そして今日もまた勇者は魔王と見(まみ)える
もとを正せば、俺達が悪かったのかもしれない。
聖歴154年。村から出た名うての狩人が森に入り、いたずらに魔物へ弓を引いたのがことの始まりだったと歴史は記憶している。
それは同じ地で生きる生き物の宿命であり、線の引けようはずもない。同じ土地に根付いている者同士、小規模な諍いは各地であっただろう。記憶に残る出来事、残らない出来事、そして知られざる出来事。しかしそれでもかろうじて線を引いていた。
だがある時、一方がそれを超えた。それは人間側からだ。
過ぎ去った歴史ではあるが、闘いは何百年と続いた。一時の平穏ののち、思い出したようにまた争った。
歴史を繰り返してある時、人間側の不死の者がことを収めた。
いや、もとより止めようとしていた。双方引くに引けぬ状態にもつれてしまったことによって、きっかけを失っただけなのである。多くの犠牲を出し、ようやく思い出すことが出来た。
ところが、今度はその賽の目が振り手ごと翻る。彼らは、魔物らは決して納得したわけではなかった。
最初それは大きな意味のあるものではなかった。シミ、とすらいえないものだった。いわば小さな雫が一滴、染み込んだ──いや染み込みすらせず蒸発した。はずだった。
それが何かの前触れだったか、もしくは定められていたことか──小さなそのシミの上に次第に雫が零れ落ち、やがてシミとは言えぬほどことは大きく広がりを見せ、かつてほどではないが、しかし世界全土を巻き込む事態にまで膨れ上がっていた。
「はぁあっ!!」
青の衣をまとった勇者、ラクトは鞘から剣を引き抜いてその剣を惜しみなく振るっていた。やや鋭すぎると思われるくらいの剣筋で群がるモンスターをバッタバッタと斬り倒していくが、不思議と血しぶきや傷は見えない。
ギギギッと凶悪そうなモンスターが悔しそうに唸る。その中には巨大な怪物もおり、多少知恵のあるモンスターなどは
「これで何度目だ!?」
などと叫んでいる。
「命の惜しくないヤツは前に出るがいい!容赦なく葬ってやる!」
ここまで激しい剣幕なのにはワケがあった。ここは本丸の魔王城の魔王の間の最終防衛線だ。そのための装備であろう、勇者の背中や腰には大きな荷袋が下げられており、最終決戦に向けての資源なんかなのだろうと思わせた。
乱戦は入城してからしばらく続いており、ラクト(勇者)もそろそろ決着をつけたいと思っていた。
「これ以上相手をする必要もないだろう…そろそろ勝負をつける」
そう発するとラクトは首に巻いたスカーフの布を鼻と口を覆うようにして摘まみ上げ、頭上にある双眼鏡のような装具を目に下ろして、腰部のベルトから小さな袋を取り外すと、剣で傷をつけ床に叩きつけた。するとぼふんと大きな煙が辺りを包み込み、同時にモンスターたちの様子に変化が訪れる。
モンスターたちはその煙でラクトの姿を見失った、というだけでなく、あらぬ方向へと走って行ったりふらふらと歩き去ったりその場に倒れたり。その中で意識を保ったものは、なにしてる、追え、これ以上近寄らせるな、等と声を張り上げている。
が、そこに勇者の姿はもうなかった。
最も強固な防衛線を超えておよそ人間では開けられないようなやや茶色がかった玉虫色の巨大な門扉を抜け、魔王がいるであろう最奥部の門扉へとラクトはやってきた。扉の左側には張り付くように、セミのサナギが人の大きさにまでになったようなモンスターが佇んでいる。
その黒っぽいシルエットは背景と同化してよく分からない。がよく見れば、どす黒い茶色に蟹の頭がのっかった様なセミのサナギのような姿で、その頭部の下あたりに切れ込みがあり、一つギョロリとひと際大きな一つ目がこちらを覗いている。何かを仕掛けてくる、と瞬時に身構える。と思いきや、その眼球は体と同じ色をした瞬膜のようなもので閉じられて、それ以上何かしかけて来ることはなさそうだ。
勇者がもういくつめかも分からない巨大な門扉のまえに立つと、床を削るような地響きとともにガガガと音を立て扉がゆっくりと開いた。開き切ると暗く広い空間がしんと静まり帰っていた。もともと光源も不確かというのもあるが、あまりにも空間が巨大なためにフロアの向こう側も天井も見渡せない。ただ静まり帰ったフロアに、一人の少女の声が小さく響いていた。よく耳をすますとそれは──
