第二話 「良平」
「…なるほどね。で?誰なんだよ。」
眼鏡の奥で冷徹な目を光らせているこの男。
おれの親友、梶 良平。
成績優秀、スポーツ万能
小中高、全部一緒だが
全てにおいて勝てたことがない。
ちなみに美人の彼女までいる。
良平は冷静に英語の参考書を読みながら、いつもの抑揚のないトーンで聞いてくれた。
頭がいい人の特徴だよな。本を読みながら会話できるって。ただこいつの場合は、俺のこの馬鹿げた体質に慣れすぎているというのもあるんだけど。
今年はこいつと同じクラスで本当によかったと何度思ったことか。あと彼女が別のクラスで本当によかった。
イライラしなくて済むから。
「知らないんだよ。自分でも自分が誰だか、なんで死んだかわかんねえっていうし。」
俺は今朝、散々驚かされた挙句、全裸で「血まみれのこいつ」と向き合ってやった。しかしその努力虚しく、情報は何も得られなかった。だから話を切り上げて学校にきたが、案の定ついてきてしまった。
何も覚えていないが、助けて欲しいというのだ。
こういう類の生き物(死に物?)に多いのは、まさにこういう具体性に欠けた依頼だ。
「なんだかすみませんねぇ。あなたの手を借りれば解決するってアッチの世界で聞いたものでして。私自身、猫の手も借りたいくらいでして。必死こいてあなたの気を引こうと……」
「わかった、わかった。とりあえず黙れ。」
俺は手で話を制した。
「あ?なんも言ってねえよ。」
良平は怪訝な顔で俺を見つめる。
「ちがうちがう、霊と会話してんの。」
こいつは羨ましいくらいに、霊感がない。姿も見えなきゃ、声も聞こえない。おまけに彼女もいる。しかも可愛い。羨ましいったらありゃしない。
「とりあえず全身についてる血がドロドロだ。目立った傷がないのに血が黒っぽいしドロドロ。だから誰かにやられたというより、なんかの事件に巻き込まれて、ドシャッと血をかぶって、時間が経ってからスパッと死んだんだと思うんだよ。」
良平は一瞬考えて「ほう」といった。
「ああ、なるほど。そうですね。わたくしもそんな気がしていたんです。」
「そんな気がしてたって、お前本当かよ。適当なこと言ったら許さないからな。」
「あら、お厳しいですね。心優しい方と耳にしていましたが、死んだ者に関しては例外なんでしょうか。わたくしはアッチの世界から苦労してここまでやってきたんですよ、わたくしは…」
「だから、わかったって!!悪かったよ。」
俺はまた手で制した。血まみれ野郎はわざとらしく口を手で塞いだ。
まったく、からかってんだか真剣なんだか。
こっちは朝から大変だというのに。
良平はパタリと英語の参考書を閉じ、深いため息をついた。
「お前…ほんと、つくづく大変だなぁ。」
「優秀な良平くんに言われちゃうといよいよつらいよ。」
俺も今日だけで何百回目なのかわからない深いため息をつく。
「その…血まみれの霊?そこにいるんだよな。そんな調子じゃ授業中も大変だろ。教室にいない方がいいんじゃないのか?」
良平は時計を気にしている。確かにもうすぐホームルームの時間だが、この霊が諦めて「アッチの世界」とやらに帰る気配はない。
血まみれ野郎は気にする様子もなく、教室の窓の外の木の枝にとまっている鳥を眺めている。
「ここまで進んだ世でも、シジュウカラの姿はそのままなのですね。人の装いも、町の出で立ちも何もかも違うというのに。」
あの鳥、シジュウカラっていうのか。
どこか寂しげなその横顔を、ずっと前に見たような気がした。
「…おい、お前。俺が協力してやるって言ったらなんでも言うこと聞くか?」
血まみれ野郎は俺に向き直ると、寂しそうに微笑んで言った。
「もちろんです。もうわたくしに失うものなどないのですから。」
冷徹なはずの良平が優しく笑った。
「結局、また協力するんだ。お前らしいよ。なんでも言えよ、だいたい分かったから。」
こいつ、こういうところがずるい。だから女にもモテるんだろうな。
俺らしい、か。
特技も才能もない俺に、俺らしさなんて何一つないと思ってしまうけれど。
「じゃあお前、ついてこい。」
「はい、ご主人様。仰せの通りに。」
俺は一階の渡り廊下を渡り、旧校舎の奥の使われていない教室までそいつを案内した。
体育館だけは新設せず旧校舎にあるため、取り壊さずに残っている。使われていない教室は、物置やら、部室やら、更衣室やらに使われていた。
そのいちばん奥の教室。
「講義室Ⅱ」と掲げられたその教室は、使われていない教室の中でも特に人の出入りがない穴場スポットだった。
俺と良平はよくここで大事な話をする。
「お前、ここで授業が全部終わるまで待ってろ。いいか、俺が来るまで迎えに来るな。約束できるか?」
血まみれ野郎は教室中を見渡し、ふらふらと一周すると、不安げに俺を見つめた。よく見ると、まだ若そうな顔をしていた。俺と同い年ぐらいだろうか。
「俺は1度受けた依頼は絶対にやる。絶対にお前を裏切らない。信じろ。いいな?」
そういうと、血まみれの顔をほころばせてそいつは笑った。
まだあどけないその笑顔に心配がよぎる。
こいつが自分の過去を知ることで、その先にある未来なんて必要なのだろうか。
血まみれの死なんて、絶対に心温まるいい話ではないはずだ。悲運の死、もしくは大切な誰かを失っているかもしれない。
「やはり、話通りのお方。ご無礼をお許しくださいませ。」
そいつは膝をつき、手を揃えて俺に礼をした。その姿は時代劇の登場人物そのままだった。奥ゆかしく律儀な、日本人古来の心だ。
「おう。じゃあちょっといってくる。」
「はい、いってらっしゃい。」
俺は後ろ髪を引かれながらその場を後にした。そいつが音沙汰もなく、ふっと消えて無くなってしまわないか、心配になったからだ。
旧校舎の廊下の空気は冷たいが、人の気配がなく、音がしないためか、とても澄んでいた。
裸の木が風に揺られ、静かな床に影を映していた。
-つづく-