かされたマリアンナは、自分は何か聞き間違えたのかと、改めて父親に問い直した。

 だが、もう一度父が告げた言葉は『ハリオットと婚約したのは自分ではなく妹である』とのことだった。

 驚愕と混乱で言葉が出てこないマリアンナへ、父は溜息を吐いて口を開いた。

『エミリーが望んだのだ。ハリオット殿と結婚したいと』

『……何故、エミリーが彼との結婚を望んだのですか? エミリーはハリオット様と面識は無かった筈ですが……』

『……一目惚れしたんだそうだ』

 曰く、ハリオットがマリアンナに求婚し、ウォード家を訪れてきた際に、妹はこの青年に一目惚れをしたらしい。

 エミリーはすぐさま両親へとハリオットと自分を婚約させてくれないかと頼み込み、父も即座にユージン侯爵へと使いを送ったとのことだった。

 自分とハリオットが逢っていた間に、妹と両親は既に動いていたのだと知る。マリアンナを襲ったのは、言葉で言い表すことが出来ない程に混ぜ合わせられた感情だった。

 妬み、怒り、悲しみ。だがそれ以上に、『自分はハリオットに釣り合う器ではなかったのだ』という諦めが強かった。

 ユージン侯爵家にとっても、変わり者令嬢と呼ばれるマリアンナよりも華やかで愛らしいエミリーを迎え入れたいと思うのは当然だろう。事実、父から息子とエミリーの結婚を持ちかけられたユージン侯爵は、喜んで承諾したという。其処にハリオットの意思があったか否かを、マリアンナが知る術は無かった。

 気がかりなのは、ハリオットとエミリーの人柄が合うかという事だけだった。エミリーがハリオットを愛してくれるなら、と、マリアンナはそう願った。愛される妹なら、同じように誰かを愛することも出来る筈だと。そう願いながら、マリアンナは以前と変わらない暮らしを送っていた。

 だが、その願いは容易く破かれた。

 ハリオットはどうしているだろう。結婚を申し込んだ相手の妹と婚約させられ、その婚約は解消された。彼にとってはウォード家が自分を、ユージン家を裏切ったようなものだ。

 もう、彼と結ばれることは無い――

 その事実を認識すると、涙が止まらなかった。そうして泣くほどに、自分はハリオットに惹かれていたのだと知る。


『お姉様がいらないのでしたら、わたくしにくださらない?』


 その妹の口癖を、マリアンナは初めて恨んだ。姉のものは自分のものであると、妹がそう育てられていたのだと、そして自分もその一端を担っていたのだと。そう気付いた時には遅かった。

 


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