「…静なる目覚めの呼びしは我のあるところ也…」
勇者は目を見開いたと思うと、刹那横に転がった。ズガガガと鼓膜が破れるかと思う程の轟音と衝撃。先ほどまで立っていた場所には稲光とも燃え上がる炎ともつかぬ魔術が迸っていた。
その魔法を避けた衝撃と残滓で荷袋から荷物がいくつか持ち物が零れ落ちる。
ラクトは急な出来事に体制が崩れ動揺を抑えられなかったがすぐに立て直し剣を構えた。
「よく来たな、勇者よ…歓迎するぞ」
とうとうその魔王が姿を現した。それは高い天井のフロアをもはや足さえ地面を捉えずつ宙に舞い、暗闇から姿を現した。ぱっと見はまだ少女のように見える。人間でいえば14~17といったところか。その赤のラインが入った黒衣のドレスをまとい、背中から左右に分けて大きく伸びた意匠と幼げのある顔つきとは裏腹に妖艶で危険な雰囲気のする美貌は天から追放された堕天使のようでいて、また妖魔のサキュバスのようでもあった。
お互いの視線がバチバチと交わる。これから互いの存亡をかけた戦いが始まるのだ。自然と手汗で滲んだ手で握った獲物に力が籠る。
「貴様が魔王…今日で、終わりにする…っ!」
勇者が駆け出し、続く雷撃をかわす。距離を詰めると、並みの人間であれば届くはずのない高さまで跳躍し、不敵な笑みを湛える魔王に一閃を繰り出す直前。眼球の奥で頭の隅で火花がチリチリと弾ける感覚。すべてがスローモーションに見え、勇者は魔王の後ろ側で着地する。
──終わった…。
といったところで、ふうっと勇者が息を吐き、剣を鞘にしまった。そして、ハァーと情けないため息をついた。
「…随分な挨拶だな?入り掛けで魔法って」
「なかなか斬新な出迎えでしょ?」
魔王は特に何か傷を負った様子もなく、明るい声を出して勇者を振り返った。
途端に張り詰めた空気がゆる~くなる。まるでこのフロア全体がゆるくなったようだった。ラクトは玉座の前のせり上がりに今だ体に背負った荷物とともにドサッと腰を下ろす。
「今日こそ決着つけるのかと思ったんだけど…いやさ…いきなり撃ってくるのなしな」
腰をつけたまま両手を後ろ手につき体をくつろがせつつ伸ばした。
「最近たるんでるんじゃないかと思って試したのよ。まあ腕は鈍ってないみたいだから、ひとまず安心したわ」
安心したわじゃねーよ、と冷や汗を流す。そんなラクトの胸中を知ってか知らずか魔王は微笑ましそうに言いながらひゅるるると上の方から降りて来る。むちゃくちゃ服のヒレが長いから床に降りるとめちゃくちゃジャマそうな服だ。
「まぁそうならないように城で戦ってるんだがー…ああ、そういえばリーフェ」
「ん?」
魔王、もといリーフェは玉座に戻ろうとしていたところでこちらを振り向く。
「さっきの雷撃で、差し入れに持ってきた野菜とか燻製肉とかが散らばっちゃったぞ」
「へ!?うそ!?」
リーフェ(魔王)はひゅんっとまた宙空に浮かびあがると、急いで扉の前、雷撃で床が黒焦げになったあたりを見回し、お目当ての野菜(大根)等を拾い上げ無事なことを確認すると頬擦りした。
「ああ、よかった!落っこちったけど無事みたい!」
無邪気に小躍りしつつ喜ぶリーフェ。ラクトは小さくため息をつくと、いや、よかったじゃないが…と心の中でも冷や汗を流しつつ呟いた。
実はこういった邂逅はこれが初めてではない。魔物も叫んでいたが、何度もこの方法で城内へ入城していた。バレないように完璧な演技をしてはいるが。とはいえ
「いやさぁ…そう何度も上手くいかないんじゃないか?こうやって何度も城内に侵入出来るとは限らないし」
いくら上手く立ち回ったとしてもその内バレるものはバレる。
「そ?今までだって何度も潜入してるじゃない?」
「せ、潜入か?潜入じゃないと思うんだけど…」
どちらかというと突入じゃないか?という言葉をラクトは飲み込んだ。
「まぁ、このフロアには誰も来てないみたいだし、ドア前の見張りみたいなヤツは見逃してくれてるみたいだから現状は問題なさそうだが…」
バレたところで最初に戻るだけだ。
「ああー、プリズムちゃんね」
どうやら門扉の前のモンスターはプリズムちゃんというらしい。“ちゃん”とはどう考えても形容し難いが。
