第85話 バルバルたちとソフィア姫
昼食が終ると、船遊びは終了になった。
アレックス王太子とソフィア姫は、国王と相談すると言っていた。
俺、ジェシカ、ロッソは、バルバルのバイキング船に戻り、ゆっくりとオールを漕ぐ。
ジェシカが俺に話しかける。
「ねえ、ガイア。ソフィアちゃんは、一緒に行けるかな?」
ジェシカはソフィア姫を妹のように可愛がっている。
一緒に旅をしたいのだろう。
気持ちはわかる。
俺もソフィア姫は可愛く思っている。
俺とジェシカは、肉親を早くに戦で亡くしている。
兄妹もいない。
だから、俺やジェシカにとってソフィア姫の面倒を見ることは、失った家族の代償行為なのだろう。
これから俺とジェシカの間に子供が出来れば、また気持ちに変化があるかもしれないが……。
まあ、やることはやっているので、それはおいおいだ。
俺はジェシカの質問に冷静に答える。
「どうだろう……。なかなか難しいんじゃないかな? 旅行ではないからね。バルバルの外交にアルゲアス王国のお姫様が同行するなんて変だろう?」
「それはそうよね~。ああ~あ! がっかり!」
ジェシカが子供っぽいリアクションをするので、俺は思わずクスリと笑う。
「あんまり油断しねえ方が良いんじゃねえか?」
俺とジェシカの会話を聞いていたロッソが、船の舵を握りながらちょっと固い声を出す。
何だろう?
「ロッソ? どうした?」
「いや……。この国と仲良くするのは結構なこった。けどな、俺たちはアレックスたちと戦ったろ? そんな昔のことでもねえだろ? また、戦うことになるかもしれねえ。そんときゃ……」
「「……」」
俺とジェシカは、ロッソの言葉に何も言い返せない。
俺たちバルバルは、ヴァッファンクロー帝国に雇われてアルゲアス王国と戦ったことがある。
今はアルゲアス王国と良好な関係だし、俺は良好な関係を維持したいと思っている。
だが、俺たちバルバルとアルゲアス王国が敵対する未来だってあり得るのだ。
俺もジェシカも、厳しい未来が訪れる可能性があることをわかっている。
もしも、その時が来たら……、俺もジェシカも剣を取りアレックスやソフィア姫と戦わねばならない。
俺は深くため息をついた。
「そうだな。ロッソの言うことも一理ある」
「俺だって、あのお姫様は可愛いぜ。俺に懐いてくれているしな。けど、俺がどう思うかってことと、国と国とが戦になるってことは関係ねえからな。だから油断はしねえよ」
「ああ、そうだな」
俺は気持ちを入れ替えた。
ロッソの言う通り、戦になった時を考えて、常に備える必要がある。
アルゲアス王国内の情報を集め分析し、強み弱みを把握しておかなければ……。
ジェシカが涙声で叫んだ。
「ロッソのバカァ!」
「悪いな、ジェシカ。ごめんな」
「バーカ! バーカ! そんなことにはならないもん!」
「そうだよな。ならねえよな。ならねえ、ならねえ」
ロッソがジェシカを優しい声でなだめている。
バルバルとアルゲアス王国が戦わないように、上手く舵取りをするのは俺の仕事だ。
ジェシカを泣かせないためにも、しっかりしよう!
