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56.老いぼれハンターの過去①

 俺が生まれたのは、トパズ王国中心部だった。

 祖父の代から騎士爵。父も騎士だった。

 とうの昔に捨てた家名はヘリオドール。ヘリオドール=ランス。今となっては本名すら懐かしい。


 ヘリオドール家では、何よりも武が重んじられた。爵位が授けられてからの歴史は浅く、たった二代しかない。三代目となる、その子らに向けられる期待は、騎士としての資質があるか否のみだった。


 俺は三男ながら、最も武術に長けていて、父親からは溺愛されていた自覚はある。母に似た上の兄二人は、剣の才がなかったわけではない。それなりに腕は立ったが、どちらかというと芸術ごとの才能の方が秀でていた。

 子供のころは、才の差なんて気にもならず、兄弟間の仲は良かった。


 しかし、上の兄が12歳を迎えた頃からだろうか、俺たちの関係性は、すっかり変わってしまった。

 兄を慕う俺に対して、急に兄たちは俺を避けるようになった。

 剣の稽古を一人でする俺に対して、石を投げ妨害する。そんな小さなことから始まったように思う。


 まだ8歳だった俺は、理由もわからず、母親に泣きついた。


 母は優しかった。兄弟皆を愛し、平等に接していた。

「兄二人はお前の剣の才が羨ましいの。皆良いところはあるのだけれど、兄たちは剣の才が欲しかったと駄々をこねて、お前に辛く当たっているのよ」


 誰を責めることなく、俺を諭した。


「兄さんたちを許してやってね。お前の剣の才は、人を守るために授かったのだから」


 俺は、母の言を信じ、守った。

 どんな嫌がらせをされても、あることないことを言いふらされようとも、口を引き結び、涙を流さずに堪えた。


 俺から父に、兄から受けた嫌がらせを報告することは一度もなかった。騎士になる者として、このようなところで弱音を吐いては、父に見放されると思ったからだ。

 切り傷も打撲痕も、父は「稽古を頑張っているようでなにより」と激励した。そのことが自尊心を救っていた。



 11歳のときに、自分に剣の才があり、この家の後継ぎとして有望視されているから、兄たちは俺を嫌っているのだと気づいた。

 それからは、負けず嫌いの精神が腹の底から這いあがってきて、絶対に跡目になってやると思った。兄たちの嫌がらせなんて、実力でねじ伏せてやろうと思えた。

 だから、俺は、より一層、剣技に励んだのだ。


 そして、俺が12になった年のある日を境に、兄たちの嫌がらせは、激化した。

 俺は、家庭内の食事に毒を盛られたのだ。その時のことは、今でも覚えている。

 毒を盛られてから、3日間の記憶はない。4日目にしてやっと意識を取り戻した俺の手には痺れが残っていて、渡されたコップを握ることも出来ず、絶望した。


 遅れて、恐怖心が襲ってきた。

 思っていた以上に兄たちの後継ぎへの執着心、そして、俺への憎悪が強かった。

 何をきっかけに、俺を亡き者にしてやろうと思い至ったのかはわからない。だから、余計に怖かった。


 血を分けた兄弟を殺してでも手に入れたいものとは、なんだろうか。

 俺は、この家の後継ぎになるために、兄弟を殺したいとは思えない。だって、俺のこの手は、人を守るために磨いてきたのだから。


 目が覚めてからの数日は、一人でベッドから起き上がることもままならず、母が付きっきりで看病してくれた。

 母はずっと俺に謝っていた。

「私が至らないから、兄弟間を争わせてしまったのよ」

「恨むなら兄でなく、私を恨みなさい」

「テネスとテトラを殺人者にすることも、貴方を失うことも自分にはできない」


「ごめんなさい」

 俺の枕もとで泣き続ける母の弱さを俺はその時初めて理解した。


 俺も、怖かったからだ。自分にも逃げ出す弱さがあってもいいと。そう思えた。


 そして、事件から1か月ほど経ち、ようやく自力で階段の上り下りができるようになった頃、母の計らいで、この家を出ることになった。

 もう剣を握ることはできないから、この家を継ぐことはできない。それを理由に俺は、この家の後継ぎの権利からも、兄の嫉妬と憎悪からも逃げ出した。


 実家のある街から、2つほど隣の街の別宅に俺は、住まわせてもらうことになった。貴族街の立ち並ぶ前の街よりも、こちらの方が、俺は落ち着けて好きだった。

 数人の使用人もついてきてくれたので、俺は不自由することはなかった。もちろん、身に着ける物や食事は貧相になったが、兄たちの監視や嫌がらせがなくなった分、快適な毎日だった。


 数か月間は、毒の影響で痺れた手指に悩まされたものである。指先の感覚がたまに自分の意志と別の動きをするので、フォークでサラダに入ったビーンズをとるのが下手になった。

 食事のマナーがなってないのは、貴族としてはあるまじきことだ。


 フォークの上からピンと跳ねたビーンズが、テーブルにはじけ飛んだ時は、なんて行儀が悪いことだ、と自分にがっかりしたものである。


「もうビーンズをサラダに入れるのはやめよ」

 自分がこんなことを言うより先に、手指の痺れを考慮して、食べづらいものを排除して食事を提供することが使用人の仕事だと思っている俺は、少々不機嫌だった。


「スプーンで食べたらよろしいではないですか」

「お前、主人に口答えするのか」

「ビーンズをフォークで美しく食べたいなどと、貴族のプライドですか?ランス様は、もっと平民のように振舞わないと、まだ後継ぎを狙っていると思われて、また危害を加えられるかもしれませんよ」


 そう言った使用人の男は、まだ20半ばくらいの若い男だった。前の屋敷ではあまり見かけなかった顔だ。しかし、その男の濃い茶色の瞳は、母に似ていて、不思議とその男の言うことは、すんなりと受け入れてみようという気になれた。

 ちょっとした反抗心から、その使用人のことは、最後まで、「おい」とか「お前」とか呼んでばかりで、今でも彼の名前は思い出せない。



 それから俺は、平民らしいとはどういうことなのかを研究するために、使用人とともに下町の見学に出掛けたりもした。

 平民の言葉遣い、物の食べ方、立ち居振る舞い、服装や生活。どれもが新鮮だった。

 そして、その一つ一つが刺激的で、俺は貴族の嗜みだとか、権力争いだとか、そういった、こんがらがった事情なんて、すぐにどこかへ飛んでいった。



 下町のガキどもをまとめあげるために、剣なんて使わない、拳と拳の喧嘩をしてみたり、鉄の棒を振り回してみたり。

 同じ街の女の子にもてはやされて、天狗になっていた時期もある。

 街の子供たちと関わってみると、皆、貴族のことは嫌いで、俺もごく自然に後継ぎになりたかった自分は、世間知らずだったからだと思えるようになっていた。


ランスの過去、予想以上の難産でした。

それに加えてキーボードの調子が悪くて、今後も影響出る可能性ありそうです。

本日中にもう1話UPする予定です。

ノロノロ更新にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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