「まぁあの子はね。賢いから。まぁもともと戦闘力も低いのだけれど。でも結構魔力は高いから、目をつけられたら割とハンパないわよ」
「そうなんだ…今度お土産持ってきてあげようかな…」
といったところで、ラクトの心内でちょっと嫌な感じがあった。
というのも、もし発覚したら…である。発覚したら、この潜入の…というか突入後の緊迫感のあとのユルみのようなものは、割と何者にも代えがたいから失いたくないなというのがある。それと…リーフェと…やりあうのも実はシンドイ。今度こそ討伐!ということになるのだろうし。とりあえず、今はそのことについてあんまり考えたくはない。それにこういったことが当たり前になりつつあり、少し現実味もなくなってきている。
天井を見上げながらぽかんと考えている間に、リーフェは大根の他にも床に落ちたインディアンジュエリーのような意匠のネックレスや王国で流行中のユルふにゃなトラみたいな手のひらサイズのぬいぐるみなんかを拾っている。
「あ、そうだ「お土産くらい自分で買いに来たらいいんじゃ?頻繁に来れないから結構な量になるし、来るまでに消耗もあるし追い打ちもあるし」
「うーんだめ。これが楽しみでこのなーんの楽しみもない退屈な日々をこなせてるっていうのもあるもん」
ぬー、とラクトは唸って宙を見上げ、それから扉あたりをちょこまかとしているリーフェを眺めた。
「あ、じゃあこっち側に内通する存在でも作ればいいんじゃないか?そうしたらそこまで退屈なこともなくなるだろうし、色々便利じゃん」
「んっとねー…そこまですることほどじゃないかな…っていうのは嘘。嘘になるんだけれどー…リスクが大きすぎるわね。それは。もし密告でもされたらそれこそ手の打ちようがなくなっちゃう」
言いながら、野菜やら肉やらアクセサリーやら両手にいっぱい荷物を持ったまま彼女は飛び上がって、意味深に空に視線を泳がせた。するとその視線の先に平面かつ四角いモニターのようなものが現れ、その中にさらに四角と丸が映し出されている映像が現れた。なにやら点が点在しており、かつ点滅している。これはリーフェの魔法で描かれた世界地図、もとい概略図だ。その概略図にリーフェがふわふわと近寄る。
「これが今の私たちの勢力図なんだけれど…今が一番いい図式なのよね。理想的なのよね。大体」
ラクトは再びうーんと声を上げる。
「いやそう、なんだろうけども…あのさ、もうちょっとわかりやすくならないのかこの地図。なんかよく分からない」
そうだ地図だといわれればなんとなくわかるのだが、ぱっと見四角と丸の図形にしか見えないもので、ぱっと見ではよく分からない。
「仕方ないでしょー?私の頭の中のものを具現化してるんだからぁ。というか、見えるようにするだけでも結構大変なのよこれ」
ちなみにこの魔術の使い方は人間側にも伝わっており、今現在鋭意開発中の技術だ。実はリーク元は魔王、リーフェから伝わっている。橋渡しはラクトが行っている。持ちつ持たれつというやつである。
「ふむ…まぁつまり…この状態を維持するのがお互いの為ってことか」
「そういうこと」
リーフェは言いながらラクトの上を通り過ぎて、玉座の腰掛に触れた。すると動きそうにないその玉座がズズと重い音をくぐもらせ横にずれ、その下から階下へ降りられそうな階段が現れた。よいしょっと荷物を腕の中で整えながらリーフェはそこへ降りて行った。服がとんでもなく邪魔そうだ。薄着にしろよ。
ラクトも一息つくと、再び荷物を担ぎ上げ、玉座へと歩み寄る。床は大きな彫刻で掘られたような細工が施されでこぼこしていてとても歩きにくい。そんな床だが驚くべきことに玉座が横に動いた後は全くついていないようで、跡が付いたらバレるのではという勘ぐりは特に意味のないものらしい。
そ階段は明かりがないのか、もしくは明かりが見えない位長いのか、入口の暗闇からぬっとリーフェが現れる。
「あぁ、ありがと。荷物持ってきてくれたんだ?」
「一人で片すには多いからな。俺も手伝うよ」
「ホント?嬉しい。でもいいよ」
ハイ、と言って両手をこちらに広げて来る。階下への穴は狭く、一人しか入れなさそうだ。
「ん、わかった。重いから気をつけてな」