*
ソフィア姫が『バルバルと一緒に外国へ行きたい』と言い出した。
アルゲアス王国の王宮では、王族の家族会議が開かれた。
王宮の一室で、国王、王妃、アレックス王太子、ソフィア姫がテーブルを囲む。
まず、国王が口を開いた。
「ソフィア。アレックスから聞いたぞ。ガイア殿たちと外国へ行くと言い出したそうだな? ソフィアは王族なのだ。わがままを言って周囲を困らせてはいけないよ」
国王の口調は柔らかい。
元気になった娘がわがままを言うのが可愛いのだ。
出来ることなら外国へ連れて行ってやりたいと、国王は思った。
父親はいつだって娘には甘いのだ。
続いて王妃。
「そうよ。ソフィア。それに船遊びでは、川に飛び込んだのでしょう? 危ないことをしてはいけませんよ。侍女たちを困らせてはかわいそうでしょう?」
王妃も優しくニッコリと笑いながら、ソフィア姫をたしなめる。
アレックス王太子は、父と母の様子を見てホッとしていた。
(うむ。父上と母上の口調こそ優しいが、ソフィアの行動に釘を刺してくれた。これならソフィアが、突然飛び出して外国へ行ってしまうこともないだろう)
ソフィア姫は三人の保護者の視線を受け、落ち着いた口調で話し始めた。
「お父様、お母様、お兄様。わたくしは思いつきやわがままで、『バルバルたちと外国へ行きたい』と申し上げたのではございません。こちらをご覧下さい」
ソフィア姫は、絵の描かれた板をテーブルに置いた。
アルゲアス王国に木を原料とした紙はない。
羊皮紙や木切れ、粘土を使った石板が用いられる。
ソフィア姫は家族会議の前に、手頃な板に炭で手早く簡単な絵を描いたのであった。
国王が板に描かれた絵に興味を示した。
「ソフィア。これは……?」
「バルバルの船の船底です。川に潜った時に気が付いたのですが、船底の形がわたくしたちの船と違うのですよ」
「むっ!? そうなのか!?」
国王は真剣にソフィア姫が描いた絵を見た。
アレックス王太子も身を乗り出す。
「お父様、お兄様。ここを見て下さい。バルバルの船には背骨があるのです」
「「背骨?」」
「はい。ここに背骨があって、船底はこのように三角になっているのです」
ソフィア姫は手を動かして、船底の形を空中にかたどった。
アレックス王太子が感心する。
「俺もバルバルの船を見たが、船底の違いには気が付かなかった。ソフィアはよく気が付いたな」
「お兄様が見たのは、キリタイ族との戦の最中でしょう? お忙しくてじっくり見る時間がなかったのでは?」
「そうかもしれん」
アレックス王太子は、ソフィア姫の説明に納得しながらも、ソフィア姫の観察眼に舌を巻いた。
ソフィア姫がジェシカと楽しそうに遊んでいる中で、船の違いを見ているとは、アレックス王太子は思わなかったのだ。
アルゲアス王国は、歩兵、槍兵、騎兵が中心の陸軍国である。
船は運用されているが、あくまで陸軍の補助という位置づけだ。
だが、国王やアレックス王太子は、船の重要性を認識している。
ヴァッファンクロー帝国において、船が交易や海戦で活躍していることを知っている。
帝国との戦――コロン城の戦において、船が重要な役割を果たしたことも理解している。
今後、南方で帝国と戦ってゆくには、南方の海軍力を増強する必要があると、国王とアレックス王太子は考えていた。
ゆえに、ソフィア姫が持ち込んだ船底の絵に、国王とアレックス王太子は強い興味を示した。
ソフィア姫は国王に尋ねる。
「お父様。船に詳しい方は王宮におりませんの?」
「すぐに呼ぶ!」
国王の指示で、船に詳しい年輩の将軍が呼ばれた。
年輩の将軍は、ソフィア姫の描いた絵を見てうなった。
「これは興味深い……。このような背骨のある船は見たことがありません……」
年輩の将軍にソフィア姫が絵の説明を加える。
「ガイア様たちバルバルは、この船で領地から北の海を渡ってこられたのです。商業都市リヴォニアを経由して、王都クインペーラまでいらしたのです」
「ふむ……。北の海は波が強い。恐らくこの背骨があると波に強くなるのでしょう。この絵はお預かりしてもよろしいでしょうか? 技術者に研究させましょう。姫様! お手柄です!」
年輩の将軍に褒められて、ソフィア姫はニッコリ笑った。
年輩の将軍が去ると、ソフィア姫が会議をリードし始めた。
「お父様、お兄様。わたくしがバルバルの名前を聞いたのは最近です。それ以前からバルバルは有名だったのでしょうか?」
「いや、知らぬ存在だった。ワシはアレックスからバルバルの存在を聞いた」
アレックス王太子が国王から話を引き継ぐ。
