8.乙女の秘密②
価値のある魔石ではなかったため、弁償だとかそういった問題はない。
ただ、確実にわたしが投げ渡したことについては、謝罪しなくてはならない。
それにしてもキャッチしたのに魔石が割れたというのは、どういうことだろうか。いや、それよりも割れた魔石は価値がないので、気にしなくて大丈夫だと、ひと言伝えた方がいいのではないか。
わたしの脳内は状況を整理する暇もなく、頭の中を混乱させる様々な意見が駆け巡る。もはや立ち尽くしかなかった。
この静まり返った状況を打開したのは、ミラージュだった。
「……から、……や……たの」
聞き取るにはあまりにも小さすぎた声。思わずわたしは「え?」と聞き返した。
「……だから!!!!!いやだったの!」
まさかの怒鳴り声を響かせるミラージュに、わたしは驚きのあまり目を見開くことしかできなかった。怒った口調に大きな声、そしてピンクローズの瞳には涙が溜められて、眉毛は悲しそうに歪んでいた。
いま掛ける言葉は、大丈夫だよ、ではない気がした。
「ミラージュ……?」
なんでそんなに悲しそうなのか。そう問いかけたのか、問いかけなかったのかは自分でもわからない。
本能的に彼女の頭を抱き寄せていた。これは、おじいちゃんがわたしを勇気づけるときにしてくれる、ぎゅうだ。
しばらくそうして、耳元で響く泣き声に耳を傾けていた。
徐々に静かになって、熱を持ち始める彼女の頭を肩から離すと、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしているミラージュが、ぼーっとした表情で遠くを見ていた。
ハンカチを持っていなくて、わたしは自分のエプロンスカートで、大まかにミラージュの顔を拭いた。そのあと、ゆっくり手をひいて、壁際の床に座るよう促した。
いつもはお姉さん然としたミラージュが、わたしの導くままについてくる様が、私より幼い子供に見えてきて、思わず頭を撫でたくなる。
しばらく床を見つめていたミラージュは、おもむろに話し始めた。
「さっき、魔石が砕けたの、どうしてかなって思っているでしょう」
「うん……」
あまり聞かない方が良さそうな雰囲気だったけれども、嘘はつかず、気になっていたことを認める。
それに対しミラージュは表情を変えることなく、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私ね……手の力が強いの。はじめは、自覚なくて、よく物を壊したりしていたの」
手の力が強い、と言われて床に散らばった魔石の破片に目を移す。いくら強いと言っても、まさかこの魔石を砕き割ったのが、ミラージュの握力だけとは、にわかには信じ難い。
「今はこの力も加減できるようになってきたのよ。でも、緊張したり、力を入れたり、驚いたりすると、うまく加減できなくなってしまうの。だから私、友達いないのよ。みんな気味悪がって、離れていったわ」
ぐずり、と鼻をすするミラージュ。
確かに、とても社交的な性格に思えるミラージュだが、鍛冶屋の工房にこもっていることがほとんどで、あまり外出しない。それに、わたし以外の子供と遊んでいるのを見たことがなかった。
「お茶会をしたときの中庭にあった椅子、形が変だったでしょう。あれは、私が曲げてしまったのよ。そのあと元の形に近づくようにまた曲げ直したのだけど」
ミラージュは、ふふっと笑った。笑ったけど幸せそうな笑みじゃない。
なんとなく、ミラージュの手を握った。
「……わたしっ、かわいい女の子でいたいのにっ……!!」
再び涙を流すミラージュを、わたしは、なんて可愛らしいのだろうと思った。
毎日鏡で見る自分は、ミラージュのように愛らしくないし、可愛くいたいと願ったこともない。魔石があって、一日中それを見ているだけで満足できる人間なのだ。
しかしどうだろうか。
目の前の少女は、こんなにも誰が見ても愛らしい顔立ち。弱弱しく輝くピンクローズの瞳は優しい光を帯びていて、美しい。愛らしさに似合った仕草もまさにお淑やかな少女のお手本。
それなのに、外見や性格に反して、手の力が強くて、それが女の子らしくないと、ひた隠しにしていたのだ。
……なんて可愛らしいのだろうか。
しばらくして、ミラージュはいつかのわたしのように、泣き疲れて、壁にもたれかかって眠っていた。
その日は、なかなか帰ってこないミラージュを心配した、鍛冶屋のおやじが迎えに来た。そもまま言葉を交わすことなく、ミラージュとお別れした。
その晩、わたしは悩みに悩んで、あることを決行することにした。