31.春の嵐
レイルがうちに来て早3か月。
わたしたちはレイルがいる生活が当たり前になっていた。
朝起きれば、レイルがご飯を作って待っていて、一緒に買い物をしたり、お散歩をしてみたり。店番も一緒にやることもある。
わたしが、作業部屋にいるときは気を遣ってか、入ってこない。わたしも魔石のことはレイルには話さないようにしている。専門的な話をしたところで、わからないだろうし。レイルから立ち入ってこない限りは、魔石商のパートナーとしての役割を押し付けたくない。
それくらい、わたしにとって大きな存在になっていた。
おじいちゃんとわたしの意見が対立した時は、いつもそっと寄り添った立ち位置から意見を言ってくれる。わたしが口に出さない意見も汲み取ったりする。なんだか、ずっと前から一緒に暮らしていたような感覚になるときもあり、とにかく居心地がよかった。
まだわたしのことを「ツィエン様」と呼ぶけれど、たまにわたしのことを叱るし、ダメな時はダメだとはっきり言うようになってきた。はじめのうちのレイルの意思表示は、頷くか困った表情をするかのどちらかで、今後やっていけるか心配だったけれど、そんな憂いは消えてなくなった。
レイルの生い立ちについてはまだ教えてもらえていないけれど、彼は文字の読み書きができた。わたしも店で使われている文字や値段などの数字はわかっていたが、それ以外となると曖昧だった。それを知ったレイルは、おじいちゃんに相談した上でわたしに読み書きを教えてくれた。
その勉強法はとても酷いもので、レイルが読み書きに飽きたわたしに、いじわるな読み聞かせをするのだ。
「〇〇から出る魔獣石は○○色で……なのです。困りましたね、いまのツィエン様では覚えている文字が少なすぎて、本を読んでも大事な情報が得られませんね」
といって、わたしを意地にさせるのだ。ね。ひとの足元をみて、いじわるな先生でしょう。
でもわたしには最近、専ら気に食わないことがある。
一か月ほど前からだろうか。レイルがおじいちゃんと仲良くしていることだ。
別にわたしがおじいちゃんのことを信用していないから、レイルも仲良くしないでほしいとは思っていない。でも、日に日に、おじいちゃんと剣を交えている時間が増えつつある。
はじめは、街で見た男の子たちの騎士様ごっこみたいなもので、男の子が通る道なのかな、程度に思っていた。わたしも、魔石の研磨をする時間がほしいし、好きに過ごしたら良いと思って、特段気にしていなかった。
でもそのうちに、二人で魔獣石の話をしていることが増え、剣を交える時間が増え、徐々にわたしとレイルが過ごす時間が減っていった。
嫉妬の感情に支配されているわたしはその自覚なく、レイルに問うた。「剣を交える時間がそんなに楽しいのか」と。
レイルは優しい笑顔で答えるのだ。「ええ、とても」と。
その度わたしはチリチリとした、火花が体内で弾けるのを感じた。好きに過ごしたらいいと思っているはずなのに、どこかで、おじいちゃんより、わたしを見てと脳が信号を発している。
ふとしたときに裏庭で談笑する二人に気づく度に、作業中に聞こえてくる金属と金属が混じりあう音に、わたしは嫉妬心を募らせていった。
そして、珍しく店を昼間から閉めていたある日。
わたしは、魔石の研磨を終え、レイルから教材用にもらった本を読もうかとキッチンへ向かったとき、キッチンの壁がダン!!と大きな音を立てて揺れた。
何事かと、廊下から裏庭に出てみれば、ぐたりとして倒れて動かないレイルが視界に入った。
「レイル!?!?」
慌てて駆け寄れば、レイルはすぐに目を開けて力なく笑った。
「ツィエン様、すみません……驚かせてしまったようで……」
そう言いながらもまだ自力で立てない様子で、全身をみれば、泥だらけで、右腕から血まで出ている。
一瞬にして血が沸騰したかのような熱い衝撃が体内を駆け巡る。
「いい加減にしてよ……」
「ツィエン様……?」
「お前……」
わたしは、何も喋らずこちらを見ているだけのおじいちゃんの方を見る。さっきから、お得意の槍を片手に肩を上下させているだけで、レイルをこんな目に合わせた張本人であるのに、心配する素振りも見せない。
いままでの疑念、噂、発言、すべてが自分の中でパズルのように組みあがっていく。
奴隷で買われたわたしは、まんまと魔石に興味を持って、研磨を自主的にはじめた。ミラがいなくなって、わたしが使い物にならなくなったから、とりあえず距離を置いたのだろう。
研磨を専門にさせている奴隷が伸び悩んでいる時期に、ちょうど新しく買った奴隷を魔獣石の確保用に鍛えれば効率が良いとでも思ったか。
この男のわたしたちに対する思いなんて、こんな程度に決まっている。
結局のところわたしたちはこの男の手で踊らされて、稼ぐための手段として利用されているだけだったのだ。
「自分が使える駒が増えて、そんなに楽しいか……?」
「ツィエン……?なにを言っている……」
「家に奴隷が二人もいて、どっちも商売に絡めるなんて、腕が良いですねって言ってるんだよ!」
「!?」
「ツィエン……。お前、それを……どこかで聞いたのか……」
ほらね、噂なんかじゃない。ただの真実だったのだ。
顔も知らないどこかの誰かが親切にわたしまで噂を運んでくれました。そのおかげで、何か月も前から、距離をとった。後ろめたいことがなければ、いつかわたしの出自について話してくれるだろうという希望は、時が経つにつれ、どんどん絶望へと変わっていった。
悲しいはずなのに、鼻から笑いが漏れる。バカバカしい。なにが「おじいちゃん」だ。寒い設定に吐き気がする。
目の前のおじいちゃんは暗い顔でため息をついている。
「ツィエン様……」
伸ばされたレイルの手をはたき落とす。
「奴隷に様なんてつけて呼ぶな!!!!!」
そう叫んだ瞬間、唾だか、涙だか鼻水かもわからないけど、生ぬるい液体がぽろりと顔の上を滑り落ちる。
誰が売ったのかもわからない惨めな赤子の奴隷。一般的には養子縁組が多いのだと、奴隷商ですら言っていた。
レイルは奴隷だった。でも、きっと自分が奴隷になった経緯も知っている。でも、私は知らない。記憶を持たないほど幼い頃に、この男に買われたのだから。
この場で一番惨めな自分がこの場で晒されているのが可哀想に思えてきて、静かに家の中に戻ることにする。
商談部屋の鍵をもったまま、部屋に進む。誰もこの部屋に入れないように、内鍵を閉めた。
鍵付きのショーケースに保管される魔石のひとつのように、わたしは、その部屋にころんと転がり、ひとり静かに時が流れるのを待った。