「俺はカラノスという部下から報告を受けたのだ。帝国とコロン城で戦った時だ」
「バルバルの皆様は不思議ですわ。わたくしたちの知らない医療の知識を持っています。この船についても、わたくしたちにない知識でしょう? それにジャムやメープルシロップも! 殿方たちは、女、子供が喜ぶ食べ物と軽く見ているようですが……」
「違うのか?」
「交易品として優秀ですわ。どれだけの財をバルバルにもたらすのか想像もつきません。それに、そんな優秀な交易品を生産する知識は、どこから得たのでしょう? バルバルは帝国に従属する一部族のはずなのに不思議ですわ……」
「確かにな……」
アレックス王太子はバルバルに対する認識を改めた。
アレックス王太子はガイアたちバルバルを『頼りになる戦力』だと考えたいた。
つまり、『戦闘ユニット』と認識していたのだ。
だが、ソフィア姫の指摘で意識に変化が起こった。
単なる『戦闘ユニット』から、『不思議な存在』、『注意を払うべき相手』と考えるようになった。
「お兄様。バルバルに詳しい人は、王都にいませんか?」
「カラノスが帰ってきている。すぐ呼ぶ!」
今度は王宮にカラノスが呼ばれた。
カラノスは王族四人を前にしても臆することなく、堂々とした態度で頭を下げた。
「臣、カラノス。お呼びにより参上いたしました。国王陛下、王妃様、アレックス様にはご機嫌麗しく。ソフィア姫様はご回復のよし、お慶び申し上げます」
カラノスにアレックス王太子が指示を出す。
「カラノス。儀礼は省いて良い。バルバルについて知っていることを全て話せ」
「かしこまりました。バルバルでございますが――」
カラノスは、ガイアたちとの出会いや取り引き内容、帝国でのバルバルの評価や評判を伝えた。
そして自分の意見を付け加えた。
「帝国ではバルバルの評価が不当に低いですが、ガイア様たちは低い評価を逆用して利益を上げています。非常に強かです。臣が愚考いたしますに……、我が国はバルバルと友好的な関係を続けるのがよろしいと存じます。帝国の逆側に味方を作ることになりますし、彼らは交易相手として非常に有望です」
カラノスの報告が一通り終ると、ソフィア姫が質問をした。
「カラノス。ガイア様は何ヶ国語を話せるのかしら?」
「私の知る限りでは、バルバルの言葉、アルゲアス王国語、帝国語が話せます。エルフと知らぬ言葉で話しているの見かけましたので、恐らくエルフ語も話せるでしょう」
カラノスの話に、アレックス王太子が補足する。
「俺はキリタイ族と話しているのを見かけたぞ。我が国の通訳によれば、流暢に話していたそうだ」
「不思議ですわね。ガイア様は、なぜそんなに沢山の言葉を話せるのかしら? アルゲアス王国語も流暢で我が国で育った人のようですわ……」
ソフィア姫の指摘を受けて、場にいる全員が考え込んだ。
言語能力に優れた者は、複数の言葉を自在に操る。
だが、非常にまれな存在だ。
――ガイアは、まれな存在なのか?
国王や王妃は、バルバルとガイアに強い興味を持った。
国王がソフィア姫を見てうなずく。
「なるほど。ソフィアは、バルバルとガイア殿を探りたい。だから、外国へ一緒に行きたいのだね?」
するとソフィア姫は、ニッコリと晴れやかな笑顔を見せた。
「あら! お父様! 探るなんて怖いことをおっしゃらないで下さいな。わたくしは、お父様の名代として外国へ行きたい。そして、バルバルの皆さんと交流を深めたいだけですわ。わたくしは、ジェシカお姉様もガイア様もロッソも大好きですよ!」
国王はソフィア姫を見て苦笑した。
(やれやれ。病弱な娘だと思っていたが、しっかり王族であったか! ソフィアに自覚があるのかはわらんが、自分の中の好意と国としての利益をきちんと分けて考えている……。頼もしい!)
国王は頭の中で状況を整理した。
ソフィア姫を旅に出して得られる物――外国との交流、ガイアたちバルバルの情報を得る、そしてソフィア姫の成長。
国王は決断を下した。
「よろしい。ソフィアが旅に出ることを許す。ワシの名代として各国を訪問せよ」
ソフィア姫は椅子から立ち上がると、国王に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。国王陛下のご命令、しかと承りました」
続いてソフィア姫はアレックス王太子に向き、甘えた声を出した。
「お兄様。カラノスを貸して下さいな。バルバルに詳しく、商売に詳しい人が必要ですわ」
「ああ、よかろう。カラノス! ソフィアに同行せよ!」
「かしこまりました」