「分かってるよ」
荷物を受け取ると慣れた足取りで階下へとリーフェが降りていく。 この下は恐らく、今まで届けた土産があるのだろうが、ラクトの手伝いを断ったのはこの下にあるプライベートスペースを覗かれたくなかったためか、あるいは気を使ってくれたのか…もしくはその両方か。とそこまで考えて頭を振った。別になんだって構わない。あの土産はラクトが魔城へ出征するために主にラクト本人が注文をつけて村々から集めさせた物資を、村人あるいは王国より賜ったものだ。それらを、とりあえず大事に扱ってくれているのだと分かったのだから、それで十分だろう。初手魔法でいくつか取り落としたが。
再びリーフェが姿を現すと、あ、と声をあげる。
「そういえばせっかく来て貰って悪いんだけど…そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
「ん?いや、別にいいんじゃないか?最終決戦なんだし、時間かかるだろ」
何度目かの挑戦、ということにはなるが。
「いやいや、最終決戦じゃないじゃん」
ぽんっと拳がラクトの胸に置かれる。
「撤退が早い方がリアリティ出るでしょ?まぁ時間を潰すっていうならその辺ほっつき歩いてもいいと思うけど」
「うーん…どうなんだろうな…。リーフェの手下たちはリーフェを立てて絶対に何があってもこの門には近づかないけど、こと俺達の国がどう考えるかっていったらなぁ…」
人間がわでは、“魔王討つべし”の気運は全く消えていない。
彼ら、というか俺らは、魔族のように絶対的な指導者のようなものが存在しないが故に意見がどうというのは正直出づらいところだ。まぁ今のところ魔物被害らしきものはリーフェの尽力のおかげで極少数に留まっている。これで人間側も協力出来れば一番理想的なのだが…万が一出来るとしても、この均衡は崩れることになるだろう。交渉の面で不安が残る。
こうやって上手く立ち回れている内は、わざわざ敢えて衝突する理由を作らなくていいだろう。
「まぁさ、何かあったら私がそれっぽく演出してあげるから。命だけは奪わないような方法で」
命だけは…ラクトには嫌な予感がいくつか浮かび上がる。破壊、強奪…物理的でないものを含めれば、恐怖などの感情も被害となるかもしれない。ひょっとしたら直接的でなくても命はなくなるかも…。ラクトはあまり考えないようにした。
「怖いこと言うなよ…そうならないようにこっちも頑張るから」
「あら。何か怖いこと言ったかしら」
「いや…とにかくこれについてはこっちで何とかするよ。もし何かあったら、相談に乗ってくれると嬉しい」
「やけに素直なのね。まぁいいわ。いつでも相談して。暇してるから」
そう言ってリーフェはパチンと指を鳴らす。するとだだっ広い魔王の間の隅に丸く線が入り、その丸がくぼんでゴロゴロと壁へ転がり消える。すると壁にぽっかりと穴が開いた。その穴の奥は傾斜のついた半円上の床が延々と続いている。いわゆる滑り台だ。ただしとても長い。
便利だけど怖いんだよなあれ…真っ暗だし滑るときめっちゃ早いし…。
今から相談としゃれ込みたいところだったが、キリが良さそうなのでこれでお暇することにした。
リーフェが開けてくれた穴の前に立つと、何やら奥から空気の反響した形容し難い音が鳴り響いている。後ろに立ったリーフェに振り返り、一言挨拶を交わす。
「じゃあ、また」
「うん、また」
リーフェが笑顔で手を振ったのを見て、いつ乗っても慣れない滑り台に体を乗り出して勢いよく滑る。ふわりと体が宙に浮く感覚と自分の滑っている音だけが暗く広い空間に響き渡る。
そうして思うのだ。
またなど、あるのだろうか。
次会える保障などない。
もしかしたら次の時には、俺以外の討伐者が選ばれることがあるかもしれない。もしかしたら、魔王は誰かに討たれるかもしれない。まさかとは思うが、ことが明るみに出て、俺は何かしらの方法で罰されてもう自由の身でいられなくなるかもしれない。
そんな考えを頭から必死に押しのけて、暗闇を滑り落ちる。ただ滑り落ちていく。光へまっすぐに。いつもの平穏な景色を求めて。
そしてまた、魔王と見えるために。
うわ~あらすじ(の存在)忘れてた~うわ~!
※投稿直前に適当に書きました